第79期 #3

逆時計

「逆時計」
誕生日のプレゼントは何がいいか、という問に彼女はそう答えた。
「なんだって?」
「逆時計周り時計」
「それが欲しいの?」
「うん」
「初めて聞いたな、そんなもの」
「なんとなく思いついたのよ」
「えーっと、どこに売ってるんだろうな……そもそも……」
そもそもそんなものが存在するのだろうか。
しかし、なぜ逆周りの時計などというものを欲しがるのかその時の彼にはまったくもって理解できなかった。
確かに一風変わった品なようなので人に見せびらかせば満足を得れるのかもしれない。
けれども、と彼は思う。
そのような人だったろうか、彼女は。

友達付き合いから数えると丸三年になる二人の関係は、ほとんど終局を迎えつつあった。
彼女は両親が経営している小さな旅行代理店の手伝いでちょくちょくガイドとして海外ツアーに同行していたが、大学卒業が迫り、両親と今だ決めていない進路を話あった結果、そこに就職することとなり、今度は本格的にガイドとしての勉強を始め、更に手伝いに行く機会も増え、大学に来ることが稀になった。
そんな様子なので彼は寂しい気持ちを抱きはしたが、彼も彼で、その頃自分の就職の準備やらに真面目に取り掛かりはじめたので、耐え難い空白も埋まり何も感じることもなく自然と二人は会わなくなっていった。
毎日のようにお互いのことを話しあって積み重ねてきた年月がまるで夢のように、はなればなれになってしまっていた。

数日後、彼は街へ出て逆時計なるものを捜し歩いた、ネットで調べ、存在を確認はしたもののどうやら通販などでも既に売り切れているらしく、加えて限定生産なので、望みは薄かった。
スーパーやブランド店を巡り歩き、隣町にも行き、都会にも出たが見つからなかった。
オークションで……しかし中古品はいかがなものかと諦めてしまい、結局女性物のシンプルな腕時計を買い求めた。

数年後、彼は転勤先の街を一人練り歩いていると、古ぼけた時計屋のショーウインドウにふとした違和感を感じた。
覗き込んでみるとそこに逆時計を見つけた。
眺めていると不思議な気持ちに囚われた。
職人はどんな気持ちでこの時計を創りあげたのだろうか。
あの時の彼女は何思ってこの時計が欲しいと頼んだのだろうか。
今の彼には分かる気がした。
世界に矛盾した時計は刻々と誇らしげに逆周りに時を刻み続けている。
世界のほうが矛盾しているのだと言わんばかりに。
彼はショーウインドウの前に立ち尽くしていた。



Copyright © 2009 田中かなた / 編集: 短編