第82期 #25

水場で書かれた物語

 その日、乗合汽船の発着所の便所に――木の床を長方形に切り抜いてあるそこに尻の穴がうまく収まる具合に跨って――いた私が「物思いに溺死寸前人間とでも触れ回って見世物になろうサーカスの」と頭を垂れていると、負けず劣らずの沈思黙考顔をゆれるその川面に見出し、その面があんまり気に喰わないもんだからひり出した便で糞味噌にしてやった、という事がまずはあり――この文章が文芸誌に掲載される頃にはもう読者諸氏の興味も尽きているやも知れぬあのどこそこ商会重役の土左衛門が婦人の股を覗き込んで笑っていたという穴は正にここの事である――翌日、内の厠で尻を出していると行儀の悪い派出婦のF子がぬっと手を入れて来て「はいよこれ。目を通してくれってさ。とにかく急なんだって」というので出掛かった奴を引っ込めて手紙を受け取ればそこに「私も御一緒して宜しいですかサアカスに」と女の字で書かれてあるので魂げ、出るものも出なくなってしまった。私はその頃、後の世――私が死んで五十年後ぐらいの日本――でいうところのストーカーに悩まされており、これはもう絶対にその女が寄越したものであろうと考えたわけである。一九六五年の浅丘ルリ子似の彼女に付き纏われるお前は幸福者よな、などと酒餓鬼どもは好き勝手に与太るがこの女は私の腹違いの妹なのであり――きっとそうに違いないのだ――それに私が愛しているのは飽く迄も母なのであり、中に入りたいのもまた浅丘ルリ子ではなく私の母なのである――遺憾ながら実際はF子にお願い申し上げている――がしかし、あんまりすげなくしていると入水させられないとも限らないのでたまには逢う。尻を拭いて手紙にあった店へ。見覚えのある少年の手で小部屋に押し込まれると、ヘビーローテーションなゴンドラの唄のその中にあったのはしかし三十二歳岡田茉莉子似の母の姿であった。すでに裸婦であった母は私の服を脱がし終えると入口のみを扱う豊富な方法を用いて私の全身を刺激していき、朝方F子にさんざん搾り取られたはずのものの迸りをその厚い唇で受けるのであった。
「どうしてこんなことするの」と私はいった。
「お父さんが死んでしまってもお母さんは女のままなのよ」と母はこたえた。
「ちょいとぉ」
 F子だ。
「漏れちまうよぉセンセぇ」


 また、夢を見ていたのだ。


 便所にひきずり込み危険日のF子を犯す。
 母にそんなことはしない。
 あそこは私の居場所なのだから。



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