第85期 #25
指定暴力団山淵組の舎弟頭である前田竜也は、組長の用件を聞いて眉をひそめた。
「兄貴。正直に言うが、俺はできればあのシノギには関わりたくない」
「頼む、見てるだけでいいんだ。やはりお前がおると若い衆の気が引き締まる。Dを嫌っとるのはわかるがそこを曲げて。な?」
その単語を耳にして、竜也の眉間のシワがわずかに深くなる。だが結局は不承不承といった具合でうなずいた。
「……組長たっての頼みなら。だが兄貴、Dが極道を腐らすという俺の主張は変えんぞ」
「わかっとる。だが今の世の中は金がすべてだ。古風な任侠を気取っても、ゼニがなけりゃどうにもならんのよ」
諦観漂う組長の言葉に、竜也の表情がまた一段険しくなった。
「いや、オジキに来てもらって助かるっす。今日が一番の大事っすから」
Dの元締めである若頭補佐の愛想笑いに仏頂面を返す。竜也は彼のことが嫌いだった。扱っている物もそうだし、ヘラヘラした態度も気に入らない。だがなにより腹立たしいのは彼のシノギで組が支えられている事実だ。
「いつ来ても気色悪い薄笑い浮かべた奴らばかり。反吐が出る」
「こういうシノギっすから。これも組のためですよ」
そう喋る若頭補佐をぶん殴りたい衝動をグッと堪える。
そのとき、スピーカーからの声があたりに響き渡った。
『ただいまより、コミックマーケット108の第三日目を開催いたします』
割れんばかりの拍手。そして地響きとともに野暮ったい服装の男どもが汗だくで駆け寄ってきた。
「新刊3部ずつ下さい!」「シュパッツたんの本を1冊!」「プフィール姉様の上下巻を4部……!」
次々と寄せられる注文。若頭補佐はそれに笑顔で対応し、マンガだかゲームだかの少女が描かれたDを配っていく。
D。かつては明治時代の文学になぞらえて同人誌と呼ばれていたが、実体がかけ離れたせいか今ではDの略称で通っている。
萌えという性欲とは似て非なる感情で彩られた物に、一部の人間は金に糸目をつけずにのめりこむ。その賭博や麻薬に似た特性により、いまやDの大半は暴力団によって作られていた。
この現状が竜也には耐えがたかった。極道というのは仁義や矜持に満ちた、侠気あふれる存在ではなかったのか。
竜也はビッグサイトの天井を仰いで嘆く。
「俺たちは、どうしてこんなとこに来てしまったんだ……」
「あ、それガンダムSEEDの名言っすね」
茶化した若頭補佐の顔面に、竜也の裏拳が炸裂した。