第8期 #9
目を覚ますと、あろうことか隣に若い男が寝てるじゃないか。こいつはいったい誰なんだ。僕は必死に昨晩のことを思い出そうとした。でも、思い出せない。そこで、とにかく男を起こそうと思ってうつ伏せになってる彼の肩に触れた瞬間、心臓が止まるかと思うくらい驚いた。男の体が冷たかったからだ。
僕が殺したんだろうか。いや、そんなはずはない。どこからも血は出てないみたいだから病気で死んだのかもしれない。とにかく昨日のことを思い出そう。くそっ、思い出せないな。落ち着こう。落ち着かないとダメだ。そうだ、香織と会ったんだ。香織に呼び出されていつもの喫茶店で会ったんだ。バイトだったのに。僕はアイスコーヒー、香織はレモンティーを注文したな。いや、香織が注文したのはミルクティーだったかな。いや、そんなことはどうでもいいんだ。彼女とどんな話をしたんだっけ。ダメだ、思い出せない。なんで昨日のことが思い出せないんだ。とにかく落ち着こう。気が動転してたら思い出せるわけがない。何か嫌な話をされたような気がするな。どんな話だっけ。そうだ、別れ話をされたんだ。他に好きな人ができたって。そりゃないよな。香織が逆ナンしてきたのに。まだ納得できないよ。それからどうしたんだっけ。僕は「別れたくない」って言ったんだ。そしたら、香織は泣いてたな。泣きたいのはこっちなのに。っていうか、僕も泣いてたな。バイトのウェイトレスが変な顔してこっちを見てたっけ。あれは恥ずかしかった。そうだ、僕は「好きになった人って誰?」って訊いたんだ。香織は答えなかったな。でも、絶対あいつに決まってる。香織のサークルの先輩だ。結局どうなったんだっけ。そうか、結局僕と香織は別れたんだ。僕は別れたくなかったけど。香織が「もう駄目なの、ごめんなさい」って言うんだから仕方ないよな。喫茶店を出て、店の前で「バイバイ」って言ったんだ。あんなに悲しい「バイバイ」を言ったのは初めてだ。途方に暮れて帰って来たっけ。途中で買い物をしたような気がするな。何を買ったんだっけ。いや、そんなことはどうでもいいんだ。部屋に帰って来てから、いっぱい泣いたな。きっと、泣き疲れてそのまま寝ちゃったんだ。それじゃ、なんでこの男は僕の隣で死んでるんだ。戸締まりはしっかりしたはずなのに。いや、待てよ。寝る前に何かしたな。何したんだっけ。そうだ、死のうと思って薬をいっぱい飲んだんだ……。