第89期 #18

相手の目を見る

「人と会話をする時は相手の目を見なさい」
 昔、小学校の先生はよく言っていた。しかし、先生に言われるまでもなく、私はしばしば他人の目を見つめていた。その癖は今でも続いている。
 私は特に、春藤の目が好きだった。コンタクトの薄い薄いブルーと少し茶色掛かった色の合わさる瞳がとても綺麗で、よく横から覗き込むように見ていた。でも、春藤はじっと見られるのを嫌がって、顔を隠したり、目を閉じたりする。照れ隠しだったのかもしれない。そうやって、二人でよくふざけ合っていた。
 ベッドに入って二人で抱き合っている時の春藤の目も好きだった。それは、いつもの笑っている時の目とは違っていた。私が痛がったり感じたりして身をよじると、余計に冷たい目で私を見るのである。まるで別のスイッチが入ったように、鋭く見透かすように。そして、春藤は嫌がる私の両手首を片手で軽々と掴み、固定するのだ。そして、行為を続ける。春藤の手のひらは気分が高揚するにつれて汗ばんでくるのだが、私はそれを手首で感じていた。

 最近、春藤には会っていない。お互い、就職活動や卒論などで忙しいうちに会わなくなってしまった。何となく避けられているというものある。ゼミの友達から春藤が別の女の子と歩いていたと聞いたこともあるので、その子と付き合っているのかもしれない。
 私はカーペットの上に寝転んで、目を閉じる。そして、春藤のあの目を思い出す。
 とくとくとく、と心臓が鳴っていた。心臓の上辺りに手を置いて、その鼓動を感じる。もう距離ができてしまった春藤を間近で見ることはないし、彼の鼓動を感じることもないのだろう。
 春藤を思い出して、体の中心がずきずきとした。私は太ももの辺りに、するりと右手を滑らせる。そっと人差し指で下着を触ると、湿っているように感じた。そのまま、サイドから中指を下着の中に入れる。そこは温かく濡れていた。指を優しく震わせると、奥からもっと溢れてくるようだ。
「……んっ」
 体が反応して、春藤と一緒にしたことがフラッシュバックする。私はひとりで何をしているのだろう。人差し指を中にゆっくり入れる。柔らかくて温かくてとろんとしている。頭にぼんやりと霧がかかった。
 私はぼんやりと天井を見つめ、春藤のことを考える。もう離れてしまった人を元に戻せはしないと分かっているのに、諦めることもできない私は、一体どうしたらいいのだろう。
 答えはまだ見つからない。



Copyright © 2010 初瀬真 / 編集: 短編