第74期 #21

 犬を飼った。血統書付きのケルベロスだ。向かって左の無愛想な頭を惣二郎、真ん中の人なつこいのを惣一郎、右のすぐ寝るのを惣三郎と名付けた。名前の由来は俺の好きな漫画だが、俺が恋い焦がれている相手は未亡人ではない。幼なじみの紗弥だ。
 紗弥は毎日犬と散歩に行く。紗弥とは高校が別になり疎遠になってしまったが、犬の散歩にかこつければまた会える。だから飼った。

 犬を連れて紗弥の家に向かった。紗弥は家を出たところだった。
「犬飼ったんだよ」
「へぇ」
 意外にも冷淡な反応だった。
「珍しいでしょ。ケルベロスだよ」
 会話を繋ごうと俺は焦った。
「頭が多いからってそんなにいいのかな。行こ、エリザ」
 紗弥は不機嫌そうに言うとリードを引っ張った。惣二郎に尻の匂いを嗅がれていた柴犬は、引っ張られるままに歩き出した。
 俺は数歩後に続いた。会話もないまま気まずい散歩は終わり、翌日から紗弥には会わなかった。散歩の時間をずらされたのだろうか。

 一ヶ月が過ぎた。飼い始めた動機が不純だったので、散歩は不定期になっていた。庭でストレスの溜まった惣二郎に手を噛まれ、叱ると総一郎が悲しげに鳴き、惣三郎はあくびをした。
「こら、いじめちゃダメでしょ」
 声に振り向くと、夕日を背に紗弥が立っていた。
「久しぶり、元気だった?」
 俺が駆け寄ると紗弥は俯いた。
「エリザがね、死んじゃったの」
 俺は気の毒に思いながらも、紗弥に会わなかった理由を知って安堵した。
「ずっと泣いてたんだけどね、パパがまた買ってきてくれたのよ」
 紗弥は顔を上げた。俺の好きな笑顔だった。
「待っててね、繋いであるの」
 紗弥は門まで駆けていき、犬を連れて戻ってきた。
「ほら、ベスよ」
 紗弥の後ろからトコトコとついてきた犬には、賢そうな頭が五つ乗っていた。
「ケルベロスとオルトロスの雑種なの。すっごいでしょ」
 自慢気な紗弥の顔を見て俺は気づいた。あの日は俺が珍しい犬を連れていたのが気にくわなかったのか。
「頭五つよ。私の勝ちね」
 そう言った紗弥の笑顔は、小さい頃ゲームで俺を負かした時と変わっていなかった。俺を異性として見ていない。彼女に恋をするにはまだ早すぎたらしい。
「今から行くとこでしょ、一緒に行こう」
 紗弥は俺の手を掴んだ。幼なじみのままも悪くないと思った。
 見下ろすと惣二郎がベスの尻の匂いを嗅いでいた。ベスは嫌がって控えめに吠えた。五つの「わん」が夕暮れの街に響いた。



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