第86期 #26

デジタルデバイド

 デジタル、それは認識の容易な情報。それは1か0か、有か無か、生か死か、あるいは勝ちか負けか。これを記号化することで、記録をすることができる。デジタル、そしてそれは演算の容易な情報。生成させる、消滅させる、反転させる、比較する。その繰り返しで、結論を得ることができる。結論もまたひとつの情報であり、それにさらに演算を加えることによって、演繹を重ねることができる。目の前にある情報に対して、必ずしも過程を知る必要はない。目の前にある選択に対して、必ずしも思案を行う必要はない。手にした結論は情報としてそこにあり、それ以外のことは必ずしも必要ではない。
 デジタル演算装置の発達によって、人間はより高度な演算ができるようになった。そのために、より多くの現象が情報化され、演算されることとなった。そうして人間は、演算された結論を享受する者へと変貌した。デジタル演算に慣れた人間は、あらゆる現象をデジタル化しようとする。時間も、歴史も、戦争も、そして好悪までも。演算によって結論は明示され、その結論に沿って人間は活動する。そこには必ずしも思考回路は必要ない。必要なことは情報を演算装置に入力し、その結論に従うことだけである。
 人間が人間以外のもの、仮にこれを環境と呼ぶ、に影響を及ぼすことは、人間も環境の中に存在しているのだから、明らかなことである。この環境もまた、近年デジタル化してきたようには見えないだろうか。旱魃による砂漠化、豪雨や海面上昇による水害、それから外来種の移動による生物種の減少。これらに中間がなくなっていることは、人間がデジタルを利用してあらゆる現象をデジタル化した影響では、ないのだろうか。デジタル化された環境を演算し、人間の都合の良い結論を得ることは、果たして可能であろうか。それを可能にしたとき、すべてはデジタル化され、すべてを演算によって操作できるようになるだろう。演算によって存在が許され、また消し去られ、あるいはそれ以前に生み出されるものも演算によって決定される、何者の意思も存在しない世界が、そこに現出するだろう。
 私は恐れる。人間自身がデジタル化されることによって、その存在する意味を失ってしまうことを。そして何より、何らかの理由でゼロを掛ける演算が処理されたときに、すべてが消滅してしまうことを。その危惧を、私はこうしてデジタル演算装置の一種を用いて表明しているのである。



Copyright © 2009 黒田皐月 / 編集: 短編