第79期 #33

ひとり

 気づいた時は、僕は一本の木の影だった。黒い木の姿をして、梅園の丘の上に伸びていた。
 丘にはたくさんの梅の木があった。僕と同じようにどの木も同じ方向へ伸びる影を持っていた。僕はなぜ自分が影になったのか分からなかったけれど、周りに同じような木と影があったので寂しくはなかった。
 春の陽気の中を冷たい風が走り抜けていった。梅園は花盛りだった。花のついた梅の木の影は、子供の姿をした影法師となって幹から離れて走り始めた。楽しそうに駆け回る声を聞いて、僕も皆と一緒に遊びたいと思った。
 日が昇り、沈むのを繰り返した。日が沈むと僕の体は夜に溶けていった。溶けている間、僕は眠ったように意識がなくて、日が昇ると意識と姿を取り戻した。そして僕の木の枝にも桜の花がついた時、僕は幹から離れる事ができた。
 梅園の真ん中で影法師達が集まっていた。「何をしてるの」と一人に訊いてみた。彼は「兵隊ごっこをしてるんだ」と答えた。
「なんで兵隊ごっこをしてるの」
「戦場では影も戦っているんだよ。僕達が兵隊達の影に代わって戦場へ行くのさ。兵隊だって影がしっかり動けた方がいいだろ」
 僕は「なんで僕達が代わりに行くの」と訊いてみた。でも彼は答えてくれなくて、黒い顔からは表情が分からなくて、ただ訝(いぶか)しげに僕を見ているのは分かった。僕は居た堪れなくなって彼の前を離れた。
 影法師は皆同じ姿をしていて、皆同じように兵隊ごっこをしていた。僕は一人梅園の中を歩いた。僕も兵隊にならなくちゃいけないのだろうかと不安になった。
 梅園の丘の頂上に一本の大きな木が見えた。その木の陰に首を吊った体がぶら下がっていた。見てみれば、僕のお父さんのように見えた。
 吊られた体の下に来て、僕は「お父さん」と訊いてみた。
「私はお前の父さんじゃないよ。私はあの桜の木の父親だ。見てごらん、今奇麗に咲いているだろ。今度は奇麗に花びらの散るところが見たいんだ」
 そう云うと、木に吊られた体は動かなくなった。僕は一人、来た道を戻って梅園の中へ帰っていった。
 僕は桜の幹にくっ付いて、もとの影に戻る事にした。向こうでは影法師達が
『梅の木は強靭だ 伐(き)っても伐っても伸び続ける』と歌っていた。

 日が昇り、沈むのを繰り返した。いつしか声は聞こえなくなった。散り始めた春の梅園は静かになった。
 僕はここに残って、誰かがまた遊びに来るのをじっと待っていようと思った。



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