第81期 #40

三島スーツ

閉店後の喫茶店のがらんとした店内に一匹の猿がいた。テーブルに置かれたジョッキの中身はビールでなくて珈琲だった。

「よく冷えたレイコーは生ビアーよりイカスぜ」

猿はステンドグラスを透過する月光をうっとりと眺めながら、よく冷えた珈琲を流し込んでは、教会のような室内の、天井裏に潜む鼠たちの足音を探した。

トンチントン、トチチリチン。

(こりゃあ白鼠の姉さん、ハデに踊ってやがるな)

猿はふと思いついてカウンターからコッペパンを持ってきて、フォークに刺したパンを、鼠のダンスにあわせて動かした。

とんちんとん、とちちりちん。

(姉さん、イカスぜ)

いい踊りだな、と気持ちよくなっていると、やがて天井の鼠の一匹が降りてきて、猿にお辞儀をした。

「待ってくれ。姉さんに頭さげられちゃ……そうだ。このパン貰ってくんねえか。いや、もっといいもんあったよ」

猿は再びカウンターへ戻り、ミッキーマウスの絵柄のクッキーを取ってきた。

「姉さんがチョイ大きくて、人間のぬいぐるみを着れたら、一緒にデズニーランドで踊れるのになア」

猿がクッキーを手渡すと鼠はチイと鳴いていつのまにか姿を消した。

「そろそろ出かけるか」

猿はスタッフ用更衣室にてロン毛のかつらをかぶり、三島由紀夫の体型そっくりのボデイスーツを身につけて、喫茶キムタクを出た。

猿が月と反対方向に歩いていると、「猿山さん!」と、礼儀正しさと無頼さが相まった味のある声がして、猿が振り向くとやはりその声は久保内象だった。

「もしかしてクボゾーちゃんもアレ行くとこかい?」

「ええ」

「もしかして武林小僧も来てる?」

「ええ、タケゾーばっちりですよ」

二人はやがて「ガッツリ買いまショー」というタテ看板のあるビルに着いた。受付は珍しく男が立っていて長身で全身黒づくめで見るからに猿への殺気のようなものでみなぎっていた。

(まるで剣豪のようだ……)

猿はビビリながらも受付を終え会場の屋上へ上った。東京湾を渡ってくる海風が心地よく、三島スーツの熱気も風の中では気にならず、異様な剣豪のことも忘れて、猿はいい気分だった。

まもなく久保象が武林他数人とやってきて、

「ほらキムタクのウエイターの猿山さんです」

と皆に紹介してくれたので猿は少し照れた。だが何より猿の心を捉えて離さなかったのは、熱心に今日のブツを選ぶのに夢中である一人の女性の立ち姿で、猿はもう三島スーツなんか破き捨てて、一匹の猿として彼女を抱きたかった。


Copyright © 2009 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編