第88期 #5
ということで真夜中直前の零下のなか歩いている。彼女の手袋は毛糸のふかふかで、おれの右手は素手だがふかふかに包まれてかなりぬくい。もうすぐクリスマスが近いがための素手アピールなのだが、これはこれで、ひと冬越してしまえそうなほどに満足、じゃなくて満手か。まんて。語感がえろいな。いや、満足=まんぞくの法則でいくと、まんじゅか。えろいのはおれだった。
今朝から降り続いてる雪はもっさもっさと積もり積もって、その上、道往く人々に踏み固められかっちかちの氷一歩手前であり、ひどく滑る。スニーカーのおれは無様に転ばないようアシモみたく歩く。
「なにそのアシモ」と彼女は笑う。
彼女にわかってもらえておれは嬉しい。しかしアシモは疲れるのだ。こんな歩き方長時間は無理だ。あいつ人間じゃねえ、とおれは思う。
人間は、雪道で滑るいきもの。
「わたし、車の免許とるね」
「それ去年も言ってた」
「来年はもう言わない」
来年はもう、とか、深読みしたら悲しくなるので、しない。
気を取り直して隣を見れば決意の横顔である。そうだ、おれは彼女の横顔が好きなのだ。横から見ると睫毛がめちゃめちゃ長いのがよくわかる。雪が乗っかっている。
「おれは歩くの好きだよ」
きみの横顔が見れるから、とは言わない。言わなくても、
「助手席からでも、わたしの横顔見れるでしょ」
おれのこころうちなどすべて見透かされている。
まばたき。雪がこぼれて落ちる。瞬時に雪とおれとを重ね合わせて考える。つまり、雪はおれである。そうすると、いよいよ未来についてよからぬ妄想を抱いてしまう。悪い予想がつぎつぎ浮かんできておれはそれを否定できない。
断ち切る。雪なんて、雪じゃないか。ただの。おまえは振り落とされてろよ。おれはここに居る。そう自分に言い聞かせる。
ポケットの中の左手が汗ばんでいる。今に限ったことじゃないが。昨日間違えて買ったマイセンロングを握りしめる。
「ターミネーター2にしようか」
青地に黄色のTUTAYAが近づいてきて、彼女の意思は固まったようだ。
「シュワちゃんはキスしないよ」
「そんなの、ハリウッドみたいにキスしたらいいのよ」
「おれたちが?」
「そう、わたしたちが」
暗がりでひときわまぶしい彼女の笑みは、いたずらなチェシャ猫のようで、しかし消えない。