第81期 #16
その昔、江戸の町に吉蔵というたいそう噂好きな男がおってな、噂を聞きつけると人には話さずにはいられない性格だったそうだ。
「おい八よ、聞いたことあるか。赤間ヶ関っつうところに耳の無い坊さんがいるってよ」
「またおめえさんの噂話か、その話はこの江戸でも有名じゃねえか。いまさらなんだってんだい」
今からする話の腰を折られたことにもめげず吉蔵は話し出して
「いやいやいやいや、そんな上っ面だけの話で満足しちゃつまんねえだろう。しかしね、俺は不思議なんだよ。耳に般若心経書き忘れちまったから耳をとられちまったんだろう。じゃあ一物は無事だったのかねって。無事だったとしたらそれはそれで和尚さんも嫌だったんじゃねえかなとね」
「またおめえはすぐ茶化すんだから。おめえ、そんなのは適当にうっちゃっとけばいいんだよ」
「芳一もせっかく見えなくなったんだから逆にやっつけちまえばよかったのにな。でも目暗だから無理かね」
「吉蔵よ、その芳一って坊さんも可哀想じゃねえか。目も見えねえのにその上、耳まで取られちゃたまったもんじゃねえや。そいつを馬鹿にするのはよくねえよ」
「おいおいおい八よ、勘違いしてもらっちゃ困るな。俺には芳一に耳をつけてやることはできねぇ。だからせめて芳一の話に尾ひれでもつけてやろうって思って面白おかしく話して回ってるのさ」
「吉蔵よ、あんまり茶化してると今におめえさんのもとにお侍さんがやってきてとっちめられるぞ」
「へへへ、そうしたら話の種になって良いってもんだ」
呆れる八兵衛を尻目に吉蔵は帰っていった。その晩のこと、吉蔵が寝ていると誰かが戸をあける音がして、吉蔵の長屋へ音も無くすうっと入ってきました。
「うぬか、あること無いこと吹聴し平家の名を汚す者は。お前もあの坊主と同じように耳をむしりとってやろうか、それともどこか違うところが良いか」
吉蔵は驚きのあまり声も出ない。しかしやっとのことで震える声を絞り出して
「しかしお侍様、私めはもうすでにあなた様に目を取られております」
「それはどういうことだ」
不思議がる侍に吉蔵は一言
「へえ、私はもうあなた様の噂話に目が無い、ということで」
侍はしばし黙ったあと
「ふむ。この状況でその機転、気に入ったぞ。殿の下でその才、存分に発揮せい」
そういうと侍は吉蔵の腕を掴んで夜の闇へ消えていった。それ以来、吉蔵の姿を見た者はいないという話だ。