第88期 #20

幻想終末録『宵闇』





 気がつくと世界は漆黒に包まれていた。
 僕の目が見えなくなったのではない、世界が暗闇に包まれてしまったのだ。自分の手すら見えない、究極の闇に。
 その証拠に周りから人々の怒号が響いている。口々に「何が起きた」や「どうして見えないんだ」などを叫んでいる。
 まだ彼等はわからないのだろうか。これが世界の終わりなのだ。
 僕達人類のような罪深き存在が果たして死という安らかな形で終末を迎えられると……こいつらは本当に思っていたのだろうか。何故この終末を速やかにかつ穏やかに受け入れることができないのだろうか。
 僕の足取りは恐らく確かだった。こうなることを予想していた人間にとって、この終末は何の障害にもならない。むしろ歓迎すべき事象なのだ。『我々はこうして全ての心の枷を放り投げた』つまりはそういうことである。
 僕は吐瀉物を撒き散らしながら、この上ない生の輝きを実感していた。見よ。この吐き出されるものが枷である。
 
 『我々はこうして全ての心の枷を放り投げた』。
 
 僕の叫びが悲鳴と混じった。

 もうわかっていることだ。
 やがて僕達は視覚だけではなく、曖昧な『精神』も闇に包まれ、存在を知覚するだけの極めて無に近い『点』として在り続けることを強いられるだろう。在り続けることの恐怖……闇が死を許さない。それこそが僕達に与えられた贖罪の時なのだ。
 あぁ、ああ! 夢にまで見た終末を、『迎えることのできる快楽』! 人間はやがて闇に応じ、闇の一部として、黒い点へと進化する、その快楽。
 さぁそろそろだ。人々が闇と向き合うぞ。或いは生き或いは死に、或いは立ち向かい或いは迎合する。『人間という皮を被っていた何か』が、生まれ故郷である闇の前で剥きだしにさらされる。
 僕は闇だ! 
 美しく穢れた醜き黒の一点、輝きの下で終末を迎えることのできる、『真の迎合を終えた者』だ!
 僕は快楽に身悶え、走り出した。
 傷だらけの傷すらも見えない闇を、吐瀉物を撒き散らしながら走り出した。












「俺には理解できませんよ。意味があるんですか? この茶番」
「それはあなたが極めて正常だからだ。公務員はそうじゃないといけない」
「はぁ」
「さぁ、ボタンを押して。これで彼は悪夢から解放される。それこそが刑の執行だ。『我々はこうして全ての心の枷を失い、新たに創り出した』だ」
「……やっぱり理解できないです」
「それでいいんだよ」

 男は躊躇わずにボタンを押した。



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