第89期 #19

象をキャンデーで打て

 いわゆる普通の快楽以上を求めるご婦人あるいは旦那諸君たちが、寝床に蝋燭を持ち込むことは異常なことではない。未青年、あるいは潔癖なフリをしたマダムが騒ぎ立てるとすれば、本当は興味があるのか、あるいは人生に退屈していない証拠である。

 もしも電気が突如数ヶ月不足してしまい、帝都東京ですら真っ暗闇になってしまった夜があったとしよう。月や星が隠れていた場合、蛍でも飼っていないかぎり蝋燭に頼るのがふつうである。

 ここに一組の夫婦。夫の持った蝋燭から溶けたロウが

ポトッ!

と寝巻きからとびだした妻の柔肌におちることも起こりえることで、そのとき、妻は肌にB29を感じる。ジュッ! さっきまで退屈だった夫との生活がにわかに明らむ。かつてここ東京で人間が肉の丸焼きになった歴史を妻は身体で感じるのだ。一瞬叫び声をあげてみた妻だが、相手はB29ではない。自分が愛した男だった――というところから、たまにわざとロウを垂らしあう二人がうまれる、たとえば。

 電気が当然となり毎晩高層階から眼下に光の帝都東京がみえたとしても、現代ではロウの快楽はそれ自体独立したものとなっていて、ある昼下がりに黄緑さんはロウを忍ばせてホテルにいた。相手は猿山といって、女子大ちかくの家具商人。不況で売れないので、最近は店の前で「猿のコロッケ」を売っていて、女子大生ご用達である。林真理子も先日取材にきた。

 嵐のようなランチタイムがおわり、一息ついていた猿山の前に首すじがすうっとするくらいに髪を切った女が現われ「キャンデーあるかしら」といったのが黄緑さんで、彼女は大学で英語を教えていた。それが出会いだった。

「ここは家具屋で、ベッドかコロッケしかない」

 猿山はどもりながら言ったが、実は黄緑さんからのナンパだったのである。恋人でも不倫でもなく、二人はスポーツを楽しむように都内のホテルで待ち合わせてはキャンデー遊びをするようになった。蝋燭の小さな炎で溶かした飴を身体に垂らし落とし、舐めあうのである。

「タイではムチの代わりにキャンデーで象をブツのさ」

 猿山は「コロッケの時間だ」と帰ったので暇になった黄緑さんはホテルのラジオを聴いていた。リスナーの好きな異性を電話する企画だ。かけてみたら放送されることになった。猿山の顔を思い浮かべ、彼とは正反対の男のことを話した。手の甲の固まった飴を舐めながら。謝礼の代りに猿のシールがもらえるらしかった。



Copyright © 2010 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編