第80期 #3
午後二時。
幼稚園のプール教室に通う娘を迎えにいく時間となった。
気が進まないが、生活パターンを変えて、近所から無用な関心を引いてしまうようなことはしたくなかった。
家を出ると、お盆休みの時期のためか、街中に普段の喧騒さはなかった。
太陽の日差しが、やけにまぶしく感じられた。
幼稚園に着くと、娘の担任が職員室の窓越しに声をかけてくれた。
窓辺の風鈴が涼しげな音を立てている。
「あら?アサミちゃんのお母様……。残念でしたわ、すれ違いになってしまいましたね」
「すれ違い?ですか?娘は一人で帰ってないはずですが……」
先生は一瞬困ったような顔をしたが、職員室から出てきて説明してくれた。
「もちろん、園の規則では園児一人での帰宅を禁止していますが、たった今、アサミちゃんのお父様がお迎えに来てくださったんですよ」
先生の一言に、私は戸惑いを隠せなかった。
一瞬、強い風が吹き抜け、風鈴の音が激しく鳴り響いた。
「主人?主人は……、外国に出張中で迎えに来られないはずですが……」
先生は、とっておきの知識を披露するのがおもしろくてたまらないという口調で、
「アサミちゃんのお父様もお人が悪いですね。お戻りになったことをお母様にも内緒にされていたとは」
そんなわけはない!
旦那が娘を迎えに来られるわけはないのだ。
一ヶ月前、ちょっとした口論がきっかけで、カッとなって旦那を刺し殺してしまい、バラバラにした死体を袋詰めにして、山に埋めてしまったのだ……。
いつの間にか風は止んでいて、風鈴の音は途切れていた。
園庭は、真夏の日差しを受けて白く乾ききって、凪いだ海のように静まり返っていた。
ただ、どこからか耳鳴りに似たセミの鳴き声が聞こえてくる。
呆然と立ちすくむ私に、先生は微笑みながらこう付けくわえた。
「突然のことなのでアサミちゃんもびっくりしていましたけど、とても喜んでいましたわ。お父様もアサミちゃんに会うのは一ヶ月ぶりとのことで、本当に嬉しそうでした。『アサミ、迎えに来たよ。お父さんと一緒に帰ろう』って、仲良く手を繋いでお帰りになりましたわ」