第87期 #4

人形の涙

 彼女は涙を流した。
 この恋は成就しないとわかってしまったから。
 それは、遠くからそっと見守るだけの、しかし、熱い片思いだった。
 男とは中学生の時分に初めて出逢った。とにかくやさしい男で、誰にでも分け隔てなく接するところに彼女は惹かれた。彼女は自分の容姿が醜いことを卑下していた。だが、そんなことを気にすることなく、いつも微笑んで話しかけてくれる男を、彼女は大好きになっていた。
 それから大学を卒業するまで、一緒の学校に通ったが、ついに深い関係を築けずに終わってしまった。顔を合わせば声をかけるが、挨拶程度でおしまい。彼女はどこまでも晩熟だった。卒業後、人伝に知ったのだが、男には恋人がいたらしい。それも中学校の頃から付き合っていて、それから大学を卒業して間もなく結婚した、と。
 彼女の恋はとうとう叶わなかった。心の弱い彼女は絶望の余り断崖から身を投げ、自ら命を放り捨てた。
 彼女は涙を流した。
 神様は彼女を見ていた。かわいそうな彼女を憐れんで、生き返らせてあげようとした。しかし、肉体の損傷が激しく、それは不可能なことだった。その代わりに、彼女が大事にしていた青い瞳の人形を魂の容器にして、彼女を生き返らせた。もう一度、彼に会えるかもしれない。彼女は神様に感謝した。
 彼女の両親は、彼女の思い出の品を親しい人々に引き取ってもらった。それが、彼女への供養となると思って。
 中でも青い瞳の人形――彼女――は、一番仲良くしていた女の子の手に渡った。その女の子というのが、彼女の恋する相手の妻だった。
 彼女は涙を流した。
 ようやく彼のそばに行けたが、彼女のほうを向いてはくれない。妻に恋をしている彼を見るのは苦しかった。他人の幸せが彼女の不幸せだった。祝福できない自分を彼女は呪った。
 神様は彼女の味方だった。ある日、悲しみにくれる彼女を見かねて、男の妻を事故で殺してしまった。残されたのは男と、彼の妻が大切にしていた青い瞳の人形。そう、彼女だった。
 彼女は涙を流した。
 ようやく彼と一緒になれたのだから。恋をしていた男と。
 これからはずっと二人きりだ。
 神様はそれを見届けると眠ってしまった。
 男は涙を流した。妻を失い、ひとりぼっちになってしまった。葬儀でも気丈に振舞っていたが、人のいないところで泣いていた。
 そして男は、妻が大切にしていた青い瞳の人形を、妻の棺桶に入れて埋葬した。
 彼女は涙を流した。



Copyright © 2009 近江舞子 / 編集: 短編