第8期 #13

エサをあたえないでください

 病院からの帰宅途中で透に会った。
 透はガムをクチャクチャやっていた。どうやらまだ禁煙を続けていたらしい。なんか珍しい。
「よう」
「ああ」
 透はガムを差し出してきた。僕は「サンキュー」と受け取った。


「あと半年だってさ」
「何が?」
「命が」
「……誰の?」
「僕の」
「ふーん」
 透はジーンズのポケットからガムの銀紙を取り出した。ちゃんと銀紙を持っているところが透らしい。銀紙にガムを吐き出すと、今度は別のポケットから手品のようにタバコを取り出した。口にくわえ、火を点けながら、「ほら」と透は僕にもタバコを差し出してきた。
「うん」
「ああ」


 僕は煙を吐いた。
 透も煙を吐いた。
 別れぎわ、「禁煙しろよ」と僕が言い、透は「ああ」と頷いた。


「ただいま」
 大根の味噌汁のにおいがした。居間を通り、台所に行く。母さんがグリルで魚を焼いていた。
「あっ、おかえり」
「ただいま。なに?」
「ん? 塩鯖」
 塩鯖は好きだった。
「どうだったの?」
「んー……、あと半年だって」
「そう……。ああ、ご飯よそってくれる?」
「ん」


 味噌汁の上に自分で葱をのせた。箸を持って両手を合わせる。
「いただきます」
「はい」
 まだ熱い味噌汁を啜った。箸で鯖の身を千切り、口の中に運ぶ。ご飯をほおばった。口を動かす。咀嚼する。機械的に。
 ……どうもやばい。味がしない。


 サイレン。
 消防車の、独特の音だった。
「……近いわね」と母さんが言った。
 ここら辺りは住宅街で、家が密集している。マンションも多い。道が入り組んでいるから、消防車でもなかなか奥には進めない。
 だから、もう何人か焼け死んだかもしれない。そして、これからまた何人か焼け死ぬのかもしれない。
 そう思った。
 そうだといい……。そうだったら少しは気がまぎれる。
 ふと、そんなことを思った。


 目を瞑り、パン、と自分の頬を張った。ゆっくりと、ゆっくりと深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。目を開けると、母さんが心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。僕はごまかし気味にご飯をほおばった。今度は、ちゃんと味がした。
 ご飯はちゃんと甘くて美味しかった。塩鯖も脂がのっていて美味しかったし、大根の味噌汁も温かくて美味しかった。
 久しぶりにタバコを吸ったことを思い出した。透はいつも通りに無愛想だった。何となく、大丈夫だ、と思った。たぶん、大丈夫。


 焼け死んだかもしれない誰かに対して、「ごめん」と呟きかけて、やめた。



Copyright © 2003 西直 / 編集: 短編