第86期 #21

見えない線

 歳下の同居人が絵を描いている横で、私はゴルフ中継を見ている。彼女の周りにはカラフルな本が積まれている。それらは全て資料だ。日曜日、朝。私は発泡酒を飲む。


 帽子をかぶったゴルファーが、パターから手を離すことなく身を屈めている。グリーン上、遠くにあるらしいカップを見つめている。大勢の観客に囲まれている中で堂々としている。さすがはプロだと思った。ここでカメラが切り替わり上空からの視点になった。ゴルファーとカップが画面の端と端、離れて映っている。やがて解説者がぼそぼそと語ると、画面上、ゴルファーとカップは白い緩やかな弧で結ばれた。このラインを取ればバーディーになると言う。
 テレビの画面に仮想の線を描くというのはすごい技術なのだろうか。私は考える。こんなのはゲームだったらありふれている、そんな気もする。少なくとも違和感はない。


 横目で彼女の様子をうかがった。ペンを握り、タブレットの上でそれを素早く往復させている。PCの中の人物の絵は完成に近づいているようだ。私には絵心はない。彼女の絵のクオリティの高さにしばらく見とれてしまう。でも度を超すと、気付かれてしまうと、彼女は描くのをやめてしまう。私はテレビに向き直る。


 今度はゴルファーの背中が映る。よく見るとグリーンは水平ではない。白い弧を思い出して納得した。ゴルファーはさして気負った様子でもなくパターを振る。そして画面手前から奥へと球は転がっていく。解説者の予想した通りの軌跡を描き、球は引き寄せられているかのようにホールに向かい、ついに音を立てて穴に落ちた。わき起こる歓声がテレビから聞こえてくる。
 彼女が手を止めてこちらを見ている。
「入ったの?」
「うん、入った。10m以上かな、長いロングパットが」
 私は答える。
「すごかった?」
 彼女がまた問う。言葉の重複についてはスルー。
「すごかった。何であんなことできるんだろう?」
 私はそう答え、そしてふと気付いた。


「本当だね」
 何気ない同意の一言を彼女はつぶやいた。そしてテレビを見やり一瞬ゴルファーの姿をとらえたようだ。次の瞬間、自分の描きかけの絵へと戻っていく。
 再び動き出した彼女の手を見て確信した。彼女にもゴルファーにも『線』が見えている。種類こそ違うが。一方自分は、テレビに映ったラインを当たり前だと感じてしまっている。
 私は発泡酒を飲んだ。それは生ぬるく、もはや金属の味しかしなかった。



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