# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | 死亡記事 | アンデッド | 1000 |
2 | ハッピーマート事件 | loooly | 960 |
3 | 東京タワー | 暮林琴里 | 991 |
4 | 僕の天使 | のい | 991 |
5 | 第75期投稿作品 | くわず | 1000 |
6 | ミュージック | Chiro | 624 |
7 | この部屋は埃がこげた匂いがするの | ヨシ子 | 968 |
8 | フォーエヴァー・ヤング | yasu | 978 |
9 | SILENT IN THE MORNING | しん太 | 937 |
10 | Air-Complex | 腹心 | 995 |
11 | 花筏 | 志乃誠明 | 916 |
12 | ありがとう | 駿河聖 | 986 |
13 | 梨葬 | qbc | 1000 |
14 | 指の夢 | クマの子 | 1000 |
15 | 夢 〜DREAM〜 | 田崎 貴貴 | 319 |
16 | 世界の死 | euReka | 987 |
17 | 雪 | わら | 1000 |
18 | 擬装☆少女 千字一時物語42 | 黒田皐月 | 1000 |
19 | 積み木の空とウロボロス | 蒼ノ下雷太郎 | 627 |
20 | 私の夢を見る私 | 魅琴 | 792 |
21 | 1000字でわかる(ような気がする)日本の歴史 | さいたま わたる | 1000 |
22 | クリスマスカロル | 宇加谷 研一郎 | 1000 |
23 | 背中 | K | 1000 |
24 | 家族会議 | 心水 涼 | 980 |
25 | 古井戸で | エルグザード | 920 |
26 | ミソスープの香り | えぬじぃ | 1000 |
27 | 森の中のゾンビちゃん | 西直 | 1000 |
28 | ファズ | るるるぶ☆どっぐちゃん | 1000 |
十五日未明、各界で著名人として知られるアンデッドさんが死去した。年齢は二百五十三歳だった。
自宅の自室でアンデッドさんが倒れているのを家族が発見し、救急車を呼んだが既に亡くなっていることが判明。遺体の状態を見てそのまま警察機関に通報した形となった。
警察では自殺・他殺両方の線が考えられるとのことで、変死事件として県警に捜査本部が設置され、捜査が始まっている。
初見の検死報告によると直接的な死因は原因不明の窒息死のようであるが、それとは別にアンデッドさんの体内から未知の毒物が検出された。
これは開発中の冥王星でつい先日発見された新種の劇毒物『サウロン』ではないかと見られている。
しかし新種の毒物である『サウロン』は冥王星基地とリンクし共有されたデータ上でそれと確認照合が出来るものの、地球上での生成は現在不可能な毒物だ。
先日の発見後、研究中の新種の毒物を乗せ冥王星域から発進した運搬貨物船もまだ地球へ帰航中である。
発見されたばかりで今だ未知の部分が多く地球上には存在もしないそのような毒物が、なぜアンデッドさんの体内から発見されたのかは依然謎のままだ。
またアンデッドさん自身は過去に耐毒強化施術を受けており『サウロン』に関しても多少の抵抗性があったと推測され、それにより毒物が直接的な死因にならなかったのではないかと目測されている。
この件に関して冥王星開発を担っている科学省と傘下の研究機関も大きな関心を示しており、警察機関への技術協力も目処に入れているとのことである。
他にもアンデッドさんの遺体には原因不明の斑点や傷跡などがいくつも残っているとのことで、因果関係などより詳しい検死報告の結果が追って急がれている。
記者の取材を受けた遺族の話によると、アンデッドさんは生前に「もうすぐ始まる」などと意味不明なことをしばしば口走っていたという。
近年体調が優れなくなってからは殆ど自室に籠もりきりになり、外部との接触を拒んでいたとのことだ。
警察ではそれらと事件への関連性が調べられている。
亡くなったアンデッドさんは様々な科学技術開発や文化的な作品を多く世に残しており、今年の連邦議会名誉殊勲賞候補の一人としても名前が挙がっていた。
なお故人による生前からのたっての強い希望もあり、その遺志に沿って葬儀・告別式は取り行わないとのこと。
通夜は二十日に近親者のみで済ませる模様である。
『2008年3月・総被害件数168件』とボードに大々と書かれた会議室はまがうかたなき絶望で満たされていた。
大手コンビニハッピーマート本社の報告会議からは幹部達の呻き声だけが濁流の如く漏れ続けている。
そこへ本日初出勤で遅刻を決めた私が、そっとドアを押し開け中に入った。
悪びれる素振りも無い私を責めるものは誰一人としていなかった。
否、誰も私の存在に気づけない。それほどまでにその空気は重く通夜のようでさえあった。
これは好都合と私は部長の隣に腰を下ろした。
頭を抱え込んだ部長は両肘を強く押し付けたまま机に突っ伏していた。
部長だけではなく、参加者ほぼ全員が同じ姿勢で固まっていた。
テロリストめ…
力なく吐き捨てられた部長の一言が状況の深刻さを物語っていた。
手元の資料によると事件はコンビニ専門のテロリストによるものらしい。
先月、ハッピーマートのオリジナルである『ウッカリぽてとガーリック味』を購入した主婦から一本の苦情が入った。
中身のポテチが何者かによってバキバキに潰されており、粉末状になっていたという。
最初は小中学生のイタズラだろうと誰も興味は示さなかった。
だがそれから数時間後には同じ内容の苦情電話が相次ぎにかかりだし、ついには回線がパンクしたという。
これはただの悪戯ではない、そう誰かが気づいたときには後の祭りであった。
そして事件発覚の翌日、ついにYouTubeの動画にて犯人と思われる男からの犯行声明が出されたそうだ。
会議室のスクリーンに淡々と投射されているその映像はウッカリぽてとを大量に揉み潰すという行為だけがもう十分弱続いていた。
そして最後に犯人は、ご賞味あれっとメッセージを残し、満面の笑みとVサインで締めくくられた。
…一体我が社に何の恨みがあってのことか。カメラの前で覆面すらせずその面構えを丸出しに、さも楽しげに粉ポテトを量産することに何の意味がある。
部長は冷たい机に頬ずりしてみせた。
私は部長の丸まった背中にそっと語りかけた。
彼に悪意はないんですよ
悪意でなかったら何なのだね
愛ですよ、愛。ハッピーマートに対する
愛だと、馬鹿なことを云うな。こんな破壊行為に愛などあるものか
だってこれ、ふりかけにした方が絶対おいしいんですよ
部長が勢いよく起き上がり、振り向くと
彼の血走った眼光に、私はそっと、Vサインで答えた。
この春、上京することになった。
それは新たな暮らしに胸を躍らせるようなキラキラしたものではなかった。通訳の勉強をするために留学をしたいという小学生のころからの夢は消えた。
ぽかぽかとした陽気に包まれた駅のホームには私だけがポツンと立っていた。
三か月前母さんががんで亡くなり、もともと母子家庭だった私の家はまだ弟と私の二人だけになった。母さんがいない家は妙に広く感じた。アナウンスが流れて、東京行きの列車がホームに到着した。12歳の弟を祖父母の家に預けて私は一人、誰の見送りもなく東京へと向かう列車に乗り込んだ。
今まで一度も東京へは行ったことがなかったから、東京タワーはひどく高くみえるだろうと私は思っていた。なぜだかわからないけれど、私はそのときもう2度とここに戻ってはこない気がした。それじゃあ何のために高校を中退してまで東京まで行かなくてはならないのかと、よく分からない感覚に囚われていた。今まで感じたことないような変な感じのする感覚だった。
『自分の好きなように生きなさい』。自分の死を告げるかのように、青白くなった顔で必死に笑いながら母さんは息をひきとった。それはとても静かで、母さんはまるでおやすみ、と寝るかのようだった。人が生まれてくるには大変な時間と力がいるのに、消えていくのはあっけないんだな、と私は拍子抜けした。
ただそのとき、頭の中にあった母さんとの記憶が一瞬で消えて、思い出に変わっていく気がした。タイヤからシューッと空気が抜けていくみたいに体中の空気がぬけて、人間じゃなくなっていく気がした。
人は何のために生きるのだろうか。
そして、私はどうして今ここにいるのか。
毎日大切な人が隣にいて、温かい布団で寝て、たまにはおいしいものを食べて、私の好きだと思うことをして生きていればいい。ただ人が生きるのに理由はいらなくて、人は、私は、幸せになりたいだけなのだ。
失うものなどない。失くして困るものなんてないと思っていた。
私はこの春、大きなものを二つも失くした。
ふいに携帯電話を覗きこむ。もちろん着信履歴も新着メールもない。孤独になったときひとは、誰かを求めたくなる。
窓から見える桜が満開で嫌になるほど外は眩しくて、少しだけこれからの生活に期待したくなる。私はどうやって明日を生きていくのだろう。
外には無数の桜の花びらで霞んだ、東京タワーが見えた。
「えっと…誰さんかな?」僕の家の玄関前に舞い降りた彼女は、もう十二月になるというのに白のワンピースしか着ていなかった。
「僕、君を知らないのだけど…?」彼女はそれが何?というように僕を見た。僕は寒くて寒くてしょうがなくて「えっと…入るかい?」と扉を開けて招いてみた、「入る」喋れるわけね。
コーヒーを入れて彼女に渡してあげた。「苦い…これ嫌い。」文句ですか…まぁいいけどさ。「砂糖とミルク入れたら飲めるかな?」コクリと彼女が頷いた。
甘くなったコーヒーを飲む彼女に僕は質問をした。「君の名前と年齢と後住んでるとこ教えてくれるかな?ちゃんと家帰らないといけないし。」彼女はムスッとして顔を僕から背けた、「じゃあ…名前だけでいいから教えてくれないかな?君呼ぶときこまるし」(あとは警察に届けるにしても名前は必要だしね)なんてことを考えていると「エンジェル」と彼女が答えた、(それって名前なわけ?)「えっと名ま「エンジェル」「だから名「エンジェル」「あの…「エンジェル」「…わかったよそのエンジェルちゃんは僕に何の用があるのかな」「ペット」・・・「僕はペット屋さんじゃあないんだ…残念ながら」「貴方のペットになる!」(僕にはそんな趣味は…無いのだが…)僕は土下座して「要りませんっ」と言ったのだが、彼女はどこから出したのか首輪を持って「つけて?」(僕は無視デスカ。)「うん…わかった君の意思は充分わかったから、帰ろうか。」
結局彼女ことエンジェル(?)は帰らなかった、「じゃあ…バイト行くから」ガシリッ僕の服の裾をエンジェルが掴んでいた、「離して欲しいなぁ?」「嫌。」(…この子は何なんだもう!)「わかったよ…バイトまでまだ時間あるからまだ居るよ、それでいい?」スルッと僕の服から手を離した、プップルルルルーと電話が鳴ったガチャリと電話をとって「はい、もしもし」と言うと母がでて「お父さんね、昨日死んじゃったのよ…昨日…連絡出来なくてごめんね…ごめんね…ごめ…なさ…」「嘘…だろ」そのあと母は謝っていたけれど、俺の耳にはもう届いてこなかった。ガチャリ…受話器を置くと彼女が「ごめんね、辛いかもしれないけど、お父さんからの伝言伝えるね、「お前は生きろ、死ぬのは俺の歳越えてからにしろ」って…」
「君……!?…父さんらしいな…ありがと。まだ…そこに居てくれな。」「うん。」僕は彼女の膝で眠りについた…。
顰め面のオフィス街に時折開く笑窪の様な小ぢんまりとしたカフェで、午の微睡に抱かれながら、私はS子を待っていた。狭い店内は中央に向かって急傾斜しており、客達は傾いたテーブルと椅子にしがみ付いて時間を過ごす。床が平らかになると、街は次第に戦場の如き慌しさを帯びていく。私は塹壕に身を潜めて、戦場に鳴り止まぬ銃声に怯えていた。致命傷を負った友が隣で、譫言の様に恋人の名を幾度か呟いて事切れた。止め処無く垂れ流されるその譫言は、私の右斜め前に座す四十恰好の女二人の、自動機械ばりに開閉する顎関節から出来していた。と、螺子が緩んだのか、背を向けている女の下顎部がテーブルで跳ねてから向かいの女の足許へ落ちた。顎の無い相手と対峙する女は石像と見紛う程冷然たる面持ちであり、疾風舞う大通りに居並ぶ石像群のその横顔に窓ガラス一枚向こう見惚れながら、私はゆったりと過ぎ行く時間を撫でるが如く珈琲を啜った。私の這わせた指に、時間は頬に朱みを湛えて身震いし、水の様にするりと流れ去った。ウェイトレスがアルミポットから注ぎ出すその水が、空になった私のグラスを満たす。蒼白い細面に似合わず、グラスを握る指は太った芋虫の如くに張り詰めていた。五匹の芋虫は彼女の手首を這い降りようとしてテーブルに零れ落ち、薄橙の腹を見せてのた打ち回った。内一匹は珈琲の中へ沈み、忘却の彼方に浮かぶ孤島さながらに、強い毛の生えた頭部を水底から覗かせた。島全体を覆う藻玉の森を劈いて、鳥が一羽、空へ舞い上がった。鮮やかな群青に彩られた胴の先に伸びた長い首を擡げ、遥か地上を見下ろすその顔は、どこかS子に似ていた。S子は私を見とめると、少し浮き上がった後両の翼を畳み、カフェの入口目指し急降下したかと思うと、その圧によって自然開いた薄橙のドアから一陣の疾風よろしく店内に切り入り、そのまま店奥に置かれていた隠れ蓑の鉢を、恰も子の頭を撫でる母の様に柔く揺らして掻き消えた。母は屈んで何も言わず私の頭を撫でてくれたが、私は心内を螺子の様に渦巻かせた顰め面で唯黙立していた。私は足許に転がっていたその螺子を拾い上げ、池へ放り投げた。隣に座っていたS子が、あ、と声を上げた。螺子は羽を休めていた水鳥の横を掠め、水底へと吸い込まれていった。鮮やかな群青の水鳥は静かに面を上げ、S子を凝っと見詰めていた。午の微睡を想わせるS子の横顔には、深い笑窪が刻まれていた。
いつも考えていることがあった。
どうしてこんなに満ち足りていないのだろう、と。
夢もあるし、恋人もいる、お金がないわけでもない。
それでも私は、渇いていた。
こんなに何かを求めているのは私だけなんだろうか。
他の誰も、
同じような悩みを抱えている人はいないのだろうか。
疑問に思いながらも、
なんとなく笑って他人の中に埋もれて、毎日暮らしていた。
そんな私は
今日もいつものように
学校からの帰り道、
一人でなじみのCD屋に立ち寄ってみた。
セールで半額になっているワゴンの中に
一枚のCDを見つけた。
椅子にぼんやりと座っている男の人の
ジャケ写が印象的で、
まるで私みたいに無気力そうなその人が
どんな歌を歌うのか知りたくて、
そのCDを思わず購入してみた。
帰宅して、
家族となんとなく食事をしてから
自室に入ってヘッドフォンをして、
そのCDをかけてみた。
息が止まるかと思った。
ぞくぞくと背中に鳥肌が立ち、
私の知らない音の洪水が耳の奥へと押し寄せてきた。
私の知らない夢と愛と幸せが、
音に乗って色鮮やかに私を抱きしめた。
もう、どうしようもなく涙があふれた。
全く無気力なんかじゃなくて、思いっきり生きている
その人の人生が、音楽から伝わってきた。
妬ましかった。ズルイと思った。悔しかった。
そして私も知りたいと思った。
手に入れたいと思った。味わいたいと思った。
夢や愛や幸せ、生きている喜びを。
私の中に灯った感動という明かりが、
昨日までの日常を壊して、新しい夜を照らしはじめた。
面白い小説が書けないのはなんの変哲もないつまらない生活をしているからだ!と派遣のバイトを始めてみたが一日で辞めた。屑だ屑すぎる。一日って、いくらなんでも短すぎるだろ。
「一日っていくらなんでも短すぎるでしょ。」
「・・・そんなことないもん。大体派遣なんてもうちょっと古いよね。」
「そんなことないでしょ。」
自分でも思っていたけれど他人に指摘されると反論したくなってしまう。悪い癖だ。
「やっぱり得手不得手があると思うんだよね。私に肉体労働はあわないんだよ。」
「得手ってなに?」
「得意不得意ってこと。」
「そっか。」
彼氏はベッドに寝転がってミカンを食べながら漫画を読んでいる。私の屁理屈には大して興味がないらしい。
派遣の仕事は色々あるらしいけれど、記念すべき初めての仕事だった工場勤務は私には過酷すぎた。普段コタツに入ってテレビを見たりインターネットをしたり、外に出るのは夕飯の買い物だけというだらけきった生活ではダンボールの荷物を運ぶ仕事でも酷い筋肉痛になった。アパートの階段をのぼるだけで太ももがプルプルする。
パソコンの電源を入れた。シャラーンという音と共にたちあがる。かちゃかちゃと景気よくタイピングができると、気分がいい。やはり私にはこうしてコタツに入ってミカンを食べながら小説を書くのが性にあうのだ。
「今日の夕飯はどうする?」
「お米あんまりないからパスタにしよう。」
「じゃあカルボナーラがいい。」
「わかったー。」
「まぁさ、女の人は無理して働かなくてもいいんじゃない?」
「そう?本当にそう思う?働かないからって私のこと捨てたりしない?」
「しないよ。」
なんとなく照れくさくなった。つまり俺が養ってやるということなのか。お前は俺のご飯を作って俺だけのために働いてくれということなのか。それってなんてプロポーズだ。
彼氏の無防備な背中に抱きついた。頬にキスをしてやる。可愛いやつだ。ついでに首に腕をまわして裸締めをかけてやる。
「ちょ、苦しい!苦しい!!」
「ワーン、トゥー。」
「らめー!!!」
笑いながら手を離してやる。彼氏も笑いながらキスをしてくれた。ああ、仕事がうまくいかなくても、学歴がなくても、私すごく幸せだ。
「今度私たちのこと小説に書こう。」
「面白いかな?」
「嫉妬されるかもね。」
フフフという笑い声は布団の中に消えていった。
僕は寺門さんを密かにヤングと呼んでいた。
彼は僕よりもだいぶ年上だったにも関わらず、年の差を感じさせないくらい見た目が若々しく、流行にも常に敏感で考え方も今風だった。
勿論本人や同僚の前では「寺門さん」なのだが、どうしても愛称を付けたい衝動に駆られるぐらい僕の中では大きな存在だったのだ。ヤングに連れられて初めてプールバーにも行ったし、タクシーに乗ると御釣りは受け取らないくらい羽振りもよかった。
ヤングは早くに結婚していた。あの頃、子供をつくらないで共働きする夫婦のことをDINKS(ディンクス)といって、マスコミでも大きく取り上げられていた。子供のいないヤング夫妻は時代の最先端をいくかっこいい夫婦像だったのだが、どうやらそれは僕の思い込みだったようだ。奥さんが妊娠したと聞いたのは僕が入社三年目の春だった。ヤングの嬉しそうな姿を見ると、僕も気分が良くなったものだ。何より失敗しても、叱られる時間が短くなったのは好都合だったのだが…。
奥さんが流産してしまったことは係長から聞いた。落ち込むヤングに掛ける言葉も見つからず、無力な自分を恥じた。飲み会があると、遅くなっても必ず迎えに来ていた奥さんを見ていたこともあって胸が痛んだ。しかし、そんなヤングが次に取った行動は驚くべきことだった。
『不倫』
この言葉は、僕にとっては別次元の出来事を差していた。しかもヤングがその当事者になるなんてことは、全く夢にも思っていなかった。
相手の悠美ちゃんは、小柄で大人しくて目立たない女性だったけど、顔立ちがはっきりしていて可愛い子という印象はあった。どういった経緯で二人がそんな関係になったのかは知らない。ヤングが悠美ちゃんの部署に異動になったのは、奥さんが流産したすぐ後だったことを考えると、ヤングの心にぽっかり空いた隙間に、たまたま悠美ちゃんが入り込んでしまっただけなのかもしれない。
ヤングなら、哀しみを仕事に打ち込むことで晴らしてくれると信じていた僕にはショックだった。もっとショックだったのは、不倫が他部署にも知れ渡ることとなった二人が、突然一緒に退社してしまったことだった。理由はどうであっても、「お世話になりました。」の一言も言えなかったことは悔やんでも悔やみきれない。
テレビで紹介されるような流行のスポットに行ってみれば、ヤングならふらっと現れるかもしれないけど。
小鳥のさえずりが聞こえる。もう朝か、そう思って僕は目を開けた。薄明るい光が窓から差し込んでいる。僕はしばらく天井を見つめていた。
時計を見た。五時二十分だ。僕はしばらく考えたあとで、散歩に出ようと決めた。ベッドから降りた僕は、トレーニングウェアに着替えた。そして、玄関から外へと出た。
薄い太陽の光が僕に降り注いだ。僕は右の手のひらで顔を少し隠して、太陽を見上げた。
少し眩しいが、日中の光に比べれば、まだましだ。僕は自分の住んでいる町を散歩し始めた。
しばらく歩き、横断歩道に差し掛かった。車は、全く走っていない。信号機はすぐに赤になり、僕は立ち止まり、横断歩道の向こう側を眺めた。
誰もいない。まるで、この町で起きて、動いているのは僕だけのようだ。
その光景は、少し、僕に廃墟を思わせた。僕は誰もいない廃墟を一人で歩いているような感覚に囚われた。僕は少し不安な気持ちになった。
信号機は青になった。
僕は横断歩道を渡り始めた。
誰もいないのに、僕は、何故だか、両手両足を大きく振って歩き出した。その地面に引かれた白い線の道を歩き切ると同時に、信号は再び赤になった。
僕はシャッターの全て閉まった、誰もいない商店街の通りを歩き始めた。
風が強く吹き抜けて、シャッター達がざわめいた。
商店街の店達は、まだ、眠りの中にいるようだ。歩いているとその店達の寝息が聞こえてくるようだ。まるで大きな動物達がそこで眠っているような印象を受ける。
僕は動物達を起こさないようにそっと歩き続ける。
マダオコサナイデ
彼等は僕に、そううったえているようだ。
少しでも彼等に触れると喰い殺されてしまいそうだ。
シャッターが彼等の閉ざされた瞼のようだ。それらを開けると彼等の剥き出しの眼球が露になるような気がした。
僕を取り囲む巨大な獣達。僕は商店街の店達をそうイメージしてみた。
眠れる巨獣達のそばをこっそりと通り過ぎようとしている僕。
商店街を通り切って、また、横断歩道に差し掛かった。
信号はまた僕が通ろうとした時に赤になった。
しばらく、赤の信号を見つめていたが、この先にあるのは圧倒的な虚無、そんな気がした。
そして、僕は、これ以上進むのを止め、引き返した。
おわり
春が終われば、夏が来る。
暖房「4月くらいからおかしくなってさ。もう最近は完全に俺を必要としてないみたいなんだ。この間帰ってきても俺の事はシカト状態だった」
冷房「冷たくしすぎたんじゃない??」
ドライ「あの子結構ドライだからなぁ・・」
加湿「君にも過失があると思います」
暖房「お前らに言われたくねぇ・・」
リモコン「女の子はちゃんとコントロールしないとダメだぜボーイ」
フィルター「アンタ達・・もうちょっとオブラートに包んだ発言をしなさいよ。暖房、気にする事ないからね。こいつら面白がってるだけなんだから」
送風「まぁまぁ。暖房がイイ奴なのはみんな知ってんだろ??暖房もさっさと元気出せ。空気の入れ替えは必要だ」
暖房「・・・そうだな、ありがとう。くよくよしててもしょうがねぇもんな。」
加湿「私が考察するに君はインバータにもかかわらずエアパージを怠った為に彼女のコンプレッサーが限界に達し」
送風「よし!!じゃあみんなでメンテにでも行こう。せっかくの夏なんだしさ!!」
リモコン「オーケー。俺が工場のエンジェル達と仲良くなって暖房の電源を再起動してやるぜ」
フィルター「どーせおばちゃんばっかりよ。と言うかあなたがナンパしたいだけじゃない。暖房はそんな事しないもんね」
ドライ「俺はパス。どうせ加湿も行くんだろ??アイツがいたら楽しめるもんも楽しめねぇよ」
冷房「あ、僕も今日は行けないんだ。最近忙しくてさ・・。今度また飲みに行こう、暖房。そん時はドライもね」
と言う事で、行ける奴らでメンテナンスに行く事になった。
気は晴れないけど一人で何もしないでいるより100倍マシだ。
全くこいつらとはくだらない会話ばかりで飽きる事がない。
そして、飽きが来る頃には冬の訪れも近いだろう。
そうすれば俺もまた彼女に求められるかもしれない。
その時の為に用意だけはしておこうと思った。
メンテ中に、室外機からメールが来た。
みんなが出かけたはずなのに出てくる空気が異常に熱かったので、部屋の中をのぞくとそこには彼女の火照った体を包み込む冷房の姿があった。彼女はまだ俺と付き合っていると思いあわてて連絡をしてきたとの事だが、彼女が冷気の愛撫に快感を覚えている描写をご丁寧に添えたそのメールは、まだ俺が彼女と付き合っていると思っているとは思えない。俺は設定温度以上の熱を自分の中に感じ、返事をせずに携帯を閉じた。
夏はまだまだ終わりそうもない。
「花筏っていうんですよ」 あ、はいと俺は答える。 白い煙草の煙、満開の花が覆う桜色の天井。その隙間から覗く、空色としか言えない快晴の空。雲。
都会の中にも、川は流れている。車が絶え間無く行き交うバス通りにも、花は咲く。川は何も問題なくコンクリートを流れる。コンクリートに守られた桜の木は毎年見事に花を咲かす。破壊にも似た保護のもと、都会で自然は営んでいる。
俺は煙草を吸いながら、毎日見事なことで有名なその桜並木を散歩する。しばらく歩くと、惨めな姿になった川と桜並木は直角に交わる。
橋から見下ろすと、川の上流にもある桜の木から散った花びらが流れてくる。それを見るのが、好きだった。
「花筏っていうんですよ」 不意に女の声がして、俺はその方向を見る。年は二十代半ばというところか。OL風の女が、隣で川を見ている。
「散った桜の花びらが川に浮かぶ様を筏に例えた春の季語です」
落ち着き払った声で女が話す。
「あ、はい」
それが自分に向けられた言葉と気付き、咄嗟に返事をする。よくみれば、女は質素ながらもそれなりに美人だった。
「知りませんでした。博識ですね」
数年前に禁煙を決め、その決意の証に肌身離さず持ち歩いている携帯灰皿を、初めて使った。
「昨日の天気予報で得た豆知識です」
と、女は微笑んで花筏を見る。
「でも、筏といってもあんな筏に乗ってたらすぐ沈んじゃいますもんね」
「まぁ、そうですね」
何なんだ?この女は?
「いつもね、気になってたんですよ」
「はい?」
一瞬、身構えて、そんなことはないとすぐ考えを打ち消す。
「私、いつもバスに乗ってるんですよ。でも、渋滞してるでしょう?だからバスも動かないんです。もういっそ歩いた方が早いんじゃないと思って」
「結果、どうでした?」
「花筏を見る余裕すらあります。歩いて正解です」
「そうですか」
「では、これで。バスに乗ったのと同じ時間がかかってしまうので」
女が腕時計を見ながら言った。
「それは急いだ方がいい。また…」
「え?」
「いえ、なんでも」
また、会えますかね?
本当はそう言いたかったのだが、それは野暮というもの。
俺は煙草をくわえ、花筏を眺めながら、散歩を続けた。
会社で大変なミスを犯し多大な損害を与えてしまった亮輔は、死んで詫びようと考えふらふらと道を歩いていた。すると突然後ろから「今にも死にそうな顔をしているな」と声がする。慌てて振り返ると、コートを羽織った見知らぬ男が残念そうな表情で亮輔を眺めていた。
「これから死にます」とでも顔に出てるのかと、一瞬混乱した亮輔は思わず頬や額を触ったが、そんなバカなと気がつくとムッとして男の正面に立った。男はそれにたじろいだかに見えたが、すぐににやりと笑い口を開く。
「バカだなあ、人生は三万日しかないんだよ。たとえ80年生きたとしてもね。だったら死ぬ気で生きてみろよ」
何でもお見通しさと言わんばかりの口調に、だんだん腹がたってきた亮輔は「分かったような口をきくな!」と怒鳴ると、男に背を向け予定を変更することなく近くのビルへと歩きだした。
屋上に到着すると乱暴に靴を脱ぎ、揃えもしないでフェンスによじ登る。
「どいつもこいつも二言目にはバカだのアホだの」
もう変な邪魔が入るのは御免だった亮輔は、息巻いた勢いでそのまま身を投げた。
途端に目の前は暗転し、今までの思い出がぐるぐる廻りだす。「これが走馬灯のようにってやつか」と呑気に眺めていたのだが、そこに出てくるのは自分をバカにする同僚や、上司に叱責されて頭を下げる自分の姿ばかりだった。
「俺の人生ってなんだったんだろう」
このまま最期まで虚しい気持ちで終わるのか。そう諦めかけた時、やっと思い出らしい映像が流れる。
「チャオ!」
それは全身白い毛で、尾だけ茶色の昔飼っていた犬だった。
「懐かしい……お前と小屋で一緒に寝たこともあったよなぁ」
幼い頃に思いを馳せる。一人っ子の彼にとってその犬は兄弟も同然だった。
「お前との思い出が最後で本当に良かったよ」
落下しながら涙が溢れたが、拭うことも出来ぬまま体に衝撃が走る。
「痛っ!!」
こんな状態でも声が出るんだなと、不思議に思いながら息絶えるのを待っていた。しかし一向に痛みが治まらず恐る恐る目を開けてみると、なぜか自室のベットの下に転がり落ちていたのだった。
「あれ……どうして」
打った頭をさすりながら亮輔が起き上がっている頃、ビルの下にはあの男が居た。そして豪快なくしゃみを一つすると、その拍子でコートから飛び出した茶色のしっぽを慌てて隠しながら、鼻歌まじりにどこかへ消えていった。
――フェンスの網目から、僕達は小指を結ぶ。
すると監視が跳んできて、棍棒で、床の上で横になっている僕達をぶった。結んでいた小指は引き離され、早く寝るんだと、頭を上から手で強く押し付けてくる。
僕達は力なく、声も出さず、コンクリートに敷かれた暗く狭い布団の上で、僕はうつ伏せに、彼女は左肩を上にして寝に入る。でも、うつ伏した僕の右手は、乾いた布団の上を這って、布団の縁を出て、彼女との間に立てられたフェンスへ向かう。そして彼女の手が来るのを、そっと待つのだった。
小さくて、どこか器用で、僕より行動的な彼女の手。僕はただ、彼女が来るのを待っていた。
彼女の伸ばした右手もフェンスの傍まで来て、髪を留めていたゴムを握っていて、その桃色のゴムで、フェンスの下で、僕の小指と自分の小指を、痛くもなく、緩くもないように、静かに結んだ。僕は指が結ばれる中、動かず、目も開かず、ただただじっとしていた。
フェンスの下の、指がやっと通る程度の、冷たい地面との隙間の中で、結んだ小指が見つからないように、互いの小指の側面だけをそっと触れさせ、僕達はどこかほっとして、静かに寝に入るのだった。
監視が僕達の周りを歩いていて、足元を過ぎたと思えば離れていき、離れたと思ったら頭の上を通り、また離れていく。
しかし棍棒で打つ音がしたと思えば、彼女の小指が強く引き離されて、ゴムはどこかへ跳んで行き、またか、またかと、監視が棍棒で執拗に打つ中で、彼女は左手と、さっきまで僕の隣に居た右手で頭を覆い、一言も口にせず、フェンスの向こうの壁で、何度も何度もぶたれたのだった。
僕の意識は、それを知っていながらも、目も開かず、体も寝入ったように動かさず、動いたといえば、彼女の小指が離れた時に、右手が小さく弾かれただけで、彼女が打たれ続ける中も、僕は何一つ、体を動かそうとはしないのだった。
目を閉じていても、影が浮かんできて、彼女はただただ耐えていて、棍棒を持つ監視は女で、どこか見たことがあると思えば、見たことがないようで、段々と、監視の服を着た僕の母のように見えてきて、そして僕の親戚が合わさった顔のように見えてくるのだった。
僕は、動かず、声も出さず、フェンスの縁に添えた右手をそのままに、彼女が暗闇で打たれ続けている中、僕の右手は冷たいコンクリートに体温を奪われながら、何もできず、ただただ、じっと待ち続けるしかできない。
波の音しか聞こえない……。
僕は無力だった。
何もできない。
理由なんて関係ない。
ただ、僕はその絶対的で圧倒的な現実に対して、そのすべてを 拒否したかった。
さて、どうする。
この先をどう書き進めていけばいいんだ。
僕には……わからない。
翌日。
僕は、いつものように悩んでいた。
その時――
脳裏で何かが弾けた。
これは……。
使えるかもしれない。
僕は、急いでパソコンの前に座ると、早速書き始めた。
できた。
僕は満足していた。
この作品に敵うものなど、ないと思った。
まさに、最高傑作。
僕は、そう思って疑わなかった。
完成してから、一週間たった。
読み返してみる。
駄作だった。
小説家の夢はあきらめた。
――漫画家になろう。
夢を見る機械というものがある。ひどく年代物の機械で、見た目や大きさは食パンを縦に入れて焼くトースターに似ている。機械の側面には赤と緑のランプがぽつんぽつんと並んでいて、まるで左右色違いの目を持ったロボットの顔のようにも見える。
「そんなんで、本当に夢なんか見られるの?」と彼女は言った。ソファーに寝そべって煙草を吹かしながら、彼女はテーブルの上に置かれたその奇妙な機械を退屈そうに眺めていた。
「人間が夢を見るための機械じゃないよ」と僕は彼女に言った。「機械が勝手に夢を見るのさ」
「それって、なんの意味があるの?」
「さあね…」
彼女はあきれたように溜め息を漏らすと新しいタバコに火を点けた。
僕は機械の底からだらしなく伸びている、干からびた蛇のような電気コードを部屋の電源プラグに差し込んだ。何が起こるかしばらく眺めていたが、機械はまるで死体のようにじっと黙りこくっているばかりだった…。気がつくと、彼女はソファーに深く埋もれながら寝息をたてていた。世界の死にふさわしい、穏やかな昼下がりだった…。ある人は世界がまさに死につつあると言い、またある人はすでに世界は死んだと宣言していた。世界に死があるということが発見されたのはもうずいぶん昔のことだったような気がするが…、死の議論を続けている人間はまだいるのだろうか?
僕はお洒落なコンドームの箱に似た煙草ケースから、彼女の煙草を一本抜き取って火を点けた…
そういえばこの間、彼女は僕の名前をもう思い出せないと言っていた。僕は気にしなくていいと彼女に言った。それはきっと世界の死に原因があって、じつは僕も君の名前が思い出せないんだと…
「だけどお互いに名前を知らないって、なんだか素敵ね」と彼女は言った。「まるで森の奥に棲むリスみたい」
「リス?」
「だって森の奥に棲むリスに、名前なんてないでしょ? だけど好きな相手のことはちゃんと知ってるの。匂いも、仕草も、秘密も…」
「リスに秘密なんてあるのかな?」
「誰にだって秘密はあるわ…」
僕はそんなことを思い出しながら床に寝転んだ。なんだか、やけに眠たくてしょうがなかった…。彼女は氷のようによく眠っている…。このまま千年でも眠り続けることができそうな気がした…
森に棲むリスは…、冬眠するんだっけ…?
そのときだった。夢を見る機械はゆっくりと作動を始めた。世界に、死が訪れた瞬間だった。
何だって気の持ちようだ。生きるか死ぬかだってそうだ。
雪は止んでいるが、寒さで感覚が麻痺している。このまま死ぬかもしれないし、それを望んでこの山へやってきたのも覚えている。でも今は死にたくない。自分のどこにそんな力が残っているのか不思議に思いながら、私は歩き続けた。
気の持ちようでもどうしようもない時もある。五ヶ月前に妻が死んだ。眠れぬ夜が続き、酒に溺れ、何にも手が着かなかった。
そこで比婆山連峰に来た。ヒバゴンを探しに。
見つけるまでは絶対に山を下りないと決めた。本当に気の持ちようで、ヒバゴンを見つけたら妻に会えると思えてきた。だがヒバゴンなんてここ三十年目撃情報もない。どうせ熊か何かの見間違いだ。信じてもいない雪男を探して、私は山へ入った。
要するに死にたかったのだ。比婆山はイザナミの墓らしい。ここは女の墓。おあつらえ向きな舞台だ。おまけにイザナミは黄泉の神。妻の待つ黄泉の国へ誘ってくれるだろう。
いよいよ食糧も尽きた二日前、奇妙な足跡を見つけた。私が知る限り熊とも猿とも違う、奇妙な足跡が雪の中に続いていた。数メートルほどで途絶えてしまったが私は興奮して、足跡の方向へ歩いた。翌日には何かの声を聞いた。近づいている。そう確信して私はさらに歩いた。もう帰り道を失っていた。だが構わず歩いた。
足がもつれて雪の上に倒れた。疲れは感じなかったが、身体が悲鳴を上げていたのだ。
死にたくない、か。
さっき心で叫んだ言葉を、凍てついた唇からはき出してみた。生きたくなったところでもう遅い。立ち上がる力もなければ、遭難しているのだから。
その時、全身に柔らかく何かが触れるのを感じた。顔を上げると、雪が降っていた。
このまま埋もれてしまおうと思った時、前方に違和感を覚えた。よく見るとあの足跡だった。意識するより早く、私は足跡に駆け寄っていた。近くであの鳴き声がして、その方向へ目を凝らした。
いた。
その影は熊というよりゴリラに近く、二本足で歩いていた。私はただ、雪の中で立ちつくしていた。
気の持ちようだ。あの影は私の深層心理が見せた幻だろう。しかしそう考えるのは無粋に思えた。せめて妻が、いや、ヒバゴンが見せた幻とでも思おう。ヒバゴンが見せたヒバゴンの幻。可笑しくて私は笑った。久しぶりに笑った。
山を下りることにした。道などわからないが死にはしないだろう。要は気の持ちようなのだから。
十二月三十一日、午後六時。少年は今年最後の遊びを探していました。晩餐の準備は終わっていて、母親愛用の古いエプロンは椅子に掛けられていました。少年は母親に頼まれて食器棚から鵞鳥の丸焼きを乗せる大皿を取り出しましが、棚の隅にマッチを見つけてあることを思いつきました。母親のエプロンを借りた少年は、姉が着なくなったブラウスとスカートも借りて急いで着替えました。母親のエプロンは大きくて少年には似合っていませんが、それでも少年は満足してエプロンのポケットにたくさんのマッチを入れ、靴も履かずに外に出ました。
今日はひどく寒い日で、雪も降り始めていました。たちまち体が足元から冷えていきましたが、少年は家には帰らず、壁際に膝を抱えて小さく座りました。降る雪は少年の髪を白く覆います。空腹も手伝って、少年の手はもうかじかんでしまいました。ああ、こんなときならばマッチたった一本の火でもどれだけ温かく思えるでしょうか。
シュッ!
それはなんと温かな輝きでしょう。少年の目はマッチの火に吸い寄せられて、それはまるで大きな暖炉に燃える炎のように見えました。ゆらゆらと揺れる炎は少年を捕らえて放しませんでしたが、しかしその炎は少年に捕らえられることはなく、すぐに消えてしまいました。少年が夢から覚めたように目を上げると、母親が少年の脇に立っていました。
「かわいそうなマッチ売りの少女さん、私の家で鵞鳥を食べていきませんか?」
「ありがとうございます。でもわたしはマッチを売らなければ家に帰れないのです」
凍りついていた少年の表情は一瞬だけ動きましたが、すぐにまた固まってしまいました。
「それでは私があなたのマッチを全部買ってあげます。それなら良いでしょう?」
「本当ですか? ありがとうございます!」
少年は家に飛び込むとすぐに濡れてしまった服を着替えて、今度はストーブの前に座りました。よほど堪えたようです。
「今年最後の教訓は?」
「やっぱりスカートは足が寒いね。よく女の人は我慢できるなって思ったよ」
「そういうときはストッキングとかを穿くものよ」
くしゅん!
返事の代わりにくしゃみが出てしまいました。
「ほらほら。女の人は体を冷やしちゃダメなんだから、無理はしないでね」
母親の気遣いに、少年は女性の温かさを知った思いがしました。遊びではできないのかもしれないということを、香ばしい鵞鳥を食べながら少年は思ったのでした。
積み木をしていると、いつも邪魔をされた。
けしてこの空には届かないのだと、バベルを思わされるかのように、僕の積み木は音を立てて崩れ去った。
崩れるから、僕はまたしても、仕方なく積み木を持ってきて積み上げる。
積み木は崩れたら砕けて、使い物にならなくなった。
また空にまで届きそうなくらいに高くなると。
ガチャーン。
邪魔をされた。
お前たちには手を伸ばす資格もないと言っているのか。僕の積み木は、僕の涙と共に地面に落ちた。
何度やっても、邪魔をされた。
「何でキミは邪魔をするの?」
僕が聞いても、見当違いの答えしか返ってこない。
「それはお前が悪いからさ」
積み木の何が悪いのさ。
誰だって積み木を積み上げるならば、高くしようと思うだろ。それの何がいけないのさ。
僕は、彼らに負けずに、何度も、何度も、積み木を積み上げた。
壊されて。
壊されて。
それでも、僕は積み上げたんだ。
だけど、ついには手足は動かなくなって、言うことを聞いてくれないようになった。
「親を残して死んだ奴はそうなる。積み上げられた石はお前の罪の象徴。重い石は罪の重みで、石の高さはお前の罰の距離だと思え。ゴールは空だ。しかし、空になど届きはしない。俺たちが金棒を振るうからさ。悪かったな、これも仕事だ。いや、謝る必要はないか。悪いのは、お前なんだから」
鬼は、笑わずに言った。
積み木は金棒で崩れ去り、僕はまた歩いて、積み木を探しに行く。
いつ終わるか分からないけど、いつ、までも。
時間はわからない。
今見える世界には時計が存在しない。
これは、私の夢の中。
否、確かに現実としてこの感覚を受け入れている。
しかし、それは眼球から脳への伝達によって見せられる映像ではない。
自分を自分で客観視している感覚。
確かに感じるのに、それは私ではない。
目の前にいる彼女なのだ。
彼女は今薄暗い森の中の中心に居る。
ふわふわでチクチクのわらのクッションの上には、赤い敷物。その上に私は寝転がっている。
彼女は探していたのだ、自分を。
小川沿いを走り、林を掻き分けて、人の文明を棄て、ただ生まれる前に戻りたいと願うかのように走る。
彼女は突然地面から身体を引っ張られた。
沈む身体、上がる潜在意識。
気がつくと、彼女は赤い敷物の上に居た。
目覚めた次の瞬間、安堵など感じる暇もなく、彼女は奇妙な感覚に囚われた。
身体の至る箇所からの出血。特に足首の太い血管の出血が酷い。
表情の歪み。
感情のコントロール能力が失われたのか?
しかし、全ては錯覚。
空を覆う雲が言った、
「空想さ。それは、君の求めていた感覚。君の欲望の全てなんだ。」
彼女をジリジリと照らす太陽が言った、
「可哀想に。忘れてしまったのね。欲望だけになってしまったのね。私も、貴女の欲望の一部に過ぎないのね。」
身体の至る箇所から出血しているはずなのに、彼女は全く痛みを感じない。
ただ鮮血の流れを感じるだけ。
彼女は気付いた。
「これは錯覚!」
そう、彼女は感じていただけなのだ。
錯覚は、恐怖に形を変え彼女を追い込む。
下に敷かれた赤い大きな敷物と、自分の血の色を同化させ、重ねて見てしまったのだ。
気付いた彼女を雲は嘲笑った。
太陽は悲しそうに微笑んだ。
彼女はまた、現実という世界に産声をあげた。
また始まるのだ。
いや、始まったばかりなのだ。
矛盾に満ちている事が当たり前な事に気づかない彼女は、また走るだろう。
空想を求め、絶望し、救いを求めるであろう。
太陽に向かって。
始は混沌あるいは曖昧模糊とした泥の沼。原始の民は、その泥を捏ね、縄目で文様を模り器とし、縄文時代を作った(北海道は寒くて米が取れず、従って縄もなかったため長らく空白の時代が続いた)。三月となって弥生という時代が、どこからともなく稲作とともにやってくる。あれ? さっき米がなかったから縄がどうのこうの言っていなかったっけ、まあいいか。その頃中国は春秋戦国という戦乱の時代、負け戦のルミン、ハイニン、スケトウダラなどが大挙して海を渡り、現地人を肉体的に吸収、原日本人の容となった。さっそく故郷を真似て、中央集権国家をヤマトに作った。その場所は、九州男子は九州にあったといい、京大の先生は近畿にあったとお互いに言い張るので、とても埒が明かない。だがしかしここで大切なのは、まずショートクタイシが島国根性を策定し、続いてテンヂテンム兄弟がなんとはなしに政権交代の流れを作った、ということだ。次の時代のヨリトモは、何ともいい国を作ったのだがまるで長続きせず、元の侵攻をカミガミがわざわざ直々に葬り去らねばならなかったほどであった。アシカガ・ニッタ・クスノキは桃園(三重県)にて義兄弟の契りをかわすも互いに裏切りあい、三権はいよいよ分裂した。やがて都を制したアシカガの子孫キンカク・ギンカクは、京の民すべての名を呼びつくし権勢を誇ったが、ナゴヤの英雄ノブナガの野望により、逆に縊り殺されてしまった(たしかウグイス嬢もろとも)。そのノブナガはアケチにアケチはコゴローにコゴローはトーキチローにトーキチローはミツナリにミツナリはコバヤカワに互いに殺し殺されあい、さいごにようやくトクガワがショーグンとなって、安定した国家が形成されるに至った。その後の日本はなんとかしばらく(だいたい十五代ぐらい)とてもよい時代が続いた。それもこれもすべては、サコクとウキヨエのお陰だという。しかしアツヒメが高視聴率を獲得すると同時に維新が起こり、メイジとなった以降、その国土はアメリカイギリスロシアフランスモロモロの列強にばらばらに切り刻まれ、一旦はデュークとトーゴーとヘイハチローが奪還に成功したものの、二千六百五年八月ついに日本はアメリカに屈し、その長きに渡る歴史に幕を下ろした。ただ国土は失っても日本人は死なず、イチロー(ヘイハチローの長男)やダイスケ、ハナコらは海を渡り、今でもそこそこ結構な活躍をしているということである。
僕は鉄道を君と同じくらい愛している。鉄の塊にみえる車体が線路の上を、ものすごいスピードで走っている。人や荷物を運んでいる。
速い新幹線以外は廃車、ということもしない。小銭を握りしめた子供でも隣駅までの各駅一人旅ができるんだ。僕がそうだった。鈍行の渋さがわかるかい? 阪急電車の白いブラインドのおろし方は難しい。初めてのときは失敗して、居眠りしてたおじさんが寝惚けて六甲おろしを歌ったときは驚いたよ。
魅力は鈍行だけじゃない。あのリニアさえ……夢の超特急だぜ、いざ出番となれば時刻表通りに動くだけの自制ができてるんだ。リニアと今も富山を走るちんちん電車が同じ時代に存在してるって、歴史学的にやばくないか。
笑わないでくれたまえ! 僕は鉄道そのものに意思がないことは知ってるんだ。でも、僕にはもはや線路は血管。列車は血液。僕は細胞。そして君は太陽。つまり、偉大な思想を身につけた生き物に僕らは乗ってここまでやってきたんだ。
男は満足したのか、ミルクティを一気に飲み干した。二人は駅前の喫茶キムタクで休んでいた。
女は、大阪の地下鉄駅は天井が高かかったなあ、とか、江ノ電の海がみえる窓は好きだなあ、とぼんやりしていた。とんち小僧のように男はしばらく黙ったあと
「牛タンの味噌づけ食いたいなあ」
と今度は駅弁についてまくしたてたが女は聞いてなかった。昔、猿に変装して散歩する趣味の恋人と乗った江ノ電を思い出してしまったのだ。
君の舌と同じくらいに牛タンが好きだ! と男が言ったとき、あまりに恥ずかしくて女は我にかえった。隣には赤いバラを胸に刺した婦人とシルクハットの老人が座っている。老人は菊が描かれた香水瓶をプレゼントしていた。猿に似ていた。
変な店名にしては見事な青磁の壺が品のよいたたずまいで置いてあって居心地のよさは尋常ではない。よそ者気分がしない。BGMでティンパニが朗らかに鳴っていて、女のクリスマス気分は高まるのだった。
キムタクから帰宅後、二人とも並んで本を読み始めた。女はチェーホフ「三人姉妹」を、男はディケンズ「炉辺のこほろぎ」を黙って読んでいたが、男は感極まったのか、涙をながしはじめた。泣けるねえまったく、ディケンズって奴には魅せられ尽すってことがないね、と言って、テーブルの蜜柑を凄い勢いで飲み込み始めた。そして、僕が今日はカレーをつくってみせる、といって初めて台所へ向かっていった。
背中が重い、とベッドの上でなんの気なしに呟いた茂昭は、ふいに父親がむかしに読み聞かせてくれた、子泣き爺の話を思い出した。子どもを負ぶっているとしだいに石のような重みとなって、やがて子どもに押しつぶされてしまう。けれど、いまはそんなものを背負いこんでいる訳ではない。気を紛らわそうと茂昭は手を上げ大きく伸びをする。しかし、こびりついた汚れのような重みが茂昭にまとわりついて、身体にどんよりとした気だるさが立ちこめる。茂昭は横に美佐の眠るベッドからのそのそと抜け出し、朝刊を取りにいった。
一面には、ある大きな企業が破綻したとかで、今後の日本への危惧がくだくだと書かれていた。茂昭は玄関先に立ちながら、すこしの間みょうな高揚を感じていたが、すぐに手垢にまみれた倦怠感が襲ってきた。このまま、どこかに消えてしまえばいいと幾たびも反芻した、満員電車の息苦しさとその時間が、想像のなかでぐるぐる渦を巻き、原型をとどめないほどまで歪に変容した人々の顔が、茂昭を取り囲む。もちろんのこと、知ってはいないのだが、我慢ならないとばかり、これは誰だ? と、茂昭は呟く。下駄箱の脇に置かれたデジタル時計は午前六時ちょうどを示しており、ふと見た茂昭は、勝手に予定表が頭のなかに組みあがっていくのを発見して辟易する。背中はいまだ重い、ひょっとすると、体調を崩しているのかもしれないと、茂昭は額に手を当てたが熱があるのかないのかは自分ではよくわからないようだった。
寝室に戻りながら茂昭は、何故だかむしょうにでんぐり返しをしたくなった。まったく脈絡のないその計画に茂昭は自分で驚きながら、しかしだからこそやるのだと思いなおし、両手を床につけた。えいっと掛け声をかけ、ぐるりとまわると一瞬身体の重みがひっくり返り、その足がベッドに当たってがんと音がした。なにしてるの、と寝起きのかすれ声で美佐が顔を茂昭のほうに向けた。自分でもなにをしているのかよくわかっていなかった茂昭は、なにしてるんだろうか、と思うままを答えた。美佐は、楽しそうね、と言い、すこし間をおいて、怪我しないでね、と呟きふたたび眠ったようだった。
ふと、子泣き爺を背負いながら、でんぐり返しをしたら果たしてどうなるのだろうかと、茂昭は思い描き、さながら喜劇の様相だと苦笑した。時刻を確認し、美佐が目覚めたらこの話をしてやろうと思いつつ、茂昭はゆっくり立ち上がった。
その日の夕食後、家族会議が行われた。日曜日の夜くらい、のんびりしたいところだが、『家族会議』なのだから僕も参加しないわけにはいかない。ソファーには、オヤジ、オフクロ、姉貴、僕、愛犬のボギーが座った。強そうな名前だが、シーズーだ。
「どうするかぁ」
威厳のないオヤジが切り出した。
「やっぱり、避妊手術しておいた方がいいんじゃん」
頭の悪い姉貴が応対した。
「そうね。これじゃ、しょうがないものね」
気品のあるオフクロは姉貴に賛同する。
ボギーは3歳のメスなのだが、とにかく子沢山だ。家族が大切とか、男好きと言う感じは見受けられないが、単にエッチが好きなのかもしれない。両足を前に出し、その上に顔をのせて、舌を出している姿から反省の色は見られない。
「かわいそうなんじゃない。子供産めなくなっちゃうんでしょ」
僕の言葉に、オフクロと姉貴が顔を見合わせる。
「弘樹は中学2年生でしょ。もうそろそろ色々なことを知ってるわよね」
なぜか、オフクロは顔を赤めながらそう言った。
「色々なことって?」
「アホ。なんで子供が出来るかってことだよ」
高3の姉貴は、まるでオフクロが言いたかったことをすべて、知り尽くしているような生意気な口調で言う。
「じゃ、姉貴は避妊手術をすればいいと思ってるのかよ。子供が産めなくなっちゃうんだよ。ボギーはメスだし、特権じゃん」
声を荒げると、
「でも、次から次へと生まれた子供たちは、結局ボギーが育てられるわけもないから保健所に連れて行ったり、飼い主を探したり、お友達に聞いて回ったりで大変なのよ」
オフクロの顔は切実に見えた。
「そっか。じゃ手術するしかないんじゃないの」
ついていないテレビの方に顔を背け、半ばふてくされて言った。
「それじゃ、全員一致ということで、来週の日曜日に、避妊手術を受けに行くと言うことでいいかな」
とオヤジが出来の悪い部長さんのような口調で締めに入ると、ボギーはソファーから飛び降りて、洗面所へ向かったようだ。オシッコか、水が飲みたくなったのだろう。しばらく沈黙が続き、特にオフクロと姉貴は深刻そうな顔をしていた。
ボギーがなかなか帰ってこないので、
「健二。ちょっと見てきてよ」
顎で指図する姉貴に腹が立ったが、確かに遅い。
僕は廊下に出て、洗面所を見ると、水飲みの容器で申し訳なさそうに、お尻を洗っている、ボギーがいた。
了
伝統のある古井戸がありました、村にひとつしかない井戸で村人の生活を支えていましたが、あるとき井戸水を飲んだ村人が苦しんで死にました。
調べてみると井戸の水は有毒であるときと無害なときがあるようでした。調べるために何人かの村人が死にました
どうしようもない村に勇気のある男が通りかかりました、男は事情を聞くと自分が飲んでから村人に与えようと言い、村に住むことになりました。
しばらくの間この毒見はうまくいっていましたが、あるとき毒見をして村人に与えたところ、その村人が死んでしまいました。後からわかったのですが、その村人は病気でした。
村長が「村に危険を及ぼしたものは誰であろうと許せない」と言い、男は連れ去られ処刑されました。
しばらくして、毒で数人が死に、困っているところに今度は科学者が通りかかりました、科学者は事情を聞くと自分がきちんと調べて提供しようといい、村に住むことになりました。
しばらくの間この検査はうまくいっていましたが、長い間毒が抜けない時期があり水が飲めない村人が村長に不満を訴え、科学者と話し合いをしましたが、科学者は譲りませんでした。
村長が「村に危険を及ぼしたものは誰であろうと許せない」と言い、科学者は連れ去られ処刑されました。
しばらくして、また数人が死に、困っているところに今度は井戸掘りの男が通りかかりました、井戸掘りは事情を聞くと新しい井戸を掘ってやろうと、材料を取りに戻りました。
村人が寝静まった後、手早い工事で新しい井戸は完成しました、もちろん水は飲めるものしか湧きません、ついでに古い井戸を使わないようにと壊しておきました.
村人はとても喜び感謝をしましたが村長が険しい顔をして言いました「村に危険を及ぼしたものは誰であろうと許せない、伝統を壊すなど言語道断」と言い、村人は躊躇いながらも井戸掘りを連れ去り処刑しました。
すこしして、村長が新しい井戸を封鎖して古い井戸を復活させようとしました、村人は不眠不休で働き、古い井戸が復活しました。みんな喉がからからでした。
古い井戸から汲んだ水を飲んで村人が数人死にました。
誰かが「村人に危険を及ぼした者は誰であろうと許せない」と言い、村長は……
古ぼけたマンションの一室の扉を開けた途端に、ひどく香ばしい空気がどっと溢れ出てきた。
「危ないとこだな遅刻魔タカハシ。もうちょっとで年が明けるところだったぞ」
その声に、悪い、と苦笑しながら頭を下げた。
そしてすぐ匂いについて尋ねようとしたが、それを遮ってさらに言葉が続けられる。
「おい、ついに会に新メンバーが来たぞ。奥で会長と料理をしている」
そう言って彼は道を空けるように壁際に寄った。部屋の真ん中には畳が二枚並べられており、その上にはなんとコタツが載っている。
軽い驚きに足が止まるが、それよりも新人とこの匂いが重要だと奥に進む。
台所では会長と見知らぬ青年が鍋をかき混ぜていた。声をかけると、青年は右手を一瞬差し出しかけたが、それを引っ込めてぺこりと頭を下げる。
「初めまして、サトウです。オノ会長の紹介で来ました」
爽やかな笑顔を浮かべた彼に、歓迎するよとお辞儀を返した。
「いや安心した。タカハシが気に入らなかったらどうしようと思っていたんだ。なにしろ彼で最後だからな」
会長の言葉を耳にしつつも、匂いへの好奇心を抑えきれずに鍋を覗き込んだ。
「味噌汁か!」
「ご名答。サトウは味噌を持っていたんだ。世界で唯一の貴重品だぞ」
青年は、祖母からの直伝です、と微笑んできた。
「さあできたぞ。ほら、お前も畳に上がってコタツにつけ。どっちも俺の手作りだぞ」
部屋に戻り、畳の前で慎重に靴を脱いで、コタツに足を潜り込ませた。会長が味噌汁を四つの木彫りの椀に分けて、天板の上へと置く。
「もうすぐ年が明けるな」
こう呟くと他のみんなも畳へと上がり、四人がぴったりとコタツに収まった。
「ところで、彼が本当に最後なのか?」
そう尋ねると会長は、ため息と共に深く頷いた。
「調査機関に全世界で照会してもらったけど、サトウが正真正銘の最後だった」
その言葉で部屋の空気が重くなった。何も悪くないサトウがすみませんと謝る。それを見て、全員の顔に笑みが戻った。
やがて部屋の外から、新年へのカウントダウンが聞こえてくる。
「さあ、もうすぐだ」
ゼロ、という声が聞こえると同時に、コタツの四人はみそ汁の碗を掲げた。
『今は亡き祖国に』
そう、全員が唱和した。
外では新世紀の訪れを祝う歓声に続いて、タイムズスクエアからの花火の音が鳴り響いている。
西暦2101年のニューヨークで、最後の日本人達は味噌汁の香りを胸一杯に吸い込んだ。
ゾンビちゃんは森に棲む。森の奥に建てられたあばら小屋にひっそりと。小屋には女の人も住んでいる。彼女の右足は太ももの途中までしかない。ゾンビちゃんの主食はもちろん人肉なのだが、彼女の身体は今のところそれ以上減っていない。
その昔、たまたま森に迷い込んだ彼女はゾンビちゃんと出会った。ゾンビちゃんの外見は意外と可愛らしい。身体のツギハギは服に隠れているし、斜めに走る顔の傷と右目の空洞以外はどこにでもいる八歳児だ。そんなゾンビちゃんに彼女は警戒心など抱けず、近寄って声をかけ、そして牙をむかれた。後ずさり駆け出した彼女は、しかしゾンビちゃんから逃れられるはずもなく、あっけなく組み倒され、いたぶるような深い笑みを絶望的な気分で見上げることになった。
彼女がまだ生きているのは偶然によるところが大きい。いつもは内臓をいちばんに食べるゾンビちゃんが、このときはまず右足に食いついたのだ。好物を最後に取っておこうと思ったのかもしれない。皮膚を食い破られ肉を食い千切られ骨をカリカリと齧られる感触に、彼女は森中に悲鳴を響かせた。
途中でゾンビちゃんはふと食べるのをやめた。目の前には途切れた太ももがある。お腹が一杯になったわけではもちろんない。たとえそうであっても内臓には口をつけるゾンビちゃんだ。ゾンビちゃん自身にも何故食べるのをやめたのかわからない。そうして小首を傾げるゾンビちゃんは、写真に収めたくなるほどキュートなのだが、彼女のほうはそれどころではなく、呻くような悲鳴を上げ続けていた。
もやもやとした気持ちを抱きながらも、ゾンビちゃんは彼女を小屋に連れていき手当てをした。縫い針と縫い糸で傷口を塞いでいるとき、また小首を傾げる。それは針を刺すたびに上がる豚のような悲鳴と、その昔、自分がゾンビになったときに上げていた悲鳴とが頭の中で重なっただけなのだが、考えるのが苦手なゾンビちゃんにはよくわからなかった。
今日もゾンビちゃんは森に迷い込んだ誰かを襲う。豚のような悲鳴を聞いたあと、小屋で待つ彼女のために森の動物を何匹か狩って持ち帰った。彼女はそんなゾンビちゃんにそっと手を伸ばし、顔の傷をするりとなぞる。ゾンビちゃんは嬉しそうに目を細め、それからしゃがみ込んで彼女の短くなった右足をぺろぺろと舐める。彼女はくすぐったそうにしながらも、ゾンビちゃんの頭を優しく撫でる。微かに震える指先に、小さく笑う。
イカした服が欲しい。燃やしたい。アスファルト結晶の儚さに泣いたって、冬は狂った亡霊にネクタイでは無く締めて絵に凍りついて詩に張り付いていて。左手で真っ赤に編まれたセーターコートが七万六千円。キリギリスはまだ生きていた。ジャズが遠くから聞こえてくる。壊れたピアノを治そうとしている。
爆弾を抱えた男とすれ違う。ポスターの向こうへ、駅の向こうへと消えていく。地下道のトランプカードの窓から見える絵画では六十億人には遅く、六百億人には速過ぎて、花が咲いていて、そして地球の向こう側では全く同じように花が咲いていて。
時計工場が針を飲み込む。工員たちは食堂兼休憩室で朝まで踊り狂うのだ。ファンキーな音楽は時代によって違うからな。全ての悲しみを言葉にすることは出来ないからな。針を噛む。ばきりと音を立てて骨が折れる。
家に帰り着くと空き巣に入られたのか、全ての部屋の家具が空っぽで、かつ浴室へと詰め込まれていた。一番てっぺんに置かれたテレビは電源が入っていてざあざあとノイズまみれの音声をまき散らしていた。ごちゃごちゃと積み上げられた家具の上にテレビが置かれていたせいか全体がどことなく人形のように見える。正座をした。寒さに震えた。自分の足は本当に骨が入っていた。はばたきの音はノイズにかき消されて聞こえなかった。ニュースがとぎれとぎれに駅前で起こった爆弾テロの様子を伝えていた。五十年に一回必ず破綻する経済。五十年に一回必ず破綻する宗教。五十年に一回必ず起こる大戦争。それらの原因は要するに経済、軍事システムの欠陥、または我々個々の文化やその違いによるのでは無く、我々自身に、我々そのものに問題がある。欠陥がある。間違っている。最初からやり直して今またここにいる。
ある博士は五感を制御するソフトウェアを開発しています。何も聞こえなくなることが出来ます。何も匂わなくなることが出来なくなります。何も見えなくなることが出来ます。何も触れなくなることが出来ます。何も味わえなくなることが出来ます。なるほどと思った。そして目が千個欲しいと思った。腕が千本欲しいと思った。
リビングに行くと空き巣達の仲間割れなのか、一人の少女が倒れていた。小さな胸が真っ赤に染まっていた。
「大丈夫か」
抱き起こす。テレビからジャズが歌う。
「君は誰なんだい」
一つ目の少女は何も答えず西日を静かに眺めていた。
そしてそのまま死んだ。