第85期 #19
風に煽られたカーテンが生き物のようにはためく度に、その隙間からはパキッとした青空が見え隠れしていて、蝉の声、風鈴、畳。
まさに日本の夏だなあ、と浩は思った。
しかしそれらは、浩になんの進展ももたらさないただの風景であって、たとえ爽やかな風が吹こうと、蝉が鳴こうと、浩には恋人もできなければ就職もできないのである。
それに気付かない浩は、その一時の感情に任せて「俺は幸せだなあ」と安易に決め付けた。
そしてすぐ気付く。
「違う」
もうすぐ30歳になる手前、恋人はやはり欲しかったし、何より仕事がなければ、今も仕送りを続けている続けている両親の死期がそのまま自分の死へと繋がることになるのだ。
いかん。
そう思った浩は求人誌を開き、なるべく楽で人間関係が希薄そうな仕事に赤ペンでチェックした。
そして夕方までインターネットで職を探すふりをしながらエロサイト巡りに励み、一息吐くと晩飯のカップラーメンを食べ、風呂に入って寝た。
布団の中で「俺はこれでいいのだろうか。生きるとは一体」などと陳腐な哲学に耽ったが、それも鈴虫の声や月明かりに影響されただけのもので、10分もすると飽きて眠りに落ちていた。
そして翌朝、浩はいつも通りなんとなく目を覚ました。
開口一番発した言葉は「なにこれ」だった。
枕元の時計は午前10時を指しているというのに、窓の外は真っ暗で、物音ひとつ聞こえないのだ。
窓を開けた浩は、もう一度「なにこれ」と言った。
外は真っ暗というよりも黒一色。街明かりはおろか、空も地も無いただの黒の中に、浩の部屋だけがポツンと存在しているようだった。
そして、三言目にしてようやく浩は状況を理解した。
「あ、なるほど」
今日は、浩の30回目の誕生日だった。
大学を中退した歳からちょうど10年。
「10年間も止まってたら人生が故障しちゃうよ」とは浩の祖母の言葉だ。
街などで路上に座り込み、虚空に話しかけている老人などがその典型らしい。
浩はドアを開け、家の外に出た。
地面の感触は無いが、落ちている感じも無く、ただ黒い中で足を前後に動かすのはこの上なく虚しかった。
浩は家に戻ることにした。
しかし、振り返るとそこに家は無く、浩の周りはただの黒だけになってしまっていた。
浩は泣いた。
泣いて泣いて、弱音を吐きまくった。
泣いている自分は可哀相だと思った。
しかし周囲は黒と無音。
往来の人々も、泣いている浩の前をただただ通り過ぎるばかりであった。