第82期 #39
夜空を押し退けるよう視界に広がる黒い影。
今、目の前に在る巨大な鋼鉄の塊はただ静かに最後の時を待っているのだろう。
これは我が海軍が世界に誇る最強の戦艦。今からおよそ30年ほど以前に、我が国の技術の粋を集め建造されたものだ。
建造以来この祖国に伝わる戦神の名を冠した戦艦は数多の敵対国の戦闘艦を撃沈せしめ、見事我が軍の旗艦として国防の任を全うしてきた。その活躍は私のような軍人はおろか、老若男女問わずほぼ全ての国民の間に知れわたっている。
まさに我が国の象徴、国家の誇りといえるだろう。
だがそれも明日までの事。
この艦は明日付けで退役となり華々しい式典を執り行った後に解体される事となる。
理由は単純明快なものだ。
艦の基礎設計の旧式化。そして艦体の老朽化だ。
暗がりの為はっきりとは判らないが、よくよく見ればあちこちに大きな傷とそれを修復した痕跡がある。また全体のシルエットもあちこちに歪みが見え新造艦のそれの様な整ったラインではなくなっている。
もっと明るい時間により近くで見れば、更に様々な戦いの傷跡が存在するのが判るだろう。
この艦は既に第一線で戦えるような状態ではない。
国家の象徴とされ数多の激戦を戦い抜いてきた戦艦。
それが30年という時の流れに敗北し最後の時を迎える。それも本来あるべき戦場などではなく、狭苦しいドックの中でだ。
これはその事に対して何の不満も持っていないのだろうか。自分はあくまで戦うために生まれた存在であり、最後の最後までその責務を全うするのが使命であると考えてはいないのだろうか。
もし私がその立場ならば間違いなく言うだろう――自分の死に場所は自分で決める、そしてそれは少なくともこの様な狭い場所ではなく大海原の上だ――と。
だが目の前の巨大な鋼鉄は黙して語ろうとはしない。
いや本当は解っている。
これは満足している筈だ。例えその身を戦場にて散らすことが出来なくとも、自らが属する国家と守るべき人民のために戦い抜きその生涯を終える。それの何処に不満を持つというのだろうか。
これは私の我侭なのだ。30年間共に戦ってきた戦友を失う事に対する。
明日は胸を張って送り出してやらねばならない。
それが就航以来艦長としてこれと共に在った、自分の最後の役目なのだから。