第84期 #26

岩感

 小さな喫茶店。男はゴツゴツした大きな違和感を覚えていた。周囲を窺うのだがその正体がわからない。仕方なく正面を向いたときに、男はようやく気づいた。
 岩だ。
 店内の中央で、大きな岩が床から突き出ていた。
「知ってるんだから。もう会ってないだなんて嘘だったんじゃない。ねえ、聞いてるの?」
 男の正面では女が怒鳴り散らしていた。
「聞いてるよ」
 生返事で答えながら、男は岩から目が離せずにいた。なぜ気づかなかったのだろう。違和感は消えるどころか重さを増して、ゴリゴリと男の胸を抉っている。
「正直に言いなさいよ。どうせあの女なんでしょ」
「うん」
 内容もよく聞かず、岩を見つめながら男は答えた。見つめているうちに違和感が少し小さくなった。
 女は重いため息をついた。
「もう、どうして私がこんな目に」
 涙が溢れてきた。それでも女の声は男に届かない。男の違和感はどんどん小さくなっていく。うん、なかなか趣のある美しい岩だ。
 女が顔を上げると、男は冷たい表情をまっすぐこちらに向けていた。岩が女の真後ろにあるからそう見えるのだが。
 違う、これは……
 男の視界で、岩が形を変えた。砂が堆積して徐々に姿を形作るような感覚だった。
 女の貧乏揺すりでテーブルがガタガタ鳴った。男が落ち着いているのが悔しかったのだ。男はそれでも女に注意を払わなかった。
 お地蔵様だ。男はそう思った。
 岩はもう完全に地蔵だった。小さな驚きは、柔らかい感覚に包まれて消えた。
「それで、これからどうするの」
 涙が残った目で、女は男を睨みつけた。男は灰色にくすんだ瞳でこちらを見据えている。
 地蔵は柔和な笑みを浮かべていた。岩なのにこの柔らかさはなんだろう。
「あなたはどうしたいのって聞いてるのよ」
 女は声を張り上げた。対して男は安堵を感じていた。胸のゴツゴツは丸くなっていた。川上の岩石が流されながら磨かれていくように。
「何よ!」
 女が素っ頓狂な声を上げた。
「何よ今更。許すわけないでしょう」
 男は手を合わせていた。目は澄み切って、そこから石清水のようにこんこんと涙が湧き出ていた。何故なのか男にも分かっていなかった。
「絶対許さないんだから!」
 絶叫しながら女は涙を落としていた。男は静かに目を瞑った。
 沈黙の後、女は顔を上げて驚愕した。
「きゃあ!」
 女が猛然と立ち上がるとテーブルが傾き、ティースプーンが跳ねた。スプーンは男にぶつかり、硬い音を立てた。



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