第76期 #2

カラーコンタクト

 最近、道を歩いていても人の顔を見ない。落ち葉が風に吹かれるのを目で追ったりしている。バス通りの坂道を上ると神社の隣にコンビニがある。そこまではなかなか急な坂だ。朝から僕は疲れている。人の顔を見るのが厭になったわけではない、と歩きながら考える。人に見られるのが厭になった。昔から他人の目ばかり気にしてやってきた。親や友達や先生たちの顔色をうかがって、何かすればいつもまっさきに言い訳を考えていたので、頭の回転の早さには少し自信がある。
 周りを見ないので周りがどんな目で自分を見ていても関係ない、同時に周りを気にしていないのだなという風に見てほしいというシグナルを出してもいる。矛盾しているけど、それはそうに違いない。周りが見えていなければ恥ずかしい格好をしていても気にならない。サングラスを付ければ注目を浴びても安心できる。女装しても元が誰だかわからなければ恥ずかしくない。
 彼女はどういう種類の人間なのだろうか。髪を薄い色に染めて、ぱっと見、全身で十万以上するんだろうなという感じのハイブランドばっかり載っている雑誌から出てきたみたいな恰好をしていて、いつもクラスに全然友達がいないと嘆いている。「テストのときノート見せてくれる人がいなくて困る」
 そのくせ自分から友達を作る気は全くない。
 しかし話してみると、彼女は趣味は多少偏っているが、ずいぶん真っ当な、普通の人間なのだった。むしろそこらへんの真面目そうなやつよりよっぽどしっかりしている。というのはサークルの行事の取り仕切りを一緒にやっていて知ったことだ。
 それはおそらく珍しいことじゃない、でも僕は変わりたいと思った。違った人間になりたいという風に。だって僕はもう人に見られるのが耐えられなくなりそうだった。もういっそ消えてしまいたかった。夜、暗闇の中に逃げ込んで今日は終わったと自分を慰める日々は、大げさなものじゃない。ただ僕は自分がよりよく生きるためにこういう性格を選んだのだと勘違いしていた。
 他人の目が気になるのは自分のことばかり考えているからだ。彼女のことを考えるのはいい傾向だと思う。というかこの時期地面が凍り始めるから、実際下を見て歩かないと危ないのだった。
 バス停には人がたくさんいた。誰の顔も見ずに通り過ぎると、犬と目が合った。



Copyright © 2009 藤舟 / 編集: 短編