第84期 #27

愛なき者

 一人暮らしを始めて、学生時代の知人との連絡を取らなくなった。同僚は仕事上では仲間であるが、タイムカードを押してしまえばそれまでの関係だ。「誰か」以上の誰かは私には必要なかった、はずだった。
 失業した。五パーセントを超えて失業率は上昇をしていると言う。私がそちら側に入ることも、確率論的にはそれほど低確率とは言えないだろう。その五パーセント超の人と同様に私もまた新たな仕事を探せば良い、退職金をもらって当座の暮らしには困らない私は別段の気負いもしなかった。
 しかし。何社に問い合わせをしても、面接をしても、採用されず通しだった。期間わずか一ヶ月、金策に窮するにはまだ数倍の猶予があったのだが、私は挫折してしまいそうだった。私は誰かにとっての「誰か」以上にはなれないのか、漠とした苦しみに蝕まれ、そして私はようやく気がついた。
 「誰か」以上の誰かとはどのような存在か、私はそれを知らない。知りもしないものに、私自身がなれるはずもない。
 思えば。私は「誰か」以上の関係を疎んじていた。それでも寂しいとは、私の内に空白があるとは、思わなかった。なぜか。答えは簡明だった。私が人間としてあるべきものを欠いた欠陥人間だからだ。欠陥品が世に受け入れられることはない。これまで私がここに在ったことの方が、間違いだったのだ。
 ごめんなさい。不意に口をついて出た謝罪は、誰に向けたものだっただろうか。この私に、謝罪したくなるような「誰か」などいただろうか。声を殺し、涙を抑え、それでも確かに泣きながら、私はその「誰か」に縋ろうと、謝罪の向いたその先に思いを巡らせた。巡らせたのだが思い当たるものは何ひとつなく、泣きたい衝動は加速して、それがさらに思考を阻害した。そのうち、もう私は死ななければいけない、としか考えられなくなった。
 そうだ、死ぬ前に両親だけには伝えなければ。気がついた。私の親にしてしまってごめんなさい。それだけは伝えなければならなかったのだ。
 電話をかけた。叱られた。死なせるためにお前を生んだのではない、そう怒鳴られた。私は死ねなくなった。
 しかし。その必要もまた、なくなっていた。私にも、「誰か」以上の誰かが確かにいる。だからきっと私でも誰かの「誰か」以上になれる、いや、なりたい。私は初めて誰かを心からありがたく思った。誰かのためにしっかりと立つのだと、私はまずその場で立ち上がり背筋を伸ばした。



Copyright © 2009 黒田皐月 / 編集: 短編