第82期 #6

深紅の瞳

 黒々とした夜空に個々と光を放つ星々。
 色を失い闇に呑まれ絶えた星々。
 叶うのならそれをひび割れたこの手で取り、狂う程に滲みたい。
 誰かのそんな願いを聞いたのか。散り散りに蔓延うあの点火は、熱い熱い世界へ身を寄せてきた。
 男は暗がりに潜んでいた。何度も周囲を窺う。人影はなかった。屋敷の中からは賑やかなざわめきが聞こえるが、厚い壁と茂った樹木に遮られ、はるか遠くに感じられる。男は背を低くして前進した。期待がある。不安がある。手が少し汗ばんでいる。
 天は彼の味方だった。重い雲が垂れ篭め、徐々に雷鳴が近付いてくる。これなら少々音を立てても気付かれることはない。雨が降り始める前に首尾を終え、安全な場所に戻ることができるだろう。
 複雑に刈り込まれた植木の向こう、装飾された細い柱が頭上のバルコニーを支えている。その柱の奥の壁の下、地面すれすれに横長の窓がある。半地下の明かり取りと換気を兼ねたこの窓は、見通しの良いガラス製だった。
 その窓から、鈍い光が庭の芝生に射していた。地下室の部屋のランプだろう。誰かいるのか。いろ。いてくれ。男は渇望した。呼べば声の届く位置に、手で触れられるほど近くに、あの白い喉があったなら──。
 雷鳴が近付く。男は前進する。手足が泥で汚れる。植木が肌を傷付ける。男はじりじりと壁に進む。
 激しい閃光が走った。すべてを曝け出す白い光が街を一瞬切り裂く。
 男は見た。
 凶々しい深紅の瞳の怪物を。
 怒涛のような雷鳴が空気を揺るがす。男の悲鳴がそれに混じった。
 恐怖は絶望を支配する。男は規則的に揺れる鉄の揺り篭に乗っていた。
 赤銅色の窓からは夕日が差し込んでおり、彼の眼鏡に晩秋を点している。遥か彼方の稜線を窓越しに見ながら、彼は呟いた。

「この十年、私はどれほど苦労しただろうか。友を敵にし、そして友を失ってまでも私はこの研究に没頭した。私はこの研究に人生を賭したが、無駄であったとは思えない。いや、思いたくもないんだ。そのほうが、先に永久の旅に出た友のためだ」

 過去を吐息し、彼は深く刻まれたしわを歪ませた。



Copyright © 2009 河内伝太郎 / 編集: 短編