第83期 #15

ふえるワカメ

 ある対象が感覚を通して浮かんでくるとき、乾燥したワカメが膨張するような状況がそこにあらわれる。つまりは《ふえるワカメ》ということだろう。ワカメが膨張するという事実はまあいいとして、それはおいとくとして、じゃあ膨張するまえのワカメはどこにあるのか。ひとつには、さいしょからワカメの元が身体にしこまれていて、で、目に見えるワカメは水分みたいなもので、それが浸透してワカメがふえてしまうということが考えられる。でもそれは間違っている。なぜならば《ふえるワカメ》は「ふえる」というくらいで、勝手に膨張するのだ。ワカメをみるまえにその元が身体のなかにあるのなら、ワカメをみないでもその元は所有されている。つまりは、それならば「ふやす」というのが適切ではなかろうか。
 ということで、ワカメの元はきっと、ワカメにあるんじゃないかと思うんだけれど。
「そうなの?」
 ちがうかな。
「それなら、ワカメをしらなかった場合は?」
 その元をしらなかった場合、まあなんだかよくわからないけど、気味の悪いものが気味悪く膨らむっていうことになるね。そうなるね。
「じゃあ、《ふえるワカメ》はワカメに依存しているのではないってことじゃない? ワカメをしらなかったら海藻が膨らんでるだけだし」
 いや、でもここでいってるのは、味噌汁なんかにいれるワカメのことでなくて、そのふくらむ状況そのものが《ふえるワカメ》なんだよ、ここ大事だよ。だからさっきいった「気味悪く膨らむ」ことが《ふえるワカメ》ということ。膨らむのがワカメであるにせよ、なんにせよね。
「そういえば、味噌汁さいきん飲んでないなあ」
 そうなの。
「味噌汁って飲む? 食べる? どっち?」
 なんだろ、啜るっていうのはどう?
「いや、それは口に入れるやり方のはなしだから、ちょっと違うんじゃない? ワカメは食べるでいいと思うけど」
 すなわち、膨らんだワカメは食べなければならないわけだ。食べるということは噛み砕いて飲み込むということであって、胃にはいればそれはすでに食べた人の一部として機能しはじめる。胃液によって溶かされはじめたワカメはかたちを失う。人はまた新たなワカメを勝手に頬張りはじめている。
「ちょっと待って、あれなんだっけ、あの、どろどろしたやつ、海藻の!」
 急を要するような口ぶりに虚をつかれてしまう。
「なにそれ、あ、モズクだ!」
 えっと、なんのはなしだっけ?
「食べ物でしょ」



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