第82期 #16

うちの兄りん

 俺の兄は、俺が生まれたときからずっとうちにいて、そして俺よりいつも六つ年上。幼い頃からつねに兄の天下、俺はいつだって兄の奴隷だった。呼び名だってそうだ。不用意に「兄ちゃん」などと呼ぶと
「ちゃん付けはやめろバカ」
 と怒り喚いた。「兄さん」「兄貴」「兄上」いろいろと試したものだが、当人にはどれもしっくりとこなかったようで、結局「オレのことは、これから兄りんと呼べ」と、人前で呼ぶには少し恥ずかしい呼び名が決定された。
 他の家庭のことは知らないが、俺にとっての兄りんは、いつもやっかいで疎ましい存在でしかない。年の差があるので、力でも口先でも絶対に勝てず、悪事や不都合なことはたいがい俺のせいとなり、父はもうとっくの昔にこの家にいなかったが、母親のご機嫌をとるのがとてもうまく、損をするのはいつも俺のほうだった。それでも俺に対してはいつも「長兄は損だ、割に合わない」などと愚痴ってばかりいた。
 そんな兄りんと俺の関係も年を重ねるごとにだんだんと変わっていった。
 高校時代の成績がそれほど悪くはなかった兄りんは、東京の大学進学を志望した。そして受験に二年連続で失敗した挙句、三年かけてようやく入った某有名大学を四度留年して、結局卒業年が地元三流大学卒業の俺と同じになったのは、今年の春の話だ。
 俺の入社式の前日に地元の居酒屋で兄りんとふたり酒を共にした。その時兄りんの就職先は、まだ決まっていなかった。
「お前は明日からN食品か、まあ一流企業だな」
 以前は偉ぶってばかりいたが、年々その表情に僻みの度合いが増してくる兄りん。
「兄りんにもさ、きっと向いている仕事が見つかるって」
 兄弟そろって焼酎が好きというのは、まさに遺伝子のなせる業か。グラスの向こう側は、いわゆる無色透明の液体で可燃性である。水に対する溶解性はきわめて低いが、アルコール、エーテル、ベンゼン、クロロホルムなど多くの有機溶剤と混合が可能である。毒性を持ち、接触、吸入により速やかに人体に吸収され、中毒症状を起こす。沸点184℃、融点−6℃であり、20℃での比重は1.02、空気を1としたときの蒸気密度は3.4g/100mlであり、引火点70℃、消防法危険物第4類引火性液第3石油類非水溶性液体に該当、フェニルアミン、アミノベンゼン、ベンゼンアミンなどの別名を持つ、CAS番号62−53−3、化審法3−105、化学式C6H7Nの物質である。



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