第87期 #3
廊下を走ってはいけない。そう校則の第二条に書いてある。理由は蜂達が興奮するからで、彼らが生徒を刺せば事故になる。けれど様々な理由から廊下を走る生徒は絶えず、時折悲鳴が校舎に轟き、或いは慌てて教師に取り押さえられる。
刺された相手が八十番台のスズメバチまでなら保健室に血清が置いてある。でも、九十番台、森を支配するムクドリバチの物だけは何故か存在せず、刺されれば大抵死ぬ。ムクドリの名を冠した彼らは大きく、鋭利な顎と針で静かに人間を威嚇しているように見える。
「イタル」
僕は幼馴染に名を呼ばれ、我に返った。
「円」
「あのさ」円は声を潜め言葉を継ぐ。「九十八番に刺されると九十九番になるって知ってる?」
九十八番はオオムクドリバチ、九十九番とは、何にも分類されていない漆黒の蜂を指す。最近、九十八番に刺されるとその黒い蜂に生まれ変わるという噂が流れている。
ムクドリバチがどうして森から出て来たのかは誰も知らない。森には蜂の王がいて財宝を貯め込んでいるという風説を真に受けた人達が森に押し入り、蜂達と戦争をし、そして負けた。それが今の状況を生み出したと聞くけど、定かじゃない。実際、鉢の王の存在は確認されていない。九十九番も単なる変種かもしれない。
とにかく九十番台を極力避けることが町で生きる人間の常識になっている。
「蜂と喋ったことないから分からないよ」僕は困りつつ答えた。
「うん」円は頷く。「でも、この間ミキが九十八番に刺されてさ、それから妙に私の傍をうろつく九十九番がいるんだ。何か私の周り飛び回ったり、目の前で止まったりして」
「恐いね」
小さく被りを振る円。「ううん、怖くない。不思議……」言葉を切り、一瞬躊躇った後、懇願するように囁く。「イタルは、もし私が九十九番になったら怖がらないでくれる?」
僕は答えられず、チャイムが鳴って彼女は自分の席へ戻った。
翌週、円は友達を庇って九十八番に刺され、病院に搬送されたが結局死んでしまった。
間もなくして教室に九十九番が一匹増え、僕の周りを飛ぶようになった。円が言った通り、目の前で何かを訴えるようにホバリングすることもある。
円と最後に言葉を交わした時、彼女は九十九番に情を感じていたような気がする。それは今の僕にはよく分かる。ただ、僕が九十八番に刺されることを好しとするか、結果彼女の元へ行けるのか、それは幸せなことなのか。答えはまだ出ていない。