第82期 #26
「ファミレス行こうよ」
昼下がり。本に没頭する穏やかな時間は絵里からのメールによって乱暴に破られた。諦めと憂鬱。いつものようにこの忌まわしいメールを削除し、外行きのブラウスを羽織る。
「今日はデートじゃなかったの?」
二股が発覚したのだろう。我ながら白々しい問いだった。絵里は切り分けた肉をしきりに口に運び、咀嚼しながらもごもご言っていた。肉は食道から胃へ。胃には溶解した肉や芋がどろりとひしめいている。しゅっという音が絵里の口から漏れた。
「あんたこそどうなのよ」
詰め込んだ肉をメロンソーダで飲み下し、かすの残った口を開く。絵里の口は性器となんら変わらない。吐きかけられたげっぷを打ち消すように煙草に火をつけた。絵里の吐息と煙草の煙が私の肺を黒く満たして汚れを残す。
「別になんにもないよ」
私がジッポをいじるのを絵里は見逃さなかった。
「あんたジッポなんか使ってたっけ?」
「気分」
「ジッポといえば伊藤君」
見透かされた。視線が絡みつく。目を合わせてはいけない。
「伊藤君かっこいいよね」
「そうかな。別に普通だよ」
「じゃあ構わないよね」
鼓動が漏れていないだろうか。テーブルに置かれた煙草が目に入る。細長いメンソールとブランドのガスライターは売春婦だ。
「構うってなにが?」
「別に。気になるの?」
絵里は食べることを中断し、携帯を開いて素早く指を動かした。
「気になる」
「伊藤君って付き合ってる人いるのかな?」
胃に落ちた肉は溶かされる。絞りかすは腸に蓄積されてやがて排泄される。絵里は性器と化したその穴から糞をひり出す。
「さあ。いるんじゃないかな」
「いなくてもあんたじゃきっと無理よね。だって顔に傷あるもん」
絵里は意味ありげな視線を向け、再び肉を口に運び始めた。
私の顔には左目から唇の脇にかけて縦に一筋の傷痕がある。子供の頃に私が一人で転んだことになっていた。突き落としたのは絵里だ。
腹を切り裂き皮を剥がし濃桃色の汚物を白日の下に晒す。
氷を噛み砕く不快な音で私は現実に戻された。絵里が空になったグラスをストローで啜っている。私は溜め込んだ息を吐き出した。
「飲み物持ってこようか?」
「カプチーノ」
ドリンクバーに向かう後ろで携帯を開く音がした。熱湯を浴びせたら爽快だろうな。でもきっとそんなこと出来ない。
「伊藤君フリーだってさ」
絵里は笑いながら言った。もう全てがどうでもいい。私はふくらはぎを掻いた。