第85期 #6
涼は生まれつき体が弱く、外で遊ぶこともままならない。
十歳になる頃には一日のほとんどを、窓から森の見える部屋で読書を
しながら過ごす、静かな少年になった。
涼は読書を終えると、窓を開けにいく。
森の香りを肺一杯に吸い込んで、目を閉じ、想像の中で本の世界に入り
込むことが涼の一番の楽しみだった。
しかし涼には母親からきつく言われていることがある。
夜は決して窓を開けてはいけないのよ。
何で? 母の真剣な顔に驚きながらも涼は問い返した。
……夜に窓を開けると。
母はそこで言葉を切った。一呼吸置いて続ける。
……怖い鬼が来て、さらわれてしまうのよ。
言い終えた後、母は小さく笑って優しい顔に戻ったので涼は母の言葉を
信じるか迷った。しかし鬼など居ないと思っていても、もし窓を開けて
鬼が部屋に来たならきっと自分は殺されてしまう、そういう恐怖が確かに
涼の中にあった。
涼は大人しく母の言うことを聞くことにした。
夏、蝉のうるさい昼下がり。
お気に入りの冒険小説を読み終えて、いつものように涼は窓を開ける。
夏の森から放たれる香りと、木々のエネルギーの様なものが読み終えた
小説の世界にぴったりな気がした。目を瞑り、大きな深呼吸をして想像の
中にのめり込む。
その世界の中で涼は自由だった。
ヒーローにでも何にでもなる事が出来た。
その日の晩。暑さと、想像の中でした冒険の興奮が冷めやらないせいで
涼は眠れず、ただ天井を見つめていた。
目を閉じても想像の世界に入りこめない。チク、タクと時計の音が
邪魔をする。音を止めようにも涼の背が届かないところで動き続ける時計を
涼は疎ましく思った。
ふと涼が窓に目をやると、何か影のようなものが映った気がする。
涼はベッドから降りて窓のカーテンを開けた。
何も、居ない……。
そう呟いてから涼は考えた。本当に鬼などいるのか? 窓を開ければ本当に
鬼がくるか?
しかし見る限り鬼どころか、虫一匹すらいない。
暑さと、冒険の世界に再び入り込む誘惑が涼を動かした。
涼は窓を開けた……。
一瞬何かが部屋に入ったような気がしたが、涼にはそれが風にしか思え
なかった。鬼などいないのだ。涼はそう結論づけた。
それから涼は眠れぬ夜に、窓を開けて想像の世界を楽しむようになった。
そして冬、雪が静かに降る夜。
涼は肺炎をこじらせて、帰らぬものとなった。
鬼は涼を連れて行ってしまった。