第8期 #12

 気が小さかったから、よくからかわれて、よく泣かされた。とくにタバっちには、もう何度泣かされたことか分からない。
「おまえ泣くとサルみてーだな」
 これは応えた。小学校の高学年になって、そろそろお洒落を意識しはじめたころだ。私はショックで、どうすればいいのか分からなくなって、タバっちの顔をまっすぐに見てしまった。うろたえたようなタバっちと目が合うと急に恥ずかしくなって、すぐ振り返り走って逃げた。それから私は、もう二度と人前では泣くまいと決めた。
 そういえばその頃は、寒さというものをあまり意識していなかったように思う。それから八つも年をとった私には、夜風の冷たさがつらい。白い息を吐くたびに、体から熱が失われていくような気がする。昨日はあんなに暖かかったのに、すぐこんなに寒くなる。
 ようやくアパートに着いた。屋上で止まっているエレベーターを待つのがもどかしくて、三階まで歩くことにした。さいきん足が丸くなってきたから、なるべく歩くようにしないといけない。
 タバっちとは中学も高校も違ったけど、親同士の仲がいいせいで、いまだに私たちにも付き合いがある。こういうのをくされ縁というのだろうか。けど、私は眉毛の太い人が嫌いだから、タバっちなんて絶対にダメだ。だからといって眉毛を剃ったりなんかしたら、もう口も聞かない、目も合わせない。
 財布から鍵を取り出した。ドアを開けると真っ暗で、それは当然なんだけど、ちょっとドキドキしてしまって、あわてて電気をつけた。鍵をかけて、靴を脱ぐと、ふっと力が抜けた。洗濯機に手をかけてそのままじっとしていると、不意に唇の感触がよみがえってきて、たまらなくなって、唇を強くかみしめた。
 台所には今朝の食器が残っていた。浮いた油を見ると嫌になる。朝のうちにやっておけばいいのに、化粧もいいかげんな朝の私には、とうてい無理だ。
 カバンを床に置いて、コートとマフラーを椅子にかけ、ベッドに倒れこんだ。枕に顔を、埋めようとして、唇だけそらした。顔を押し付けて、息を吸い込むと、トリートメントの匂いがした。
 胸がつまる。
 私は何も変わっていない。またどうすればいいのか分からなくなって、逃げてきた。けど、いつだって、悪いのはとにかくぜんぶタバっちだ。ぜんぶぜんぶ、タバっちが悪い。
 もうこらえきれなくて、たまらずに、枕をぎゅっとつかんだ。私の顔は、いまきっと、サルみたいに真っ赤だ。



Copyright © 2003 川島ケイ / 編集: 短編