第84期 #5

マロニエ

 木漏れ日が、カーテンを揺らす微風の金の糸に生命を宿すように、夢のなかで虹彩が光の粒子を直接とらえたとき、ザザ・コムザはぎくっとして目覚めた。
 彼は、時計を見てそこに午前六時四十五分という時刻を発見したが、彼に残された限られた時間をそれに費やすことが、自分の人生にとってどれだけ重要なことかどうか、もう一度値踏みしていた。
 それとは、今の結婚生活のことだ。
 結局、その選択が彼の人生というキャリアのなかで最も重要なミステイクになるわけだが、むろんそんなことが彼にわかるわけもない。
 朝食の後に、彼はビジネスのパートナーであるスミスに電話をして、新しいプロジェクトの戦略をはじめから立て直すことにする旨を伝えた。
 彼らは完全なパートナーシップとかけがえのない友情に支えられていた。
 スミスには、すばらしい商才があり、ザザは最高のエンジニアだった。
 多数の投資家が、彼らの技術力に興味を抱いていることは明白で、いよいよ会社も軌道に乗ってきていたが、今の大きなプロジェクトが最終的に実を結ぶ五年後には、ザザは会社を去ることに決めていた。
 そして、妻のもとから去ることも。
 だから彼は、美しい妻、テレーザを見る度に胸が締めつけられるように痛んだ。
 彼らは幼年期からのいいなずけられた者同士であり、大学の一年生のときに結婚していた。
 彼らはかなり貧弱なセックスを月に数回行っていたが、それはそれで素晴らしいことだった。
 テレーザのその美しさといったらたとえようもないほどだったが、彼は、未だに元カノのことが忘れられず、長い赤毛の娘の、赤い巻き毛の房を今も密かにクローゼットに隠しもっていた。
 ある日、ザザ・コムザは、テレーザに髪を赤く染めてくれないかといった。
 テレーザは、自分の栗毛色の髪をとても気に入っていたので、悩みに悩んだが、結局はザザの希望を容れて、髪を赤く染めることにした。
 美容院でテレーザが髪を真っ赤に染めている頃、ザザはホテルの一室で赤毛の女を抱いていた。
 パウダールームで、テレーザは鏡のなかの燃えるように赤い髪の見知らぬ女に、にこりと微笑みかける。
 マロニエの樹が、降りはじめた夏の終わりの雨に濡れていく。



Copyright © 2009 青山るか / 編集: 短編