第75期 #2

ハッピーマート事件

『2008年3月・総被害件数168件』とボードに大々と書かれた会議室はまがうかたなき絶望で満たされていた。
大手コンビニハッピーマート本社の報告会議からは幹部達の呻き声だけが濁流の如く漏れ続けている。
そこへ本日初出勤で遅刻を決めた私が、そっとドアを押し開け中に入った。
悪びれる素振りも無い私を責めるものは誰一人としていなかった。
否、誰も私の存在に気づけない。それほどまでにその空気は重く通夜のようでさえあった。
これは好都合と私は部長の隣に腰を下ろした。

頭を抱え込んだ部長は両肘を強く押し付けたまま机に突っ伏していた。
部長だけではなく、参加者ほぼ全員が同じ姿勢で固まっていた。
テロリストめ…
力なく吐き捨てられた部長の一言が状況の深刻さを物語っていた。

手元の資料によると事件はコンビニ専門のテロリストによるものらしい。
先月、ハッピーマートのオリジナルである『ウッカリぽてとガーリック味』を購入した主婦から一本の苦情が入った。
中身のポテチが何者かによってバキバキに潰されており、粉末状になっていたという。
最初は小中学生のイタズラだろうと誰も興味は示さなかった。
だがそれから数時間後には同じ内容の苦情電話が相次ぎにかかりだし、ついには回線がパンクしたという。
これはただの悪戯ではない、そう誰かが気づいたときには後の祭りであった。
そして事件発覚の翌日、ついにYouTubeの動画にて犯人と思われる男からの犯行声明が出されたそうだ。
会議室のスクリーンに淡々と投射されているその映像はウッカリぽてとを大量に揉み潰すという行為だけがもう十分弱続いていた。
そして最後に犯人は、ご賞味あれっとメッセージを残し、満面の笑みとVサインで締めくくられた。
…一体我が社に何の恨みがあってのことか。カメラの前で覆面すらせずその面構えを丸出しに、さも楽しげに粉ポテトを量産することに何の意味がある。
部長は冷たい机に頬ずりしてみせた。

私は部長の丸まった背中にそっと語りかけた。
彼に悪意はないんですよ
悪意でなかったら何なのだね
愛ですよ、愛。ハッピーマートに対する
愛だと、馬鹿なことを云うな。こんな破壊行為に愛などあるものか
だってこれ、ふりかけにした方が絶対おいしいんですよ

部長が勢いよく起き上がり、振り向くと
彼の血走った眼光に、私はそっと、Vサインで答えた。



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