第82期 #14
おばけだ。
俺はドアを勢いよく閉めた。
深夜3時、用を足そうと寝室を出た俺の目の前に、一目でわかるくらいスタンダードなおばけが浮かんでいた。
全身真っ白の、先細りの尻尾を持ったそれは例えるなら尻尾の長い大根の様で、質感は布を被ったようにふわりとしていた。布大根。
それだけ見たならただの布大根にしか見えないかもしれないが、大きく横に切れ目を入れたような横広の口、ぽっかりとした空洞のような目、そして何よりも、手首から先をだらりと垂らして差し出すようなあの定番の恰好を見たら、誰だってあれをおばけだと認識するだろう。
俺も、見た瞬間はそう認識しそうになった。しかし、それだけで「おばけ」と判断するのはあまりに早計。失礼にあたるかもしれない。俺は、物事を安易に外見だけで判断するような人間ではないのだ。
でもそいつは「うらめしや」って言ってきたのだ。
おばけだ。
俺はドアを勢いよく閉めた。
何が「うらめしや」だ馬鹿。おばけは怖いから嫌いなのだ。
しかし、このままではトイレに行けない。
もう半分漏らしているので着替えも必要だが、どちらにしてもこの部屋から出なくてはことは進まないな。
ドアを少し開けて覗くと、案の定おばけはまだそこにいて、閉める直前にまた「うらめしや」と言ったのが聞こえた。
湿った寝間着が空気に触れて内腿を冷やしている。
よし、ここは強行突破と行こう。
ドアを隔てて、おばけまでは約一メートル。ひんやりと張り付いた寝間着を指でつまんで剥がし、意を決した俺は、ドアを思い切り開き、大きく一歩踏み出した。
「うらめしやうらめしやうらめしや」
「うるさいうるさいうるさいうるさい」
すぐに踵を返して寝室に戻りドアを閉める。
なんだあいつ連呼してきやがったぞ非常識すぎるだろだからおばけは嫌いなんだよばーかばーか
俺は半泣きになっていた。
仕方がない。最終手段だ。
俺は振り返ると、イビキをかいて眠っている母親の体を揺すり、乳歯が抜けたばかりの口で「おかあひゃん」と発音した。
眠りを邪魔されて明らかに不機嫌な母は、寝ぼけ眼も相まって地獄のような目付きをしている。俺は息をのむ。
のっそりと布団から出てきた母は、俺をひょいと小脇に抱えてトイレの前まで行って投げ捨てると、どすどすと帰って行き、最後に耳を劈くほどの音をたててドアを閉めた。
母親の去った後には、おばけどころか音すらも姿を消していて、俺がトイレで出すべきものも全て流れ落ちていた。