第79期 #39

卓上小説

 ままならぬ浮世や。ええことない? マシュマロ珈琲飲んでる女に話しかけてみてん。

「私、パンダと温泉入ったわ」
「ドラえもんの世界やん」
「パンダの肉球が気持ちくて」
「肉球あった?」
「夢だもん」
「夢時間てええよな。人間から身体と言葉をさしひいて、残ったもんだけでできてる気がする」
「おじさんも夢みた?」
「おじさんって」

 五月の陽光とも新緑ともほど遠い地下の珈琲屋におって女と戯れとったんに、ここで爺さんがやってきて女の隣に座った。爺さん邪魔せんといて!

「そら豆茹でてきてん。ほら、きっれーやろー、塩味ついてるで」
「遅いわよ」
「え、二人知り合いなん?」
「わしら、コレでんねん」

 爺さん小指たてて。薄暑の太陽や。ニヤニヤしてからに。

「あんたらあっついあっつい、俺ハンカチほしなるわ」
「持ってるよ」
「比喩やん」
「阪急百貨店でこの人、靴下と一緒に買ってくれたの」
「そうですねん、愛が渇いてた頃ですわ」
「愛が渇く?」
「フフフのユッキーでんねん……独り言ですわ。ところで、お宅何してまんの?」
「俺はテーブル画家や」
「なんなの?」
「テーブルのグレープフルーツとか描くねん」
「あ、見習いってこと」
「よかったらわしら描いてくれまへんか」
「高いで」
「いくら?」
「五千万円」
「あんた……わしでもひいてまうがな」
「く、靴下くれや!」
「いいわよ、ほら」

 女はするすると靴下をぬいで、有無を言わさず俺の鞄に突っ込んだ。俺はハンカチって言うつもりやってんで。つい間違って靴下と叫んでまったんや。いや、ハンカチかて本気で欲しかったわけやないねん。けど羨ましくて。なんで阪急でこんな爺がこんなええ子を。俺かて。

「おじさんの絵ってどこかデュフイ的ね」
「デテールに幸福がある、兄ちゃん絵心あるやないかい、スミレ色のショールとそら豆よう描けてる」
「色鉛筆なのにね」
 俺は猛然と描いてたし、爺と女、何言ってんのかわっからへん。なあ、それ褒めてくれてんの?
 できた絵をみると二人は肩寄せてわろてた。

「サイン抜けとるがな!」
「連絡先も教えて」

 それが一ヵ月前。さっき勉強にU雑誌こうたらアレがのってるやん。あの爺、酢ノ内万郎って画商やて。そこに電話が鳴った。

「U雑誌編集の古田です、靴下の」
「えっ」
「エエコトあった?」
「こんなこと……」
「万郎先生嘘つくから騙しちゃった」
「愛人ちゃうん?」
「うん」
「会える?」
「うん」
「ほな、ほなっ、阪急の靴下売場で!」




Copyright © 2009 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編