# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | 横紙破り | 三毛猫 澪 | 1000 |
2 | あたしジャスティス | アンデッド | 990 |
3 | 自動記憶装置 | 虎太郎 | 939 |
4 | アレ | 孝子 | 997 |
5 | モトカノ | 壱カヲル | 700 |
6 | 深紅の瞳 | 河内伝太郎 | 875 |
7 | 木戸中尉の決断 | えぬじぃ | 1000 |
8 | 神と悪魔 | satosi | 739 |
9 | 紙の束 | ベル | 989 |
10 | Devil | Loc | 961 |
11 | 死期と虚無 | 拓途 | 827 |
12 | 人間の条件 | 久保田健二郎 | 632 |
13 | 幼稚な嫉妬。 | のい | 902 |
14 | おばけ | 鼻 | 1000 |
15 | 行動1つで幸運は君の元さ | .Shin | 908 |
16 | うちの兄りん | さいたま わたる | 1000 |
17 | 200Q | 金武宗基 | 939 |
18 | 『混沌の神の創り方』 | 石川楡井 | 1000 |
19 | あいつ殺そう計画 | 山羊 | 999 |
20 | 成せばなる | てつげたmk2 | 984 |
21 | センチメンタル・スモーキング | ei | 995 |
22 | 児っポwriter | Revin | 854 |
23 | 分母の現実、分子のキリン | 庭師の守護 | 1000 |
24 | 継承者 | 彼岸堂 | 1000 |
25 | 水場で書かれた物語 | みうら | 1000 |
26 | 腹の中 | 高橋唯 | 1000 |
27 | Pluto | 小春 | 943 |
28 | 雪山の夢 | クマの子 | 939 |
29 | 御老人、 | おひるねX | 999 |
30 | 天才嫌い | 横田UMA | 893 |
31 | 3という数字の秘奏性と虚造性と魔想性を考察するべくなされた一つの小さな空想譚 | 笹帽子 | 1000 |
32 | 燃えあがる布団 | K | 783 |
33 | ぺんぺん草 | 銀冠 | 720 |
34 | マイ・フーリッシュ・ハート | りん | 1000 |
35 | テロリストという職業選択 | 黒田皐月 | 1000 |
36 | 花火の夜 | 宇加谷 研一郎 | 1000 |
37 | 預言者 | qbc | 1000 |
38 | 砂漠と雨の日 | euReka | 993 |
39 | 鋼鉄の戦神 | 篤間仁 | 951 |
40 | 夏休み | 多崎籤 | 1000 |
私には祖父がひとりいた。アニメに登場する拳法使いのお爺さんそっくりの祖父だった。陽気で子供が好きで、少し頭の回路が壊れかけていたが、私には優しい祖父だった。
ある日、学校から帰ると家の前にパトカーが停まっていた。
警官が厳しい眼つきで母と話しをしていた。どうやら祖父が振り込め詐欺に遭ったらしい。
私は急いで祖父の部屋へ走った。すると祖父は、私の心配をよそに歌を歌っていた。鼻から空気が抜けた感じの声で、怒っているのか笑っているのか判断がつかない抑揚で得意げに歌っていた。
「チャーラー ヘッチャラー なにが起きても気分はー」アニメの主題歌の一節を繰り返していた。
翌年。祖父は入院した。
末期の癌だった。
どう接していいのか。どんな顔をして声をかければいいのか分からないまま、私は病室に入れずドアの外で立ちつくした。表札には六人の名札が並んでいた。個室の空きが無かったらしい。かわいそうな祖父。しょげかえった姿が目に浮かんだ。戸口で悩んでいると、なかから歓声らしき声が洩れてきた。
不審に思いドアを開くと、同室の患者が笑顔で祖父を囲んでいた。
輪の中心では祖父があのかすれた声で歌っていた。得意げに歌っていた。
「チャーラー ヘッチャラー」
祖父の笑っている姿を見たのは、それが最後だった。
三日後。容態が急変し祖父は還らぬ人となった。
僧侶の読経が終わると、棺を呑み込んだ斎場の扉が静かに閉まり、作動を知らせるランプが他人事のように冷たく点灯した。皆は待合室へとひきあげ、私はひとり取り残された。というよりも最後まで傍についていてあげたかったのだ。優しかった祖父。楽しかった思い出の数々。目を瞑ると、まぶたの裏側に元気だった頃の祖父が浮かんできた。笑うと皺の数が倍になる頬。皺くちゃの唇が私の名前を呼ぶ形に動いた。すると……不意に私の頭の中へ祖父のあの歌声が滲入してきた。
「チャーラー ヘッチャラー なにが起きても気分はー」
祖父はいま歌っているのだろうか。ヘッチャラなのだろうか。
あれから四年。私はいま、大阪の高校へ通っている。家族全員でこちらへ引越してきたのだ。祖父がいたあの故郷へはもう三年も帰っていない。
祖父の墓は荒れ放題となり、猪などの住処になっているかもしれない。
でも、たぶん心配ない。あの祖父のことだから。今頃は、猪どもに凄まれながらも、あの歌を得意げに披露していることだろう。
――あたしの話、聞いてください。
あたし女子高生してる者です。今三年で受験生やってます。
この前、学校帰りにマックでポテト食べてたんです。
あ、受験生なのに呑気だ、なんて批判は真摯に受けとめます。けど息抜きは必要。
それにマックですからポテト食べますよ。リーズナブルだしバーガーよりカロリーも控えめです。
うん、ポテト最高っす。
それでポテトをガジガジやってた時、何か視線を感じて。
あたしポテトタイムはいつも一人なんで、だから誰かこっち見てるなぁと。視界の端に入る感じで。
ポテトと一緒にオレンジジュースも飲んでたんですが、ストロー咥えながら知り合いかなと思ってチラチラ見てみたら。
全然知らない男の人で。その人も一人でポテト食べてました。
それが凄い男前。佐藤浩市みたいな感じ。連太郎の息子の。見とれたっす。
そしたら完全に目が合っちゃって。ドキドキしてすぐ視線そらしました。
その後、なんとその人がこっちにやって来たんです。
そんで「ポテト旨いよね。良ければ俺と遊ばない?」なんてあたしに聞くんです。
もうびっくりで。これがナンパ? って感じで。
今までナンパなんてされたことないですから! あたしこんな所でされちゃった、って。
けど自分に自信ない方だから、その分嬉しくて……。
ジュース一気飲みして「いいですよ」って笑顔で答えました。恥ずかしかったけどスマイルゼロ円です。
それで二人してマックを出て、彼の車に乗っけてもらって色々とお話しました。
彼、年は四十でお医者様らしくて。お父さんと年同じだぁ、なんて思っちゃいました。
彼は一緒に行きたい所があるとのことで、あたしは大人しく身を任せました。
もしやラブホ? なんて思ったり。まあそれでもいいやって。
着いた先は、山小屋でした。そこで色々されました。
あ、別にHなことはしてないですよ。
それでこの通り、今は正義のヒーローやってます。悪人倒して世界変えるんです。
よくよく考えれば今の世の中おかしいです。奴隷制度とかオカシイです。
先生に改造されてからよりそう思いました。
以上です。マスコミさん、ご清聴ありがとう。
あと、力使いますから、早くここから離れた方がいいですよ――。
*
『こちら現場の渡辺です! 現在議員ビルを占拠中の犯人から先程メッセージがあり、やはりテログループの一員と、あ! 爆発! うわ――』
「やった……ついに出来た」
研究室で博士が思わず叫んだのはいうまでもない。
自動記憶装置が完成したのだ。この装置はその名の通り自動で記憶してくれる。研究者は覚える事が多すぎて色々と忘れる事も多い。何々さんと食事の予定があっただとか、あの部品はどこへやっただろうとか……。
このビリヤードの白玉によく似たボールは、日常生活での発言を全て録音してくれる。それだけじゃない。
「あれはどこへやったかな?」と聞くと一瞬の内に検索してその在り処を教えてくれる。
まだある。
少しへこんだ所を押すと録画も出来るし、「これはどうしたらいいかな?」と聞くとネットや自分の中にある情報を瞬時にまとめて綺麗な女性の声でアドバイスまでしてくれる。秘書でありパートナー。それが今完成したのだ。
それからの博士の仕事振りは順調だった。
あのボールが思っていた以上の活躍してくれる。第二の脳みそと言ってもいいだろう。博士が二人いるようなものなのだ。そんなわけで、博士は重要なポストにのし上がることができた。
「大事な仕事が入った。GM社のロボットを作ってくれという申し出だ。これはGM社だけじゃない。上手くやれば歴史に名を残すのも夢ではないぞ。記憶しておいてくれ」
「わかりましたわ」
重要なポストにのし上がっても博士の意欲は衰えない。色々な仕事をこなし、周りからも尊敬のまなざしで見られる。自身それが当然だと思っているし、またそれが快感でもあった。
「なんて事だ……なんて事を……」
「いかがなさったの?」
「GM社に言われて作っていたロボットのエンジンがどこにもないのだ。あれが無いと今日の発表に間に合わない! そんな事になったら……」
「あら、あれなら私が発注をキャンセルしましたわ」
「な、な、なんて事をしてくれるんだ! このダメ機械めが」
「ひどい……博士がいらないと言ったからキャンセルしましたのに」
「そんな事は断じて言っていない! 言ってないぞ」
「言いましたわ」
「故障でもしたのか。私が言ってないと言ってるのだから言ってないのに決まって……」
『ん……あぁエンジンはキャンセルしておいてくれ。自分で作った方がいい物を作れるさ』
ボールから博士の太い声が響き……。
私は人を殺してしまいました。ついカッとなって近くにあった花瓶で彼の頭を……。
でも彼が悪いんです。彼がアレをしてくれないから……。
彼とは幼なじみでした。昔から金にはだらしの無い男でしたけれど、私に対していつもアレをしてくれたから、私は気兼ね無く彼に言われるがまま金を工面してあげました。
私は彼のアレが好きでした。
きっと彼もアレに喜ぶ私を見て嬉しかったに違いありません。それなのにどうでしょう? ここ最近の彼といったら、私から金を借りるだけでアレをまったくしてくれないではないですか。
金を返せと言いたい訳ではありません。ただアレをしてくれたらそれだけでいいのです。どうせ彼にはアレのよさなんてわからないんです。しょせんアレなんですから、わからなくても仕方がないかもしれません。でも私はアレをしてほしいのです。ただアレをしてほしいだけなのです。
ついに堪忍袋の緒が切れた私は、高層マンションの四十四階にある彼の部屋に押し掛けて、これまでの鬱憤を洗いざらいさらけ出しました。するとどうでしょう! 彼は私のまったく想定していなかったことを口にしたのです。
アレなんて、他の奴でもしてくれるだろ?
何てことでしょう! 私が彼のアレでなくては満足しないことは、彼もわかっていたはずなのです。それなのに彼は平然と言ってのけたのです。
私は彼のアレを、彼にアレをしてほしかったがためだけに、腐れ縁のように繋がっていただけと言っても過言ではありません。それが二人の関係同様、硬いガラスの花瓶に大きなヒビが入るほど、何度も、何度も彼の頭を叩きました。息の根が止まった彼を見て、やっと我に返ったのです。
アレが! 彼のアレが!!
なんてことをしてしまったのだ。これでもう二度と彼にアレはしてもらえない……。悔やんでも悔やみきれません。彼でなくては駄目なのです。彼のではなくては満足しないのですから。ああ……これからどうすればよいのでしょう! 彼のいない人生、いや、彼のアレのない人生なんて考えられません。もう生きている意味なんてないのです。彼の元へ、そう天国に行けば彼にまたアレをしてもらえるかもしれない……。そう思った私は、躊躇なく彼の部屋の窓から飛び降りました。遠い遠いあの場所へ。真っ暗な闇の中をさまよい続けました。そして気がついたときに目の前に現れた光景を見た私は驚愕の声を上げました。
あれ?
「なに考えてるの?」
役所に婚姻届けを提出し終えて、近所の喫茶でコーヒーカップを片手に呆けているぼくに麻衣が話しかける。
なんでもない。そう答えたところで自分が自分に納得するわけでもないし、何も考えていないわけではない。それは彼女もぼくの表情から読み取っているのであろう。
結婚は諦めだ、と昔知り合いがよく口ずさんでいたものだが、ぼくは決して彼女と家族になったことを後悔したり、人生の諦めだとは微塵も思っていないつもりだ。
役所に書類を提出するまでの瞬間まではこれからの幸せを想像するくらいの高揚感を覚えていた。余韻、余裕、安心感ともいえる気持ちだ。
しかし、今のこの気持ちはなんなのだろうか。
何かを置き去りにしたような微弱な喪失感。
頭の片隅にあるなにかの記憶。
彼女の顔をみつめて幸せに浸れない自分がもどかしい。
窓ガラスにうつる自分が婚姻届を提出する前の自分にみえ、ぼくをみて同情するような目をしたり、「これから幸せになれよ」と見送る目、見下す目、いろんな意味に見とれる目をしている。
…ダメだな。――ため息ひとつ。
いつまでも引きずっていてはダメだとあれだけ自分に言い聞かせたのに。自分でも気づかぬうちに本能的にモトカノのことを思い出していた。
窓ガラスに映る自分に微笑みつつ思う。
悪いな。あのときのお前は確かに人生を謳歌し青春してはバカをやり未来のことなど何も考えずに彼女と幸せに暮らしていただろうが、今のおれにとってはこれからの幸せのほうが大切なんだ。
手元にあったおしぼりで窓を拭く。
「おーい。無視ですかぁ? なに考えてたの?」
「なんでもない。なんでもないんだよ、亜衣」
黒々とした夜空に個々と光を放つ星々。
色を失い闇に呑まれ絶えた星々。
叶うのならそれをひび割れたこの手で取り、狂う程に滲みたい。
誰かのそんな願いを聞いたのか。散り散りに蔓延うあの点火は、熱い熱い世界へ身を寄せてきた。
男は暗がりに潜んでいた。何度も周囲を窺う。人影はなかった。屋敷の中からは賑やかなざわめきが聞こえるが、厚い壁と茂った樹木に遮られ、はるか遠くに感じられる。男は背を低くして前進した。期待がある。不安がある。手が少し汗ばんでいる。
天は彼の味方だった。重い雲が垂れ篭め、徐々に雷鳴が近付いてくる。これなら少々音を立てても気付かれることはない。雨が降り始める前に首尾を終え、安全な場所に戻ることができるだろう。
複雑に刈り込まれた植木の向こう、装飾された細い柱が頭上のバルコニーを支えている。その柱の奥の壁の下、地面すれすれに横長の窓がある。半地下の明かり取りと換気を兼ねたこの窓は、見通しの良いガラス製だった。
その窓から、鈍い光が庭の芝生に射していた。地下室の部屋のランプだろう。誰かいるのか。いろ。いてくれ。男は渇望した。呼べば声の届く位置に、手で触れられるほど近くに、あの白い喉があったなら──。
雷鳴が近付く。男は前進する。手足が泥で汚れる。植木が肌を傷付ける。男はじりじりと壁に進む。
激しい閃光が走った。すべてを曝け出す白い光が街を一瞬切り裂く。
男は見た。
凶々しい深紅の瞳の怪物を。
怒涛のような雷鳴が空気を揺るがす。男の悲鳴がそれに混じった。
恐怖は絶望を支配する。男は規則的に揺れる鉄の揺り篭に乗っていた。
赤銅色の窓からは夕日が差し込んでおり、彼の眼鏡に晩秋を点している。遥か彼方の稜線を窓越しに見ながら、彼は呟いた。
「この十年、私はどれほど苦労しただろうか。友を敵にし、そして友を失ってまでも私はこの研究に没頭した。私はこの研究に人生を賭したが、無駄であったとは思えない。いや、思いたくもないんだ。そのほうが、先に永久の旅に出た友のためだ」
過去を吐息し、彼は深く刻まれたしわを歪ませた。
雲一つなく晴れた空に、銀翼の爆撃機がいた。編隊を組まずにたった一機で、滑るように飛んでいる。
その様子を高空から睨みつける眼があった。木戸中尉搭乗の三式戦闘機である。
彼は眼下の爆撃機を見つめながら、静かに考えていた。
あそこにいるのはアメリカ軍のB-29、単機だからおそらく偵察型だろう。こちらは太陽の光芒に隠れているので気づかれておらず、B-29は無警戒な様子で飛んでいる。
それを眺めながら中尉は、「確実に墜とせるな」と独りごちた。彼の機にはドイツから輸入した機関砲が装備されており、他の日本機とは桁違いの攻撃力をもつ。これまでも多くのB-29を仕留めていたのだ。
しかし木戸中尉の指はためらい、機関砲の発射ボタンはなかなか押されない。
つい最近耳にした噂が、彼を迷わせていた。日本がもうすぐ降伏するという噂である。
確かにもう勝てる見込みはない。すでに海軍の船は大半が沈み、陸軍も各地で玉砕につぐ玉砕。日本本土も焼け野原になるほど空襲を受けていた。パイロットも彼ほどの歴戦の勇士はごくわずかで、大多数のひよっ子は初陣の日に撃墜される。木戸中尉のような一握りの精鋭がいくら頑張ろうとも無駄だった。
さてそこでもう一度、眼下の銀翼を見つめる。攻撃をかければあれを間違いなく撃墜でき、乗っている十数人はほぼ確実に死ぬだろう。
もちろんこれは戦争であり、やらなければやられる。偵察であっても見逃せば数日後にはB-29の大編隊がやってきて、空襲で何千という死者が出る。
だが、明日にでも戦争は終わるかもしれない。いや、今この瞬間にも、大本営は休戦交渉をしているのかもしれないのだ。
もしそうであったなら、あの十数人を殺してしまった腕を、自分は許せるのだろうか。妻子を愛する赤毛の父親や、夢に溢れた金髪の青年が乗っているかもしれない飛行機。それを無残に引き裂いたことを、一生後悔するのではないだろうか。
ひどく長い数秒間、木戸中尉は迷い、そして発射ボタンから指を離した。
彼は苦笑いを浮かべると、翼を翻して米軍機に背を向けた。今日は敵を発見できなかったと報告しよう。そう決めたのだ。
彼の心はとても清々しかった。なにか大事なことをやり遂げた気分に満ちている。
木戸中尉は情けをかけた敵機を、最後に一度ちらと振り返った。次の瞬間、彼の機は眩い光に包まれる。
1945年8月6日。広島上空での出来事だった。
「義兄さんには、よく殴られたもんだよ」
「何も、こんなところで言わなくても……」
妻は険しい表情で僕をたしなめた。義兄が自動車事故で亡くなったのは一昨日であった。すでに両親も亡くしている妻にとっては唯一の肉親だったのだから、その悲しみは計り知れない。
「運行前点検は、必ずするように言っておいたのに……」
告別式はしめやかに営まれていた。義兄の事故は整備不良が原因だ。そういえば妻の両親も同じように整備不良が原因による事故で他界している。子供の頃から面倒臭いことが嫌いだった義兄は、車の整備もディーラー任せだったのだろう。
僕と、妻の家族は元々近所に住んでいた。妻と義兄とは幼馴染みだったのだが、遊んだといっても義兄に命令されたことをクリアしなければ、鉄拳制裁が待っているといった類の虐めに近いものであった。僕が引越してからは疎遠になっていたのだけれど、妻とは大学で偶然に再会して今日に至っている。
「海なんて久しぶりね」
僕は気分転換に妻を外に連れ出した。
「ここ憶えてるかい?」
「うん。プロポーズされたのってここでしょ。まさかあなたと結婚するなんて思ってなかったわ」
妻は展望台のベンチに座り、懐かしそうに顔を綻ばせた。
「僕は最初からそのつもりだったけどね……。あの日、学食で君に会ったときに決めたんだ。仕返ししてやるって」
「えっ……!?」
妻の表情がだんだんと硬くなっていくのがわかった。
「僕が義兄さんに殴られてるとき、義兄さんに蹴られてるときに君はどうしていたか憶えてるかい? 君は笑っていたんだ。一度も止めやしなかった」
「私だって兄さんが怖かったのよ。仕方なかったの……」
妻の瞳からは大粒の涙が滴り落ちた。
「そんな君が悲しむ姿を見るのが快感でね。だから義父さん、義母さん、そして義兄さんも……。乗る前に点検さえしておけばこうはならなかったけどさ」
「あ、あなたがやったの!? ひ、酷いわ……」
妻は泣き崩れた。
僕は勝ち誇ったように立ち上がり海を見上げた。あの時の恨みを晴らすときがやってきた。これから妻をも手にかけようとしていたのだ。そのとき、
「この悪魔!」
一瞬の出来事であった。
妻の甲高い声が聞こえたと同時に、僕は断崖から身を投げ出されていたのだ。
――あぁぁぁぁ!!
目の前には鋭く尖った岩肌が迫ってきていた。
俺には馬鹿で単純で純粋な馬鹿がいる…基彼女がいる。
「シンデレラっていいよね〜ゆうちゃんもそう思うでしょ?」
ば…じゃなかった彼女はユイカ、一応は俺の彼女でちょっと…いやかなり?不思議ちゃんである
「思わない」
なんでこんな不思議ちゃんと付き合っているのか…そんなのは単純に、好き。だからだ
「なんでー?お姫様になるんだよ?」
好き。と言ったのはべつに惚気たわけではない
「じゃあ、その本にお姫様になってどう幸せって書いてある?」
我慢して飲み込んだ分の言葉だから知らず知らずのうちに出てしまうだけなんだ
「そ…れは、だって王子様と一緒なら誰だって幸せでしょ?」
不思議ちゃんな俺の彼女はずっと俺の幼なじみだった
「もしかしたら、王子様は暴力をふるうかもしれないよ」
何時も一緒だったのにユイカの目は絵本にばかり向いていた、俺はそれが悔しくて
「そんなことないよ、王子様だもん、優しいに決まってるでしょ」
何度も意地悪をしていた
「決まってないよ。じゃあ暴力をふるわないとして、マザコンかもね」
意地悪をしてユイカが泣いた後、俺は罪悪感に負けて、泣いて母さんに抱き着いた
「王子様は自立してるもん!それにさっきから全部、昔のゆうちゃんのことでしょ?」
「うん…でも違うよ。」
俺は一冊のノートを取り出した
「それなに?」
そのノートの中を俺は開いてユイカに見せた
「俺が書いたシンデレラの続き」
内容は王子様が実は、暴力癖があってマザコンで…しかも継母は超絶意地悪!そんな毎日でシンデレラは疲れちゃうって話。
「でも、これは勝手にゆうちゃんがつくっただけでしょ?」
「ああ、でもさ…もしかしたら本当にこうだったかも知れない」
「違うかもしれないじゃん」
「うん、確かにね。でも確かじゃない」
ユイカが若干悔しそうに俺を見た
「でも…」
俺はユイカの手にノートをのせて
「だからさ、そんな不確かな王子様より俺を見てよ。」
「見てたよ」
「なら知ってるよね、俺…優しくなったろ?マザコンでもなくなったし、母さんも優しい」
「そうだね」
ユイカが笑った
「ゆうちゃん王子様に嫉妬してたの?」
「そうだよ、5歳のときから王子様は俺のライバルだった」
王子様に嫉妬した、君を愛するが故に…。
おばけだ。
俺はドアを勢いよく閉めた。
深夜3時、用を足そうと寝室を出た俺の目の前に、一目でわかるくらいスタンダードなおばけが浮かんでいた。
全身真っ白の、先細りの尻尾を持ったそれは例えるなら尻尾の長い大根の様で、質感は布を被ったようにふわりとしていた。布大根。
それだけ見たならただの布大根にしか見えないかもしれないが、大きく横に切れ目を入れたような横広の口、ぽっかりとした空洞のような目、そして何よりも、手首から先をだらりと垂らして差し出すようなあの定番の恰好を見たら、誰だってあれをおばけだと認識するだろう。
俺も、見た瞬間はそう認識しそうになった。しかし、それだけで「おばけ」と判断するのはあまりに早計。失礼にあたるかもしれない。俺は、物事を安易に外見だけで判断するような人間ではないのだ。
でもそいつは「うらめしや」って言ってきたのだ。
おばけだ。
俺はドアを勢いよく閉めた。
何が「うらめしや」だ馬鹿。おばけは怖いから嫌いなのだ。
しかし、このままではトイレに行けない。
もう半分漏らしているので着替えも必要だが、どちらにしてもこの部屋から出なくてはことは進まないな。
ドアを少し開けて覗くと、案の定おばけはまだそこにいて、閉める直前にまた「うらめしや」と言ったのが聞こえた。
湿った寝間着が空気に触れて内腿を冷やしている。
よし、ここは強行突破と行こう。
ドアを隔てて、おばけまでは約一メートル。ひんやりと張り付いた寝間着を指でつまんで剥がし、意を決した俺は、ドアを思い切り開き、大きく一歩踏み出した。
「うらめしやうらめしやうらめしや」
「うるさいうるさいうるさいうるさい」
すぐに踵を返して寝室に戻りドアを閉める。
なんだあいつ連呼してきやがったぞ非常識すぎるだろだからおばけは嫌いなんだよばーかばーか
俺は半泣きになっていた。
仕方がない。最終手段だ。
俺は振り返ると、イビキをかいて眠っている母親の体を揺すり、乳歯が抜けたばかりの口で「おかあひゃん」と発音した。
眠りを邪魔されて明らかに不機嫌な母は、寝ぼけ眼も相まって地獄のような目付きをしている。俺は息をのむ。
のっそりと布団から出てきた母は、俺をひょいと小脇に抱えてトイレの前まで行って投げ捨てると、どすどすと帰って行き、最後に耳を劈くほどの音をたててドアを閉めた。
母親の去った後には、おばけどころか音すらも姿を消していて、俺がトイレで出すべきものも全て流れ落ちていた。
俺はいつの間にか迷い込んだ生い茂る雑草によりろくに先が見えない獣道を駆ける。駆けながら聞こえてくるBGMは足音と俺が草へ体当たりする効果音だ。俺は音を邪険に扱い、膝を上げる。足が進む。
足は石と蔦により数秒間隔でつまずく。転ぶ寸前に体勢を立て直し自身を一瞥する皮ふは葉っぱで切り傷が無数にあり、息はあたかも体育の授業での1500m走後、鬼教師による追加の500mを走り終えた後以上に上がっていた。だがまだ行けるさ!
こうなった元凶はたった1つ。俺が小5の時に親を口説き落として買ってもらった愛犬コロ――名前に似ずシェパードなのだ――が俺の親から貰っていたらしいおもちゃを友達と遊んでいた際にうっかり裏山へ放り投げてしまったのだ。中々見事な投球だったと思う。一応サッカー部なので言いたくない特技だと思うけどね。
まぁ、そうしたら寝転がっていたコロが呆気に取られ俺を見つめ、数瞬。俺へ吼え走ってきた。俺は驚き逃げ、友達は笑ってどこかへ行ってしまった。友情なんて所詮平常時だけさ、この野郎が。
肺が息を吸う量を確実に減らしていく。だが俺は減速なんてしない。俺の意地とコロの心との勝負だからだ。
枝葉を抜け道を蹴り終わると小さい池に出た。小川を小魚が泳いでいる。あ、今一匹跳ねたぞ!
綺麗に澄んだ水は14年生きてきたこの町で俺が見てきたものの中で一番神秘的に感じる。自分だけの秘密の場所を見つけた高揚感と達成感が、自然に俺の脚を止めさせた。
はぁはぁ、はぁはぁ……。息を整えるために足踏みをしながら恐る恐る振り向き俺はコロを確認する。……居ない!?足音もしないぞ?
あ、やられた!こんな道へは入った事がない、おそらくコロはおもちゃをもう見つけていつもの軒下に撤退しているだろう。俺は1人で一体何分走っていたやら。
アブラゼミと蚊が青空へ旅立つのを俺は見上げている。青空が橙を手に入れ、青を諦めた昆虫たちが俺を襲う前に、さっさとこの道を抜け出そうか。
帰ったらコロを撫ぜて、薄情物共へはゲンコツの1つでも入れてやらないと俺の今日は終わってくれないだろう。
木漏れ日が俺と足元の花をライトアップする。もう一度天を仰ぎ、俺は帰るべき場所へと歩を進めた。
俺の兄は、俺が生まれたときからずっとうちにいて、そして俺よりいつも六つ年上。幼い頃からつねに兄の天下、俺はいつだって兄の奴隷だった。呼び名だってそうだ。不用意に「兄ちゃん」などと呼ぶと
「ちゃん付けはやめろバカ」
と怒り喚いた。「兄さん」「兄貴」「兄上」いろいろと試したものだが、当人にはどれもしっくりとこなかったようで、結局「オレのことは、これから兄りんと呼べ」と、人前で呼ぶには少し恥ずかしい呼び名が決定された。
他の家庭のことは知らないが、俺にとっての兄りんは、いつもやっかいで疎ましい存在でしかない。年の差があるので、力でも口先でも絶対に勝てず、悪事や不都合なことはたいがい俺のせいとなり、父はもうとっくの昔にこの家にいなかったが、母親のご機嫌をとるのがとてもうまく、損をするのはいつも俺のほうだった。それでも俺に対してはいつも「長兄は損だ、割に合わない」などと愚痴ってばかりいた。
そんな兄りんと俺の関係も年を重ねるごとにだんだんと変わっていった。
高校時代の成績がそれほど悪くはなかった兄りんは、東京の大学進学を志望した。そして受験に二年連続で失敗した挙句、三年かけてようやく入った某有名大学を四度留年して、結局卒業年が地元三流大学卒業の俺と同じになったのは、今年の春の話だ。
俺の入社式の前日に地元の居酒屋で兄りんとふたり酒を共にした。その時兄りんの就職先は、まだ決まっていなかった。
「お前は明日からN食品か、まあ一流企業だな」
以前は偉ぶってばかりいたが、年々その表情に僻みの度合いが増してくる兄りん。
「兄りんにもさ、きっと向いている仕事が見つかるって」
兄弟そろって焼酎が好きというのは、まさに遺伝子のなせる業か。グラスの向こう側は、いわゆる無色透明の液体で可燃性である。水に対する溶解性はきわめて低いが、アルコール、エーテル、ベンゼン、クロロホルムなど多くの有機溶剤と混合が可能である。毒性を持ち、接触、吸入により速やかに人体に吸収され、中毒症状を起こす。沸点184℃、融点−6℃であり、20℃での比重は1.02、空気を1としたときの蒸気密度は3.4g/100mlであり、引火点70℃、消防法危険物第4類引火性液第3石油類非水溶性液体に該当、フェニルアミン、アミノベンゼン、ベンゼンアミンなどの別名を持つ、CAS番号62−53−3、化審法3−105、化学式C6H7Nの物質である。
彼も彼女も外に出る時には耳にプラグを着けていた。せめてもの防護服の一つである。
「見たくは無いものばかりだけ〜ど〜」エキセントリック少年ボウイが流れていた。
みざるいわざるきかざる
未猿岩猿着飾る
全てを見通して全てに蓋をして
しんどいよな。わかる。
街がいつから東京みたいになったのか知らないが
怖いよ
簡単な事だよ。一つ一つ、思い出してみる。するとね、ああ、その時の自分や他人の解釈が時代の解釈に流れに流され、仕方ない事だった事に、気づくんだ。傷くんだ。
みんな傷ついてた。
個性は傷だと気付いたら
それはポクモオナチ
過去の中に未来があった
今があるから過去と未来が繋がれる
「ただの祭さ。すぐに終わる。」
また消防自動車が走ってゆく。
「火事と喧嘩は江戸の華でい〜!」
今はいつなんだ
いつはどこなんだ
「ボクハココニイル〜ヨ〜」
かくれんぼの歌か。誰も探しには来てくれない。
会いに行こう。裸じゃ失礼だから、せめて服を着て。
もういーかーい
まあだだよ
もういーかーい
、、、
もういいかい?
もう、いいかいい
もう!いいかい!
モーイーカイー!!
、、、
ぼーひーかひー、、、うっ、く、
いいよ。みんな待ってたんだよ。あなたの事を。
みんな見失って、カギを無くしてしまってたのよ
そのカギをあなたが持ってた。
また、どこかで、
かくれんぼしよーぜー
おにごっこしよーぜー
今度はGPS使ってググって、マッハでゆくから〜
いいよいいよ、焦らないで。それこそ何にも見えなくなるから。
今、立ってる、そこで、
とりあえず歩けるように。リハビリしてさ。
できることからするよ。 すこしづつ
「あんたはやればできる子やって前からいってるやないの〜」
うるさい(笑)呆れた(はぁ)しゃあねえなあ〜 ははっ
自分の為にやるだけさ
いつか誰とでも笑える日まで。
それは過去現在未来進行形。
種まいては実がなり 実が種になり、
時がこないと実はならないから
ぼんやり と しながらね
再見。
今もひっそり、その家の端に汲み取り式の便所は在る。人ひとりしか入れない窮屈な個室、紙一重で天国とも地獄ともなる密室に、口を開けた白い便器の、黒い穴。外に繋がる配管から入る風が逆巻き、悲鳴のような不協和音が聞こえる。
毎日そこで用を足し、二、三か月で汲み取りを頼む。溜まった糞尿は排出され、またその奈落の底には、静かな暗黒が蘇る……はずだった。
金曜の夜に、飲み会から帰り、便器の穴に向かって、嘔吐した。きらきらと宇宙の端に流れる星の河のように、つまみのたこわさびやフライドポテト、お通しのホウレン草、コースのもつ鍋、汁に浸かった焼きおにぎり、デザートのフルーツとバニラアイス……やらの、筋や皮、澱粉や油分、蛋白質が日本酒と渾然一体となり、生臭い瀑布が闇に吸い込まれていく。糞尿の臭いとアルコールの匂いが舞い上がり、胸糞悪くなりながらも恍惚感を得る。穴は何でも容易に飲み込んでくれる。
……分別に困ったビニールの包装紙、ペットボトル、鍋の残汁、水に溶けるティッシュに吐き出した自慰の屑紙、髪の毛が入っていた弁当の白飯、キャベツの芯、腐った卵、黴の生えたパン、蜜柑の皮、溶けた冷凍食品、のびたカップ麺、焦げたカレー、穴のあいた下着、教科書、ノート、参考書、ヘアヌードの写真集、VHS、ブスにもらったチョコレート、壊れたMDプレーヤー、ペットのハムスター、内定通知に卒業証書、給与明細、ネクタイピン、皺くちゃの上下のスーツ、お見合い写真、海外旅行のパンフレット、婚約指環と婚姻届、偽造の契約書、キャバクラの名刺、後輩のアパートの鍵、書き損じた辞表数通、なけなしの五百二十七円、宝くじ、へその緒がついた胎児、麻雀牌、母子手帳、小煩い姑、離婚届、履歴書、ロープ、カッター、LPSD、シンナー、ペットのイグアナ、手首から垂らした鮮血、幸も不幸も……。穴は全てを吸い込んだ。過去も未来も餌食となって、魔の化学反応。廻転する闇、呼吸するブラックホール。
闇の底で、腐敗し、熱を生み、じゅくじゅくと泡を立てて、食材も生理物も、思い出も混沌に帰す。自分を便所の中に生み落とした独り身の母の記憶さえも……。
消えた命、消えゆく命、生まれた命、その微かな命から神は生まれる。
蠢く闇、寝返りを打つ闇、手招く闇、汚物の濁流、汚臭の嵐、暗黒領域……そして或る日、住人はその生贄となった。
空洞に風が吹き、神の産声に白骨が嗤う。
私の学校では『あいつ殺そう計画』というゲームが流行っています
ルールは簡単。気に入らない奴を選んで、そいつをいじめるだけです
でも、ただいじめるだけではダメです
やるからには徹底的に。それがこのクラスの番長的存在である林君のポリシーなのです
一部の不良達から大変人気なこの計画ですが、第二回目の抽選日となる今日、不幸にも目をつけられてしまうのは一体どなたでしょうか
「あいつにしようぜ」
私の後ろから林君の声が聞こえました。どうやら対象者が決まった様です
今日から私は、内心ドキドキしながら計画の実行を待つ事になります
不安や恐怖は勿論ですが、私も人間です。気に入らない奴の一人くらいはいます
そいつが選ばれればいいな、という気持ちだって……
私は小六の女の子です。最近になって生理もきたし、胸だって男子とは違います
ブラも数着くらい持っています。必要と感じたのは今年になってからです。それまでは多少こすれようと気にしていませんでした
その時に見られていたのかな、学校の裏サイトの掲示板に私の事が書かれていました
“英梨の乳首って黒いんだぜ?”
こんな嘘っ八、最初は相手にしたら負けと思っていました。けど、翌日になってもそれは続きます
“英梨は彰と付き合ってるらしい”
彰は授業中に脱糞したパンツを私に投げつけてきた……要は私が一番嫌いな男子です
学校でも話題になっていました。直接は聞いてないけど、そうに違いありません
私が教科書を忘れた彰に教科書を見せただけで「ひゅー」とからかわれました。私だって好きで見せた訳ではありません。先生に言われて仕方なくです
その時から私を見る皆の目が好奇の眼差しへと変わっていく様でした
親友の恵も私に話しかけてくれなくなりました
皆して私を汚物扱いしている様でした
裏サイトにああいう事を書く奴がいる。どうしてまっすぐ生きられないの。ムカツク
犯人を見つけてこらしめてやる。私が受けた苦痛と同じ思いをさせてやる
そう思いました
だけど、匿名の掲示板です。誰が書いたかなんて解りません
どうしたらいいのと考えている時に、ふと気がつきました
あの計画に、私が……?
「日記はここで終わってます」
「自分で首を吊ったのだろう……かわいそうに」
「生徒の話では前回の……その『あいつ殺そう計画』とやらに選ばれた小出凛も自殺したそうです」
「死因は?」
「練炭自殺です」
「僅か二ヶ月の間に同じ学校で二人も……林容疑者を署まで連行しろ」
彼の名前は矢村守――二十六歳、独身。
時間は午後三時十五分
目の前に立ちはだかる大きな壁と対峙していた。
カラカラ……カララン。
「……今日最大のビッグウェーブを乗り越えたと思ったら早々に次なる試練とは――神様も根性悪いなぁ。」
と、会社の洋式トイレ便座に深々と腰をかけ腕を組みながら守は呟いた。
「まさかぁ――トイレットペーパーが十センチしか残ってなかったとは……。」
トイレットペーパーホルダーの「芯」だけになった元トイレットペーパーを見つめながら計算してみたが状況が「芯」だけでは打開出来ない事は明白であった
項垂れて一人呟く守の脳内に『声を殺して泣く/人生に抗う』という二択が現れては消えていった
念のためズボンのポケットを探ってみたが出てきたのは破けたコンビニレシートとガムが一枚……
脳内の選択肢が『人生をやり直す/人生に抗う』に変化したが目の前の現実には何の変化もなかった
「――これは、かなり特殊な方法を思いつかないと越えられない壁だな。」
性格のなせる業か無意識に『人生に抗う』を守は選択していた
「……いやいや、待てよ……約五分前に俺が個室トイレに入った時には十センチ残っていたわけだから……」
守の脳内に一人の偉人の顔が浮かび上がった
「――ありがとうございますアインシュタイン先生! 今こそ一般性相対理論を立証する時です!」
守は晴れ晴れとした笑顔で一人叫んだが脳内に浮かんだアインシュタインの顔のディテールがかなり曖昧だったのは言うまでもない……
「確か光速に近づくほど時間の流れが遅くなり――光速を超えてしまった場合は時間を戻る事ができるはず……と何かの本で読んだ覚えがあるぞ!」
出所が曖昧な知識であったが……今の守には一点突端な理論であるため迷いは一切無かった
そしてホルダーに掛かった「芯」の上に両手を軽くそえた
「つまり、この芯を光速以上の速度で回転させると時間が戻り――新品のトイレットペーパーが現れるわけだ!」
と、叫ぶと同時に両手を交互に動かし「芯」を回転させた
――回転、回転、また回転
少しずつだが回転速度が上がる
信じられない速度で両手が動いた
「芯」の回転速度は音速を超え――そして光速を超えて時間が逆行した
彼の名前は矢村守――二十六歳、独身。
時間は午後三時十五分
目の前に立ちはだかる大きな壁と対峙していた。
「何が室内禁煙だよ」
と、口に出してはみたものの、世間的に煙草は悪しという風潮になりつつあるし、そもそも事務所内禁煙になったのは自分の発言が原因であったので、それはもう虚しい叫びだった。本日は朝から雨降り、屋上に人はいない。小さな庇の下で背を壁に付け、マルボロライトメンソールを吸う。
空はどこまで眺めても灰色の雲が覆っていて、コンクリート打ち放しの暗狭所を思い出させた。まあ、事務所のことなのだが。あんな所で作業をしていては、いくら真面目な私でも陰鬱にならざるを得ない。たびたび一服したくなるのも自然な現象だろう?
空を見上げているうちに、自分の心理と天気とのリンクに爽やかさを感じた。降雨だってなかなかいいものだ。風が吹いているので、蒸し暑さもないしな。
ふと思い立ち、手摺りの方へ足を向ける。もちろん飛び降りようというわけではない。手摺りに両手を掛け、首を突き出して下を覗き込む。何をそんなに急ぐことがあるのか、黒のキャデラックが水飛沫を上げながら南へ向かっていく。人通りはまばらだ。いくつか透明のビニール傘が並ぶ中、文字通り異彩を放つ一張の赤い傘がある。仄暗い世界には不釣合いなその赤い傘には、どうしても目を取られる。
男性が持つには派手すぎる。さらに平日の昼間であること、ここがオフィス街であることを考慮すれば、傘の下にいるのはOLか。なにか良いことがあったのだろうか、傘が上下に踊っているように見える。あるいは、女性にとってランチというものがそれほどまでに楽しいもだということか。どちらにせよ、幸せを少々分けて頂きたいものだ。いや、単純に雨が好きなのかもしれないな。ならば仲間として歓迎しようじゃないか。
流石に雨に晒された身体が冷えてきた。手摺りを離れ庇まで戻る。上着を脱ぎ、ずぶ濡れの頭を掻き毟った。
そこに部下がやってきて、客人の来訪を告げる。下を向くな、顔を見て話せ。その使えない部下に言伝をして、客人の下に戻す。見上げても見下げても、女神は微笑んでいないようだ。
マルメラの火は消えてしまっていたので、ジッポで二本目に火をつける。上昇気流に乗った紫煙が虚空ですぐに消えてしまうのが、何故だか物悲しい。下がりきったと思っていたテンションが、さらに下がることとなった。
「これで最後の一本だ」
そう呟きつつもシガレットケースをポケットにしまう。記念すべき十度目の禁煙宣言だった。
翼姉が「あいつ絶対殺してやる」と呟きながら首を吊って死んじゃったのが昨日のことだった。夜明け前の真っ暗な部屋は、壁に備えつけられた幾つかのランタンで照らされているだけだったのだから、寝ないでゴソゴソと何かしてたら確実に視力が悪くなるので、やめた方がいい。当たり前のことだった。でも、翼姉は何かしてたわけだ。
死んじゃえば、目が悪くなろうがなるまいが、構いやしなかったんだろうけど、死に様を見守っていたあたしや澄佳は困る。……よくできている。翼姉はあたしより歳が二つ上ということを抜きにしても頭がよかったから、そういう計算は得意だった。二つ下の澄佳は、ドジでのろまですぐ泣く子だから、翼姉が遺していった色々なメッセージには当然気づいていないだろう。
あたしたちが仲良く閉じ込められているこの石牢の中には幸福も安息も希望もなかった。時々、ニヤニヤ笑ったおじさんがやって来ては、あたしたちの誰かを連れていって、お酒を飲ませたり、ビデオを見せたりした。夜遅くになってようやく解放されると、ボロボロの毛布に包まって身を寄せながら短い睡眠をとる日々が続いた。
そんな現状に対して、翼姉は一つの解答を見せたのだ。つまり、あたしたちが等しく着せられているボロ切れは、首を吊る道具として使えることであるとか、この牢獄の中で“最高級”の知識や知恵を動員して得られる最善の脱獄方法は、所詮そんなものでしかないんだよ、という忠言、もっといえば、暗がりで姉の死を看取って目を悪くしている場合ではない、私はそんなの関係ない世界に行くんだよ、さあ、あんたたちも早くおいでなさいな、という慈愛に満ちた促し、あとは、怨念の怪物にでも成り果てて、あの外道どもを呪い殺せるかもしれない、というオマケじみた願望……そんなものをない交ぜに詰め込んだロクでもないメッセージを、翼姉はあたしたちに送ったのだった。あの凄絶な自殺によって。それを止めることは、できなかった。一回性を理解せず怯えるだけだった澄佳にはできなかったし、あたしにも、できなかった。
君のように辛い事をいつまでも大事にできる人なら、
たった一つ、こんな些細な出来事でも大切にしていける。
僕なんかとこうして話せたうれしさでも大事にしてくれる。
君だから人に優しくしてあげられる。
……キリンの話す言葉は、いつも溶けかけたチョコレートみたいに甘くてやわらかいもので出来ていた。
キリンは最先端の情報知能科学が結集して生まれた対話型の心療機械だ。本体はぬいぐるみの中に埋め込まれていて、それがうちの場合、首の太ったキリンのぬいぐるみだったわけだ。うちの、っていうのは、この機械が今では日本の全家庭に置いてあるからだ。国が三回目の定額給付金の代わりに、無料で全家庭に配布したのがちょうど一昨年の今頃になる。
配布が決定された当時はマスコミやネットでさんざんに議論の対象となったけど、いざ施行されてみると、皆お腹が膨れたように静かになった。人によっては、ぬいぐるみにイヌとかネコみたいな名前を付けていて、それがうちの場合、キリンだったわけだ。
キリンのデータベースは週に一回、今はもう使われなくなった携帯電話基地局を利用して行われる。もちろん通信料は無料だ。キリンの対話能力は常に適切に改善されていく。元々は心療内科で患者のリハビリ用に開発された機械だが、凄惨を極めた一昨年の新卒学生一斉自殺があってから、政府は一般家庭への配布を決断した。
無料無料と世論の食いつきが良い言葉を並べているけど、実はこの機械には一つだけ料金の発生する事柄がある。バッテリーだ。
キリンの電源装置には国産の高品質な部品が使われているけど、肝心のバッテリーセルだけは比較的短い寿命が設定されていた。およそ二年。バッテリーが切れた機械は有料の交換サービスを受けなければならない。その金額が非常に高価であるとわかったのが去年のことだ。バッテリーの材料に使われている、レアメタルの生産国で戦争が起きたのだ。それは今も続いている。
キリンのバッテリーはもうすぐ切れるだろう。素直に言うと、私はキリンの言葉にとても助けられてきた。キリンがうちに届いてから、少しだけ幸せだった。私は、この生活をもっと続けていきたいと願っている。
しかしながら、私には、キリンの寿命を延ばすだけのお金がない。
それから、私は日課として家計簿をつけ始めた。これは、若者の将来や、ましてや戦争などには関係がない。
今夜もキリンが話しかけてくる。ただそのために。
「弁当、間違えたらダメだぞ」
私が学校に行くとき、義父は必ずこう言う。弁当と『お弁当爆弾』を間違うことのないように。
義父の職業は『掃除屋』。
世界の危険人物を一週間に数人『お弁当爆弾』で掃除するのが仕事だ。義父が弁当片手に出かける度にこの星は好転の兆しを見せる。
だけど義父が自分の仕事を誇ることは決してなかった。
「父さんは薄汚れた罪人だ。お前は絶対こうなってはいけないよ」
義父はタブラ・ラサだった私に何かを与える度にそう言った。普通の生活と普通の教育。沢山の愛情と思い出。笑顔。夢。思想。炊事洗濯。爆弾製作。護身術。エトセトラ、エトセトラ。そう、私の全ては義父で構成されていた。
爆弾作りを覚えた頃、義父に恩返しがしたくて「仕事を手伝いたい」と言ったことがある。義父に叩かれたのは後にも先にもその時だけだった。
「それだけはダメだ。そのためではない」
当時はその言葉の意味がよくわからなかったけど、義父の悲しそうな表情を見て間違いを犯したとだけは悟った。
その後私は、与えられた『普通の世界』に溶け込もうと努力し始める。そうすることを義父は一番喜び、故に恩返しになると思ったからだ。
努力の結果、私は国内最高学府に所属することとなった。『普通の世界の最高峰』に義父はこれ以上ないくらいに喜んだ。
「お前は父さんの誇りだ」
その言葉でつい涙が零れた。義父の一部となれたことが、少しだけでも恩返しができたことが嬉しかったからだ。
――しかし、後日。
義父は散歩中に死んだ。
お昼の弁当と、『お弁当爆弾』を間違えて。
今思えば義父は初めからそこで死ぬつもりだったのだろう。『その日に限って義父が私より先に家を出た』ことが全てを物語っている。
では何故? 一体どういった理由でそんな真似を?
皮肉なことに今の私ならその予想がつく。義父は私の成長を見届けた。即ちその自分勝手な『贖罪』を終えたのだ。
だから、死んだ。
でも。
私は今も叫んでいる。
父さん、それは違うよ。
私は父さんの否定をしたくて頑張ったんじゃない。
私自身をもって、父さんの正しさを肯定したかっただけ。
ただ、それだけだった。
爆弾を抱いてすすり泣く私を尻目に、世界は在りし日の姿へと戻っていった。義父が死んだあの瞬間から、この星は憎悪と怨嗟の輪廻に再び包まれたのだ。
鼻を擽る火薬の匂い。
その時、私は選択を迫られていた。
その日、乗合汽船の発着所の便所に――木の床を長方形に切り抜いてあるそこに尻の穴がうまく収まる具合に跨って――いた私が「物思いに溺死寸前人間とでも触れ回って見世物になろうサーカスの」と頭を垂れていると、負けず劣らずの沈思黙考顔をゆれるその川面に見出し、その面があんまり気に喰わないもんだからひり出した便で糞味噌にしてやった、という事がまずはあり――この文章が文芸誌に掲載される頃にはもう読者諸氏の興味も尽きているやも知れぬあのどこそこ商会重役の土左衛門が婦人の股を覗き込んで笑っていたという穴は正にここの事である――翌日、内の厠で尻を出していると行儀の悪い派出婦のF子がぬっと手を入れて来て「はいよこれ。目を通してくれってさ。とにかく急なんだって」というので出掛かった奴を引っ込めて手紙を受け取ればそこに「私も御一緒して宜しいですかサアカスに」と女の字で書かれてあるので魂げ、出るものも出なくなってしまった。私はその頃、後の世――私が死んで五十年後ぐらいの日本――でいうところのストーカーに悩まされており、これはもう絶対にその女が寄越したものであろうと考えたわけである。一九六五年の浅丘ルリ子似の彼女に付き纏われるお前は幸福者よな、などと酒餓鬼どもは好き勝手に与太るがこの女は私の腹違いの妹なのであり――きっとそうに違いないのだ――それに私が愛しているのは飽く迄も母なのであり、中に入りたいのもまた浅丘ルリ子ではなく私の母なのである――遺憾ながら実際はF子にお願い申し上げている――がしかし、あんまりすげなくしていると入水させられないとも限らないのでたまには逢う。尻を拭いて手紙にあった店へ。見覚えのある少年の手で小部屋に押し込まれると、ヘビーローテーションなゴンドラの唄のその中にあったのはしかし三十二歳岡田茉莉子似の母の姿であった。すでに裸婦であった母は私の服を脱がし終えると入口のみを扱う豊富な方法を用いて私の全身を刺激していき、朝方F子にさんざん搾り取られたはずのものの迸りをその厚い唇で受けるのであった。
「どうしてこんなことするの」と私はいった。
「お父さんが死んでしまってもお母さんは女のままなのよ」と母はこたえた。
「ちょいとぉ」
F子だ。
「漏れちまうよぉセンセぇ」
また、夢を見ていたのだ。
便所にひきずり込み危険日のF子を犯す。
母にそんなことはしない。
あそこは私の居場所なのだから。
「ファミレス行こうよ」
昼下がり。本に没頭する穏やかな時間は絵里からのメールによって乱暴に破られた。諦めと憂鬱。いつものようにこの忌まわしいメールを削除し、外行きのブラウスを羽織る。
「今日はデートじゃなかったの?」
二股が発覚したのだろう。我ながら白々しい問いだった。絵里は切り分けた肉をしきりに口に運び、咀嚼しながらもごもご言っていた。肉は食道から胃へ。胃には溶解した肉や芋がどろりとひしめいている。しゅっという音が絵里の口から漏れた。
「あんたこそどうなのよ」
詰め込んだ肉をメロンソーダで飲み下し、かすの残った口を開く。絵里の口は性器となんら変わらない。吐きかけられたげっぷを打ち消すように煙草に火をつけた。絵里の吐息と煙草の煙が私の肺を黒く満たして汚れを残す。
「別になんにもないよ」
私がジッポをいじるのを絵里は見逃さなかった。
「あんたジッポなんか使ってたっけ?」
「気分」
「ジッポといえば伊藤君」
見透かされた。視線が絡みつく。目を合わせてはいけない。
「伊藤君かっこいいよね」
「そうかな。別に普通だよ」
「じゃあ構わないよね」
鼓動が漏れていないだろうか。テーブルに置かれた煙草が目に入る。細長いメンソールとブランドのガスライターは売春婦だ。
「構うってなにが?」
「別に。気になるの?」
絵里は食べることを中断し、携帯を開いて素早く指を動かした。
「気になる」
「伊藤君って付き合ってる人いるのかな?」
胃に落ちた肉は溶かされる。絞りかすは腸に蓄積されてやがて排泄される。絵里は性器と化したその穴から糞をひり出す。
「さあ。いるんじゃないかな」
「いなくてもあんたじゃきっと無理よね。だって顔に傷あるもん」
絵里は意味ありげな視線を向け、再び肉を口に運び始めた。
私の顔には左目から唇の脇にかけて縦に一筋の傷痕がある。子供の頃に私が一人で転んだことになっていた。突き落としたのは絵里だ。
腹を切り裂き皮を剥がし濃桃色の汚物を白日の下に晒す。
氷を噛み砕く不快な音で私は現実に戻された。絵里が空になったグラスをストローで啜っている。私は溜め込んだ息を吐き出した。
「飲み物持ってこようか?」
「カプチーノ」
ドリンクバーに向かう後ろで携帯を開く音がした。熱湯を浴びせたら爽快だろうな。でもきっとそんなこと出来ない。
「伊藤君フリーだってさ」
絵里は笑いながら言った。もう全てがどうでもいい。私はふくらはぎを掻いた。
冥王星。数多に輝く星空の中でたった9つだけ、名前がある星の1つ。その冥王星が、冥王星でなくなった。名前のない、数多に輝く星達に溶け込まれ、見えなくなった。そう、あれほど熱い想いを秘めていたのに、ある日突然いなくなったあの子のように。
君と過ごした時間は、人生の長い時間で考えると、とてもとても短いものだったけど、それでも僕は楽しかったよ。君は以前言ったよね。「私は一番外側にいるから客観的に物が見えるの。」本当にすごいと思う。誰でもみんな、内側に入りたいはずなのに、あえて外側に立ち、みんなの様子をじっくり伺う。僕はそんな君が、好きだった。そして君も、僕のことを好きだと言ってくれた。あのときは、本当に嬉しかったよ。
なのに君は、何も言わずに僕の前からいなくなった。なぜ?どうして?いくら考えても、答えは見つからない。唯一分かるのは、君の意志ではなかったこと。君を取り巻く周りの人達が、君の意志を全く無視して決めたのだろう。それくらい、僕にもわかるよ。だって君は言ったじゃないか。君がいなくなる前日、いつも立ち寄る公園で「今度の夏休み、2人でどこかに旅行に行こうね。約束。」と。その約束はもう、守れないのかな。
数ヶ月後、差出人不明の封筒が届いた。少し怪しげに思いながらも封を開けると、数枚の手紙が入っていた。一目見たら分かった。君からだということが。まだ読んでいないのに、涙が流れた。「泣かないで。きっとまた会える日が来るから。だから、泣かないで。」涙が溢れて、全文はよく読めなかったけど、この一文だけははっきりと読めた。だからこそ気付いたのかもしれない。手紙の所々に、僕のではない涙が落ちた跡があるのを。君はこれだけの涙を流しながら、この手紙を書いたんだね。涙を流しながら、僕を気遣って、泣かないでと書いたんだね。そう思うとますます涙が溢れてきた。君にお願いしてもいいかな。明日からはもう泣かないから、今日だけは、思う存分泣かせてくれ。
きっと、僕が生きている内はもう会えないと思うけど、君が言うように泣かないで、また会えることを信じるよ。
僕がそう決意したその日、僕と君のいつもの公園には、秋には似合わない春を感じさせる穏やかな風が流れた。そこで僕は空を見上げて、君の面影を見つめているよ。
此処三日と鳴っていないケータイ。社会に居る皆は、僕とは関係の無い所で、自分の仕事に励み、連絡の無いまま、五日が過ぎて、来ないメッセージを確認して、僕は六月の畳の上で横になり、まどろむ。そして夢を見た――。
カメラ片手に、青暗い中、ぼんやりと雪面の波状が浮かび上がる、月明かりに照らされた雪山を、風も無い中、勾配の急な斜面を、登って、登って、此処まで来ればと、一本の樹氷の前で、腰深く雪に埋もれた体を翻し、臨むは黒く透き通った空気を、紺色に染める淡い星空と、向こう山下、地表の皴に囲まれて、小さく集まった、町の光。綺麗だ、此れを写真に撮ろう、巧く撮れるだろうかと眺めていると、町の光が、幾重もの筋になって、僕に向かって飛んで来た。幾筋も幾筋も、飛んで来ては目の前で、弓状に跳ね上がり、遠い星空へ帰って逝くのを、僕は唯々見送った。目の前を過ぎ去って行く物に、どうシャッターを切ればいいのか、判らない。シャッターに掛けた僕の指は、背筋から連なって、そのまま固まっていた。
僕が登ってきた、雪山の、下の方から、声が聞こえて来る。「まさー、まさー」と、僕の名を呼ぶ、母親の声で、僕は、あぁなんでこんな雪深い所まで、僕を追い掛けて、あなたも来てしまったか、僕なら一人、降りて帰れる、僕を探しに来て、現に今、道の逸れた雪の中に、入ろうとしてしまっているのは、あなたではないかと、僕は心細くなる。僕は帰れるよ、でもあなたは、雪山に登った息子を、連れ戻そうと、其れしか頭に無くて、このままでは、僕を探しに来たあなたが、遭難してしまう、深い雪にはまって、死んでしまう。そう思うと、居ても立っても居られず、僕まで酷く寂しく、心許無くなって、耐えられず口から「おーい、おーい」と、喉のはち切れんばかりに、声を振り絞ろうとするも、どうにも喉と声が噛み合わず、出てくるしゃがれた声は、目の前に広がる世界に響こうとしない。母の居る世界の向こうまで、届こうとしない。目の前一杯の空気に、受け入れられない声に、勘寒く、もう一度、腹一杯、喉を強く開き切って、「おーい」と声が出たと思えば、其処に不釣合いな大きな声が、部屋の壁に酷く当たり、声が出たと同時に目を覚まし、そして僕はまだ手元に残って居た物を思い出した。
図書館の入り口。金属探知機が鳴った。
こんな障害があるとは思わなかった。
ひとりの警備員が近寄ってくる。
すこし離れた壁際にもうひとりヘッドセットマイクで通報している。
銃を持って入館しなければせっかくここまできた意味がない。
いままでなんども困難を切り抜け道をひらいてきた。いま使える作戦はないか、……。
待ち伏せされていたこともあった。海の狼たちは青紺に広がった大西洋にひそんでいた。
チェックされたらひとたまりもない、しかたない。
右手でほうきを持つように銃身をにぎりコートから取り出してぶら下げてみせた。
警備員ははっと身構えた。さらに近寄ってくる。
「これは研究用だ」と……なんでもないような顔をした。
「とんでもない、金属は持ち込み禁止。もちろん銃器などは絶対だめ」
警備員は声を荒げることもなく言った。
「それがあんたの研究資料なら、とんでもなく悪い日だよ。きょうは上院議員さんのパーティなんだ。さあ、こっちへわたしてくれ」
取り上げてしまえばあとは老人の繰言につきあっても良いと考えたのかもしれない。ゆっくりと手をのばして銃を取ろうとした。
「これは、杖だ。生きているなら戦いはつきものだ」
銃を取られたらつぎは逮捕される。おしまいだ。ここまでか……時間かせぎにもならないことをいいながら――わたしは考えつづけ。
ふっと、笑いながら警備員は応じた。
「御老人、もう戦うこともないでしょう」言葉には揶揄する響はなかった。
「馬鹿者! お前のようなノータリンがこの国をけがしているんだ。まったく情けない」
「はぁ、しかし、――わたしと銃は無関係です。とにかくそれを預かります」
警報が鳴りつづけている。わたしは銃をはなすきはない。
これが仕事だといわんばかりに、情け容赦なくのしかかるように威嚇し銃を取り上げようとする。
これが国家権力のやりくちだ、瞬間、この警備員への情けを忘れた。
右手がすっ、と動き、対面する警備員の下あごに銃口がせまった、左手を伸ばし引き金を押した。
防弾チョッキに沿って弾はあごを突き上げ、追いかけて噴出した発射音が高い天井に広がった。吹っ飛ばされて仰向けにひっくり返ったむざんな死体。死顔はきれいだった。
きょうはここで親玉に意見してやるつもりだったのに、これでまた失敗だ。情けない。
皆がいっせいに床に伏せ、壁際の警備員がこちらを狙って撃った。
俺の話を聞けそうすれば何もかもうまくいくのに。また失敗だ。情けない
俺は天才という奴が大っ嫌いだ。
昔から奴らと俺は比べれられて来た。
俺がどんなに頑張っても、あいつらは俺の上を行きやがる。そのせいで俺はいつも不当な扱いを受けてきた。
だから俺は考えたんだ。どうすればあの、まともに努力もせず才能なんていう物でのうのうと生きていくあいつ等を絶滅させられるか・・・
考えた末、俺は行動を始めた。この間違った国を変えてやるため。
まず手始めに政治家を目指した。あらゆるコネを使い、裏の世界にも手を出した。
やっと政治家になり、国政に関われる様になるまで相当な時間がかかったが、それでも俺は諦めなかった。
しかしここでも俺は天才と比べられた。俺よりも若いくせに俺よりも早く政治家になり、上からも一目置かれているような奴がいたのだ。
「所詮君は秀才だね」
当時の上司から言われた言葉だ。
その言葉で俺はさらに天才への怒りを増していった。
そしてその頃から俺は、裏の世界でも力を伸ばしていった。こっちのほうが自分に合っていると思ったからだ。
まず目障りな奴を・・・あの天才呼ばわりされて鼻の下をのばしている野郎をコンクリに詰めて埋めてやった。
当然皆訝しんだが、行方不明として片付けるように俺が操作した。遺書に見える書置きもでっち上げたからみんな納得した。
「天才ゆえの苦労があったんだろうな」なんて事を皆して抜かしてやがった。ハハッ本当笑っちまうぜ。
それからの俺を止められる奴はいなかった。
裏と表をのし上がり、ついに俺は最高の権力を手に入れた。
そして今日。ついに天才をこの世から消し去る「天才規制法」を可決させる。長かった俺の悲願も今日やっと実を結ぶのだ。
「おい、見ろよあの人」
国会の前で、道を行く俺を遠巻きにを見るスーツ姿の若者らがいた。
「ああ、流石にここからでも溢れんばかりの才気が伝わってくるな・・・」
おそらくうちの若集だろう。少し鼻を高くしながら俺は歩く。こいつらは俺の努力をしっかり分かっているのだろう。いずれこういった者達が次世代を担っていくようになるのだから俺のしている事は正し・・・
「やっぱり天才ってのは格が違うな・・・」
え?
地下鉄に乗って午後三時。だが地下だ、暗い。暗い暗い暗い隧道を黒い黒い黒い地下鉄がいくらいくらいくら走っても闇には追いつけぬ。地下鉄は空いている。が座席は埋まっている。私は立っている。地下鉄を好いてはいない。が予定は詰まっている。私は乗っている。
隣の背広が窓あけた。だが地下だ、暗い。暗い暗い暗い隧道の黒い黒い黒い空気がいくらいくらいくらふきこんできても彼は気にかけぬ。私はそれがわからない。が書類は溜まっている。私は読んでいる。
ふと顔あげた。窓ガラスが半分押し下げられできた空間。閃が光においてきぼりを食らう。気づいた。窓ガラスには私の身体が映る。が外の闇には映らない。ちょうど私の首から上が無い。私の身体はここに在り。が窓には首が無く。五体不満。私の愛しい愛しい愛しい首。おいてきぼりをくらったのでは。今頃はるか後方の暗い暗い暗い隧道で怖い怖い怖いと泣いて泣いて泣いているのではないか。しかしいくらいくらいくらクライクライクライしたところで助けは来ぬ。あわれな首は自分の受けた仕打ちの酷さを思い、いじらしくも独り歩みだす。が足が無い。首は座っている。
隧道には鼠。やがて黒い黒い黒い鼠たちが首の回りに集い集い集い。群衆。が鼠はつまらない。なんだただの首か。そう首が地下鉄の窓からこぼれおちおいてきぼり食らうなどよくあること。鼠たちは思い思い思いの方角へ去、三匹が残。さあどうするこの首食してしまうか。一匹言う。やめて僕を食べないで。首言う。それじゃ、どうしたい。ひときわ出っ歯の鼠言う。僕を地上に出して。身体を見つけられるかも。鼠たちはしばし黙。無理だとは思うがね、やってみよう。
出っ歯の鼠が先頭、顎の下に入って首支え。残りの二匹が後衛、首の断面の下支え。えっこらえっこらえっこら彼らは歩く歩く歩く。脇道に階段見つけチュウと鳴く。されど登れず。壁際に梯子見つけてチュウと啼く。やはり登れず。進むうち廃駅見つけチュウと泣く。なおも登れず。暗い暗い暗い隧道をますますます暗い暗い暗い気持ちで進みながら首は堪え切れずにクライクライクライされどいくらいくらいくら泣いてもどうにもならぬと鼠鼠鼠はチュウチュウチュウだが首はきゅうきゅうきゅう。
私は散々の眼精疲労で凝り固まった首筋を押し込みながら青山一丁目で降りた。地下鉄を好いてはいない。が空想は猛っている。改札を出る。が残額足りぬ。チュウと鳴く。
布団が燃えている。
綿が空気をふくんでいきおいよく炎をあげる。
いったいどこで眠ればいいのだろう、新しい布団をさがすのか。新しさを装った布団はふたたび、喜劇的に燃えあがるにちがいない。
目を閉じるのがこわい。
三日三晩の徹夜を明ければ、燃えない布団が手に入るのだろうか。百日百晩ではどうだろう。
枕にうずめて和らいだ表情を浮かべる幻の一夜は、遠ざかってかすんでしまった。足にふれるシーツの理くつのないぬくもりは消えてしまった。
瞼を閉じ静かに寝息を立てる少年は、まるで乾涸びた屍体のようだ。
こんがりと燃えて、風が灰を散らかす残骸のうえに腰をおろす。
横になると散り散りに燃え残った綿たちが、ささやきはじめる。
いつになれば眠れるのか、いつになれば眠れるのか。
頭をあげると夜が満ちている。
きらめく星をたよりに起きているほど気は抜けていない。眠ることはできずにあたりを眺めている。
醒めたまま、焦げてつかいものにならない布団のうえ、目を閉じ眠ったふりをする。
いつになれば眠れるのか、いつになれば眠れるのか。
まだらに焦げた綿たちは、くまなく燃やしつくされる。浴びせる熱線はみずからの身体をも焦がしてしまう。まっ黒の顔を映してみると、笑いが止まらない。
いつか夜が、一面を黒漆で塗りこめたような、重苦しい夜が来るそのときに、おそるおそる瞼を開ける。
いつになく寂とした夜。燃えつきた布団は種火にもならない。
目が開いているのか閉じているのかわからない、眠っているのかいないのかもわからない、夜が沈んだ夜。
虫の羽音があたまのすみに聞こえはじめるまで、夜は黙っている。
やがて陽が昇ってあたりが靄に煙ると、両手を伸ばして起きあがる。人びとの布団は轟々と空気をすいこみ炎をあげている。
燃えるのならば、燃やしつくしてしまおう。暮れれば灰に瞼をおろし、夜を待っている。
路傍に生える草に目がいかなくなったのは、身長が高くなったせいなのだろう。
目線の高さは見る世界を変える。
子供のころはどんな雑草にも名前がついていた。
友だちを愛称で呼ぶように、自分で名前をつけた。
今はもうその名のほとんどを忘れている。
有り余る時間の使い道に困り果て、公園の片隅でどろんとしていた時のこと。
なんとなく足元の雑草をむしる。
ハートの形をした房を持つその草は、子供の頃ぺんぺん草と呼んでいたものだった。
私は昔を思い出し、軽く房をつまんで一センチほど千切れない程度に茎から引き剥がす。
同じことを数個の房にしてやる。
するとぺんぺん草は萎れたような感じになって、いかにもみすぼらしい姿になった。
それを耳元に持っていき、でんでん太鼓のようにくるくると指先で茎を回す。
房たちが飛び跳ね、からからから、と何かが弾けるような軽快な音が鼓膜を刺激する。
リズムも何もない無機質な音。
何の意味もない無駄な行為だったと、私は手を止める。
幼い頃はたったこれだけの事が人生にとっての重大事だった。
ただの雑草から不思議な音が聴こえてくる。
それは発見であり、好奇心の発芽だった。
こんなにも楽しいことがあるなんて、と、これだけのことに喜んだ。
分からないことがある、先の見えない世界がある、それは恐らく幸せなことなのだ。
私は足元に生えるほかの雑草たちに目をやる。
ぺんぺん草とは違う雑草たち。
彼らにもかつて、名前があったはずだ。
私だけの名前が。
もはや思い出すこともない。
感情はここの所ずっと平行である。
凹凸がない分、潤いもない。
遠くから子供たちの声が聞こえる。
時計を見ると昼の二時を少し過ぎたあたりを指していた。
ぺんぺん草の時代からもう二十年も経ったのだなと、ふと考える。
業績が悪化した会社からお荷物扱いされて、追い出されるように辞職した。派遣の仕事で糊口をしのごうとしたが、待遇は悪く、休みなく働かなければならなかった。そのうち体を壊し、家賃を工面できなくなって、住居を追われた。
もういい、死のう。だが、最後にひとつだけわがままを許してほしい。
俺は決して怠けていたのではない。常に必死だった。それなのに事ここに至ったのは、俺が悪いのではないだろう。社会が悪いのだ。俺はこの社会に殺される。ならば、俺も最後にわずかなりとも抵抗しても良いだろう。最後に、爪痕を残してやる。
俺は最後の力を振り絞ってわずかな金を稼ぎ、手製爆弾の製造法と材料を入手した。さてこれでどこを壊してやろうと思うと、それをなしただけで自分が死ぬことがもったいない気がしてきた。よし、これを元手にもっと強力な武器を手に入れよう。俺は猟銃店を爆破して散弾銃を手に入れ、それを用いて現金輸送車を襲撃して以前では考えられない大金を強奪した。
俺が悪いことをしているのではない、この社会がそれをなさしめているのだ、そう思っていた。しかし爪痕のつもりが出血のごとき惨状を見せるにつれ、俺は考えを変えた。生きてやる。生き延びて、この悪しき社会を変えてやる。革命だ。社会を革めるために、今を壊してやるのだ。
革命活動が共感を呼んだか、どこからともなく協力者が現れ、程なくそれは地下組織化されていった。この社会の悪の根源、搾取する者は多岐にわたり、攻撃目標は枚挙に暇がなかった。ある者は自動車で宝石店に突撃し、ある者はボートで貨物船を襲撃し、ある者は飛行機を行政施設に墜落させた。そうして俺たちは力を増していき、ついに核兵器まで手が届くところまで来た。
陽動、自爆、銃撃、凄惨な抗争の末に俺たちは辛うじて管制室を制圧し、発射装置も入手した。こんな物に俺たちの血と汗が吸われていたのか。そう思うと、この社会を制する最強と言われる力が、くだらないものに思えた。
「これで誰をどう強請ってやろうか」
この社会の頂点に登りつめたことに、場は暴発の危うさを多分に含んだ興奮に包まれていた。しかし俺に見えたものは、すべてがくだらない世界だった。革めたところで何になる。何もかもが俺にはどうでも良かった。
「撃つ」
もういい、死のう。どれくらいぶりか、あるいは初めてのことか、憑き物が落ちたような安らかさで、俺は発射ボタンを押した。
小説や映画では簡単に人が出会ったり事件が起こるのに、僕の生活はうまくいかない。今日は隣町で大きな花火大会があるというのに、僕は夕方から夜明けちかくまで働かなければいけない。
勤務者用の緑色のバスが1分も遅れることも早まることもなくちょうどの時間にやってきて乗り込む。すでに何人もシートに座っている。みんな目の色が青黒い。きっと僕も同じような表情をしているんだろう。浴衣姿の女の子や路上で踊っているダンサーたちの喧騒を、走るバスの中から振り向きながら眺め、やがて残像すら消え去って、車窓は映画のように夕暮れの鉄塔を映し出す。あれが僕の工場だ。
(こんなことなら写真館を継ぐべきだった)
僕は今もクヨクヨしている。田舎ではほそぼそと写真屋をやっていた。これからは映画だよ! と反発して都へとびだしたのだった。
作業服に着替え、機械を操作しながらビスケットの包装を始める。今月から館内BGMが野鳥の鳴き声から、なぜかマイケル・ジャクソンに変ったので、僕は疲れると、ここがマイケルの音楽の中だったらいいのにな、と夢想する。
僕はマイケル船長とともに大王イカと闘っていて、その様子がカメラを通して全世界に放映されているのだ。
どこかの幸せな恋人たちがビスケットをかじりながら「この映画、タコね! あ、イカね!」なんて野次をとばしていて、僕はマイケルのサイドシートで狼のマスクをかぶっているのだ。できることなら、隣にマリリン・モンローがいてほしい。
「あたしモンロー嫌いよ!」
再び幸せな恋人たちが野次をとばして、僕はしっかりその声を聞きとっている。そして、その悪意のない幸せな野次にうっとりと聞きほれながら、大王イカをフライパンで炙り、とびっきりのウイスキーでマイケルと乾杯するのだ。夜明けがやってきて、僕は緑色のバスの、ラッキーシートに乗り込む。
……今日は仕事の間、いつもよりマイケルワールドが頭の中で広がっていって、結局仕事が終るまでずっと僕はあっちにいたのだった。もちろん僕の乗り込むバスにラッキーシートなんかない。ミニスカートのマリリンもいない。僕はやっぱり小説や映画のように、誰かと出会ったり、事件に巻き込まれずに一日を過ごした。
きっと町は花火客の賑わいの残り香を漂わせているだろう。でも、今日はなんだかいい気分なんだ。僕は腹が減ったので、今からちょいと市場へいってイカを買ってこようと思ってるのさ。
きっと幻覚だろうなと僕は思った。
「あたし、雨が好き」
赤い傘の下から、そいつは小さな顔を覗かせて言った。
「だってお気に入りの傘さしてね、ピカピカの長靴はいたらね、あたし何だってヘッチャラなの!」
ここは間違いなく、カラカラに乾燥した砂漠の真ん中だった。
「ねえ君……」僕は、砂漠の真ん中で赤い傘を差したそいつに言った。「水持ってないかな? 僕、もう三日も水を飲んでないんだよ」
「水?」そいつは不思議そうな顔をしながら僕を見た。「空に向かって口を開けてみたら? そこらじゅうに雨が降ってるでしょ」
僕は空を見上げた。まるで青ペンキで塗りつぶしたような平べったい空が、どこまでも広がっいた。
「そうだね……」僕は砂に埋もれかけた足元を見ながら言った。「君はやっぱり幻なんだね」
「マボロシってなあに?」
「夢みたいなものさ」
「夢ってすてき……」
僕は乾いた砂の上に腰を下ろすと、死んだようにうなだれた。そいつは赤い傘を差して歩き回ったり、砂に絵を描いたりして遊んでる。
「♪おこりんぼうのゴリラさん だけど猫にはやさしくて そっと頭をなでました♪」
ふと遠くに目をやると、空が黄色く濁っているのが見えた。
砂嵐だった。
「♪猫はきまぐれ、たそがれて ゴリラにさよならいいました♪……」
僕はそいつの手を引っ張り、窪んだ場所を見つけて身をひそめた。
「ねえ、かくれんぼしてるの?」とそいつは僕に尋ねた。「鬼はだれ?」
「鬼なんていないよ。でも、色んなものから逃げなくちゃならないんだ――くだらないゲームが、終わるまでは」
僕たちの頭上で砂嵐が狂ったように吹き荒れた。そいつの赤い傘は、まるで木の葉のように空へと吸い込まれていった……。
嵐が去ると、また青ペンキの空が広がった。赤い傘はもうどこにも見当たらなかった。
そいつは急に泣き出した。
「だってね、傘なくしたらね、母さんきっと悲しい顔するもん……」
僕たちは赤い傘を探してそこら中を歩き回った。
砂漠の地平線に日が落ちる頃、砂から突き出した傘の柄を見つけた。僕は砂に埋まった傘を堀り出し、壊れていないか具合を確かめた。
「大丈夫みたいだ」僕はそいつに傘を渡した。「穴一つ空いてないよ」
夕日に照らされた砂漠には、僕とそいつの影がどこまでも長く伸びていた。
「もう帰らなくちゃ」そいつは傘を閉じて言った。「さようなら、マボロシさん。早く夢から醒めるといいね」
夜空を押し退けるよう視界に広がる黒い影。
今、目の前に在る巨大な鋼鉄の塊はただ静かに最後の時を待っているのだろう。
これは我が海軍が世界に誇る最強の戦艦。今からおよそ30年ほど以前に、我が国の技術の粋を集め建造されたものだ。
建造以来この祖国に伝わる戦神の名を冠した戦艦は数多の敵対国の戦闘艦を撃沈せしめ、見事我が軍の旗艦として国防の任を全うしてきた。その活躍は私のような軍人はおろか、老若男女問わずほぼ全ての国民の間に知れわたっている。
まさに我が国の象徴、国家の誇りといえるだろう。
だがそれも明日までの事。
この艦は明日付けで退役となり華々しい式典を執り行った後に解体される事となる。
理由は単純明快なものだ。
艦の基礎設計の旧式化。そして艦体の老朽化だ。
暗がりの為はっきりとは判らないが、よくよく見ればあちこちに大きな傷とそれを修復した痕跡がある。また全体のシルエットもあちこちに歪みが見え新造艦のそれの様な整ったラインではなくなっている。
もっと明るい時間により近くで見れば、更に様々な戦いの傷跡が存在するのが判るだろう。
この艦は既に第一線で戦えるような状態ではない。
国家の象徴とされ数多の激戦を戦い抜いてきた戦艦。
それが30年という時の流れに敗北し最後の時を迎える。それも本来あるべき戦場などではなく、狭苦しいドックの中でだ。
これはその事に対して何の不満も持っていないのだろうか。自分はあくまで戦うために生まれた存在であり、最後の最後までその責務を全うするのが使命であると考えてはいないのだろうか。
もし私がその立場ならば間違いなく言うだろう――自分の死に場所は自分で決める、そしてそれは少なくともこの様な狭い場所ではなく大海原の上だ――と。
だが目の前の巨大な鋼鉄は黙して語ろうとはしない。
いや本当は解っている。
これは満足している筈だ。例えその身を戦場にて散らすことが出来なくとも、自らが属する国家と守るべき人民のために戦い抜きその生涯を終える。それの何処に不満を持つというのだろうか。
これは私の我侭なのだ。30年間共に戦ってきた戦友を失う事に対する。
明日は胸を張って送り出してやらねばならない。
それが就航以来艦長としてこれと共に在った、自分の最後の役目なのだから。
タオルケット越しに見える明かりが楽しい。薄暗くて、でも夜とは違う暗さで、悪いことをしている気持ちになる。
夏休みだからお昼までごろごろする。暑いからとパンツ一枚になって、私と兄は布団とタオルケットの隙間でじゃれ合う。兄は一つ上だから五年生。薄暗くて顔が見えにくくて、私は兄の首の後ろに手をやって引き寄せようとする。でも兄は抵抗して、何だかそういう遊びみたくなる。くすくすと笑い合って、そのうち頬と頬をくっつけた。
兄と胸やお腹をぴったりさせると不思議な気持ちになる。このままじっとしてたいような、わーわー声を上げてはしゃぎたいような。代わりに兄の背中に腕を回してぎゅっとした。兄も私の頭を抱く。そうすると最近ふくらみはじめた胸が押しつぶされて少し痛いのだけど、でもそれは誰かに自慢したくなる痛みだった。こんなところをお父さんやお母さんに見つかったら怒られるんだろうなと思うと、また楽しくなった。
それから兄は体を下にずらして、唇で私の胸の先を触った。私は兄の頭をそっと抱く。舌が触れて、その濡れた感触がくすぐったい。おっぱいを吸う兄は赤ちゃんみたいで、何だかとてもかわいい。私はそんな兄との時間がとても好きだった。
ぱらぱらという雨の音で目を覚ました。腕にさらりとした感触があって、目を移すとタオルケットをかけられているのがわかった。点いていたはずのテレビは消えて、その前で兄が寝そべって漫画を読んでいた。
地方の大学に進んだ兄が、夏休みだから数日だけ帰ってきている。兄とは小学校までは仲がよかったけれど、中学高校は多分思春期というもので険悪になった。顔を合わせればケンカして、よく親に叱られていた。
何故あんなに苛立っていたのだろう。当時の私に訊いたら何て答えるだろう。
兄が私に気づいて視線を寄越した。私は無意識に右手を浮かして兄のほうに伸ばしていた。兄は不思議そうな目でただそれを見つめた。
子供の頃、私がそうすると兄はすぐに手の甲を触ってきた。そっと触れた指先が腕を滑って近づいて、わきの下をくすぐってくるまで、私はいつも唇を結んで笑うのをこらえていた。
なに、と兄の唇が訊いた。ううん、と私は首を振って、ぽてんと右手を床に落とした。切なくなるような、じんわりとしたさみしさを感じて、ほんの少し胸が痛くなった。でもタオルケットの感触が懐かしくて心地よくて、だからもう、それでいいかなと思う。