第80期 #12

バタイユ

「自分の話はなるべくしないようにしているんだ。あることがきっかけでね」
 僕はジーンズの裾をつかみ、抱えた膝の間から自嘲気味に言った。部屋は閉め切っているものの、だらしなくゆるんだカーテンの隙間から昼の光が差し込んでいる。
 埃が踊る光の帯をへだてて、真暉子と僕は向かい合っていた。
「バタイユの言うように、誰もが仮面の下に醜い素顔を隠しているのかもしれない。
 気の置けない仲間が、他愛のない話をしている相手が、昨日抱き合った女が、突然正体をあらわにして僕を裏切り、蹴落とそうとするのさ。
 そんな連中相手に自分をさらけ出すことなんか、とうてい無理なんだよ」
 真暉子はそれを聞いて微笑んだ――ように感じた。
「仕方のないことだわ。それが人間というものだもの」
 彼女の大きな瞳はまっすぐに僕を見据えているのだろうが、僕は目を合わせることができない。
「君は、人が怖くないというのかい?」
「怖いわよ、わたしだって。でも、わたしには信じられる人もいるから」
「誰?」僕は顔を上げた。
 真暉子の目が光を反射して、きらついた。


「昔話にでてくる正直者のおばあさんの家みたいね」と真暉子は言った。
 玄関の戸は硬く、重い引き戸でおばあちゃんによると、夏場はほとんど開きっぱなしにしているようだ。
 玄関には座って靴が脱ぎ履きできるように椅子のようなものがとりつけてある。玄関の前の障子を開けるとそこは居間だった。時計を見るともう六時を過ぎていた。
 おばあちゃんは、近くのスーパーで買ったのだろうか、寿司のパックを真暉子にくれる。「こんなにも食べれないで」と言っておばあちゃんの分の寿司を半分以上も真暉子にくれた。
 真暉子もお腹がいっぱいだったが、残さずに食べた。ご飯を食べるとお風呂に入ることになった。
 真暉子がお風呂を洗い、お湯を溜めている間におばあちゃんの服をゆっくりと脱がせた。 真暉子はおばあちゃんの体を丁寧に洗った。
「崖から落ちた日からお風呂に入ってないんな。真暉子さんが来んかったら垢まみれで死んどったわ」そう言っておばあちゃんは笑ったあと、ぽつりと呟いた。
「あんたら、いつ結婚するん?」
 風呂場に差し込む西陽はやけに眩しかった。



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