第84期 #17

紫陽花

「あなたはほんとうにあなたなのですか」
 丁寧に刈り込まれた庭の松から雀が問いかけてきた。
「間違いなく私は私で、今朝学校へ行くとき通りかかった澪は今ここにいる澪だよ」
「本当に澪だったのですか」
 不意に投げかけられた質問にどう答えていいのか、その真意を計りかね「他の誰かが私の姿をして雀さんを騙そうとしているのならともかく。でも雀さんの顔には見覚えがあるから、やっぱり今朝『おはよう』って挨拶したのは私だよ」と答えた。足元で、散歩途中のタマが頬擦りし、そのまま風のようなしなやかさで足の間をすり抜けていった。
 雀さんは納得できないと言わんばかりに首を傾げ「本当かな。だって朝のあなたはあれほど愉快そうだったじゃない。なのに、いま通りがかったあなたはキリストの教えを裏切った弟子みたいに曇った顔をしてる」と続けた。
「それは、あのときと今じゃ状況が違うんだから仕方ないでしょ」禅問答のような遣り取りにウンザリし、投げやりに言った。
 しかし雀さんは容赦なく「ほんの数ヶ月前のあなたは靴のかかとを踏んだり、ツンツンした髪型を嫌悪していたでしょ。なのにいまのあなたは平気な顔をして、それどころか自ら進んで流行のスタイルに身を任せている」
「だって気分が変わったんだもん」
「それなら中学生のときのあなたはどう。人を助ける医者になりたいと言って勉強してたじゃない。なのにいまのあなたは遊んでばっかり。国立の医学部どころか、私立の薬学科さえ危ういじゃない。もしも中学のときのあなたがここにいたら、どんなに嘆くことか」
 ふと横を見ると、タマが庭のブロック塀へ登り、双眸を光らせ雀さんを捕らえようとしていた。
 叱ろうと手を翳しかけたとき、タマの後ろの紫陽花が夕陽を浴び幻想的な色合いを醸しだしているのに気付いた。思い直し伸ばした手をツンツンした髪へ戻しクルクルいじった。
「やはり、今のあなたは以前のあなたとは……」
 雀さんが言い終わらないうちにタマが飛んだ。
 低く身構えてからの跳躍はあまりにも正確で非情だった。
 喉笛を噛み切られた雀さんは哀願するように私を見つめる。
 だって紫陽花を背にしたあなたたちはとても神々しくて、私なんかが覆すには恐れ多かったんだもん。
「そうよ。今の私は少し前の私とは違うの」



Copyright © 2009 三毛猫 澪 / 編集: 短編