第86期 #22
会社の同僚とふたりで渓流釣りに行った。そいつは『釣りバカ日誌』の大ファンで(しかし漫画のほうは一度も読んだことがないらしい)、『男はつらいよ』の大ファンであるおれとはしょっちゅうどちらが松竹の代表シリーズかという議論を繰り広げるのであるが、盆休みを利用して、互いに歩み寄ろうということになり、一昨日はおれの柴又観光にあいつが付き合い、今日はあいつの渓流釣りにおれが付き合っているというわけなのだ。
釣りの「つ」の字もわからないおれは同僚に指示されるままミミズを釣針で貫いて渓流の中に放り込んだ。コツとかあるのか、と訊ねると、仕掛けを自然に底層で流せ、と呪文のようなことを呟いてさっさと上流のほうへ消えてしまった。
同僚のあの態度はおもしろくないが、柴又観光にさんざん付き合ってもらった手前、あいつが帰ると云い出すまではここを離れるわけにもいかないよな、と気を静めるように努めた。
具体的に何をすれば釣れるのかがわからないため水面に斜めに侵入している釣糸をただ茫然と眺めて過ごしていたが、案の定なんの反応もなく、いい加減退屈し切ってきたところで携帯でテレビでも見ようとしたが電波が入らなかった。同僚が戻ってくる気配がないのを確かめると、釣竿を石を集めて固定し、靴を脱いで裸足になり、その足を渓流に突っ込んで座り込んだ。
空は曇っていて暑さも凌ぎやすく、水の冷たさと足をつつむような流れ、そしてせせらぎが耳に心地よく、目を閉じて頬杖をついた。
「こんなとこにいちゃ駄目だぞー。おうちに帰んなさい」
いつの間にか眠っていたらしく聞き覚えのある声に目を覚ました。
見ると、渓流の対岸に十三年前に死んだ伯父さんがあの腹巻姿で立っていて、犬でも追い払うみたいにこちらに手を振りながら先程の言葉を繰り返していた。
夢だな、と醒めた気持ちで思い、どうせなら近くで伯父さんと話がしたいと思って川の中にずぶずぶ入っていった。
途端に伯父さんの声は悲鳴のようになり、するとその横に去年死に別れた恋人が現れ、おれはますます対岸へ急ごうとするが川の流れに阻まれて思うようにいかない。
川のちょうど真中で立往生していると、恋人の横に今度は一週間前に電話で話したばかりの妹が現れ、あれ、おまえ生きてるのに、と思わず声に出していた。
そうしている間にも両親小中高大の先生友人バイト友達ら元カノら等々が次々樹々の茂みから現れてすごい。