第88期 #6
鳩時計が一度鳴くと、息子が自転車に乗ってやってきた。
「今夜は生まれそうもないってさ、本人ケロっとして漫画読んでるし、抜け出してきたよ」
彼は鞄から小さなパソコンを取り出し、かつての指定席に座ってキーを叩き出した。
「予定日は明日だろ、ていってもあと三十分だが、名前はもう決めたのか」
「祖父ちゃんの名前貰って茂だよ」
私の困惑する顔を確かめてから、またキーを叩きだす。
「茂か、父親の名前で孫を呼ぶとはな。呼びにくくてかなわんなあ。お前が決めたんならいいけど、当分呼べそうにないぞ」
私の父、茂から譲り受けた鳩時計の振り子が、カッコカッコと揺れている。予定日直前の緊張感など息子にはない。ふと思い出したように彼が呟いた。
「そういえば、すごいんだよ、ものすごい偶然、俺の誕生日と親父の誕生日」
「お前と私の…」
「俺の誕生日ってさ、親父の人生一万日目だったんだよ」
「私の一万日目ってことか」
「誕生日から一万日目の日ってのはさ、誰でもそうだけど、二十七歳の誕生日を四ヶ月位過ぎた頃でさ、二十七歳と百何十日だったかな」
エクセルとかいうもので、誕生日からの日数を調べてみたと彼は説明するが、パソコン自体に疎い私には、エクセルとやらが何なのかさえ分からなかった。だが我々の間にあった偶然を、息子は嬉しそうに語る。
「で、もっとすごいのはさ、茂だよ」
自分の祖父の名を呼び捨てにしながら、息子はさらに興奮して言った。
「明日は親父の二万日目なんだよ」
「ほー、ってことはまさか…」
「そう、そのまさか。明日って日はさ、親父の二万日目で、俺の一万日目で、それで茂の誕生日。こうなりゃ意地でも明日産ませなきゃな」
そう言って息子は時計を見上げた。鳩時計の二本の針がもうほとんど一本になっている。
彼の祖父が彼の生まれた日に持ってきた鳩時計を、息子はずっと眺めていた。突然歯車がガタンと音を立て、古びた木の窓が開いて煤けた鳩が顔を出し、ポッコポッコと年老いた声で十二回鳴いた。その鳩の下で、息子は父そっくりな目を輝かせて笑い、そして…。
「親父、人生二万日目おめでとう!」
僕がそう言うと、親父も照れくさそうに答えた。
「お前の一万日目も、おめでとう!」
親父は鳩時計を眺めていた。
二人して、なんだか生まれ変わったみたいだと笑いあい、それから僕は妻の待つ病院に再び向かった。昨日とどこか違う一万日目の今日の風の中を、わくわくしながら。