第78期 #12

コーヒーゼリーと都会の月

 風呂上りに、男はまず冷蔵庫に入れておいたコーヒーゼリーを取り出す。男はコーヒーゼリーが大の好物だった。
 キッチンのテーブルには物憂げな先客がいた。同棲して一年になる、男の彼女であった。
「話があるの」
 思いつめた表情をする彼女の正面に、男は腰掛けた。
「どうしたんだい?」
「大事な話なの」
 彼女の真剣な眼差しは、男への批難が滲んでいる。男は右手に持ったコーヒーゼリーを置いた。
「それは、このゼリーよりも大事な話かい?」
 お道化てみせる男に、彼女は失意の溜息を洩らす。
「あなたっていつもそう。何一つ、真面目に考えてくれない」
「そんなことないよ。いつだって俺は真面目さ」
 男はコーヒーゼリーのカップの下部に付いているミルクを取り外す。
「なら、私たちの将来のことは、どうなのよ」
 彼女の目にはうっすらと涙が浮んでいる。
「もちろん、考えてるよ」
「それじゃ、結婚のことは?」
 男はゼリーのフタをぺりぺりと剥がす。その拍子に、手の甲にコーヒーの液が跳ねる。「おおっと」
 彼女は諦めたように首を振る。
「私たち、もう駄目ね」
「何を言ってるんだい? そんなことはないよ」
 プラスチックのスプーンを袋から取り出し、脇に置く。
「……別れましょう」
 彼女は涙をこらえるようにして、窓から夜空の月を仰ぐ。都会の空に星は見えないが、綺麗な満月がぽっかりと照らしている。
 男は慎重にゼリーの表面にミルクを垂らす。中央にぽっかりと、白い円が出来る。それが何だか、夜空の月のように思えた。
 そして力の加減を一定に保ち、均等に表面全体に広がるようミルクを注いでいく。最後の一滴を垂らした時、ゼリーはその黒く半透明なその体を白いミルクの膜で隠した。男は満足した。
「泣かないでおくれよ。ほら、これをごらん」
 男は、隠しておいた小箱を取り出して彼女に渡す。目を赤くした彼女がおずおずとそれを開くと、そこには光り輝くダイヤの指輪があった。
「別れる前に、それを受け取ってくれないか。僕からの結婚指輪だ」
 彼女はワッと声を上げて男に抱きついた。それを男は左手で優しく受け止める。窓から見える満月が、二人を優しく照らしている。綺麗に真ん丸で、曇りのない白い姿だ。
 ふと男がゼリーを見ると、ミルクとコーヒーが微妙に混ざり合い、表面が斑になっている。
 男は余った方の右手でスプーンを手にとり、ぐちゃぐちゃとそれを掻き回した。



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