第78期 #5

僕のやるべきこと

 さっきまでの通り雨のせいで湿ってしまった地面に洗濯したてのズボンを濡たらしたくないとため息をつきながらも、仕方なく腰を下ろして僕は考えた。
 僕ははっきりと知ってしまったんだ。
 昨日まで待ち遠しかった美術の時間、外での写生が嫌で嫌で溜まらなかった。あまりに嫌で腹が立って美術部員でありながら大切な絵の具を思い切り踏んづけてやった。
 この世界の色はすべてこの絵の具で出来ている。今着ている制服だって濡れた地面だって。校舎も、この空さえも誰かがベタッと好きなように絵の具で色を付けたんだ。今見えているもの全てがそう僕に訴えている。
 神様じゃない、誰かが勝手に色を決めた。許せない。きっと絵の具だけでは作り出せない色があるはずなのに。僕にはそれが見つけ出せない。
 目の前の自分の書きかけの絵には当然ながら色が付いている。今美術部で取り組んでいるテーマは『自由』だから、僕は大空を飛ぶ鳥を描こうと随分と前から下絵を描き始めていた。難しいことなんて何にも考えずにただ、好きなように絵の世界に夢中になっていた。すらすらと動いていた手が急に止まってしまったのは、昨日の夜ゲームを始める前に色の配置を考えていたときだった。

 ふと、
 大きな欠伸をした。
 つられてさらに大きな背伸びをした。

 この瞬間さえも誰かが作り出しているのか。
 そう思うと悔しくてたまらなかったけれど、ただゲームのやりすぎによる寝不足と一時間目が数学だったせいで眠いだけなのかとも思った。
 結局僕は単純な中学生でいるしかないのか。

「うおーっ!!」
 僕は思い切り空に向かって叫んだ。すっきりした、と僕が思ったのとクラスメイトが僕を一斉に振り返ったのと、ほぼ同時だった。誰かが向こう側で、
「あ、虹だよ」
 と言ったのがほんの少しだけ遅れて聞こえてきた。
 え?どこどこ? 
 どうして皆虹を見たいと思うんだろう。そんなに珍しいのか。
「ふん、ただの虹だろ」
 どうせこの虹だって誰かが都合のいいように明るい色を並べただけなんだろ?
 とは言いつつ素直に綺麗だ、と思ったりもした。
 僕は何を考えているんだ。
 僕にはもっとやらなければならないことがあるじゃないか。
 そうだ。一週間前から描きかけの、この絵を完成させなければ。 写生なんて無視して、今は自分の書きたい絵を描けばいい。
 少し焦りながら虹を見上げて、そしてもう一度大きな欠伸をして、僕はまた筆を動かし始めた。



Copyright © 2009 暮林琴里 / 編集: 短編