第74期 #20
雨音を聴きながら客を待つのも悪くないな、と谷口が思っているところ、ラッパの音が聞える。
(珍しいな、この時代に)
窓越しにみると、チンドン屋がレインコートを羽織って行進している。
(ミドルマーチか)
雷鳴が響きはじめた秋の昼下りに不思議だなあ、と興味をもったが、営業中である。マッサージを受けに来た客のBGMがラッパじゃ申し訳ないと思い、シェーンベルグ「月に憑かれたピエロ」をかける。
谷口は木製の回転椅子の具合をチェックし、ゴムシートを艶拭きして準備万端とした。予約まで二時間。休憩部屋のコンロで焼き飯をつくることにする。
食材はご飯と卵とハムしかない。谷口は昔、京橋の洋食屋で働いていたことを思い出す――焼き飯は具で勝負するものではないのだよ。
店が西の方に移転するときに貰ったフライパン。今は谷口の右腕の一部である。
(さあ舞うのだ!)
まもなくドアが開いた。古田さんだ。
「ごめんなさい、予約より早いんだけど」
「かまいませんよ、雨ひどかったでしょう」
「ありがとう、外で三島由紀夫似のお兄さんからゴオゴオへ行きませんかと声かけられたわ」
「ゴオゴオですか……えーと、足の方でよろしかったですか」
「ええ」
「では裸足でおかけください」
古田さんは施術中に本が読めるので、ここが気に入っていた。場所が「洗足」にあるのも、駄洒落のようだと思った。この日はブローティガン「東京モンタナ急行」を久しぶりに読み返すべく持ってきていた。不思議なことにさっきから香ばしい匂いがしていてお腹が空いてくるのだった。
谷口は早速、仕事に取りかかる。ふくらはぎは大骨一個なのに、足首から指先までには舟状骨や立方骨といった小骨が七個もある。この小骨が人間の全身を支えている、と思うたびに谷口は軽く興奮する。骨を一個ずつ確認しながら肉に触れ、しこりを揉み、叩き、ひねり、しごく。親指は頭、土踏まずは腰、踵は下半身。内側は臓器。それぞれ適応するツボが集まっている。頭がこっているらしいと谷口は古田さんを診断する。ちらりと本の装釘をみると谷口も持っている本だった。
(兎を集める男の話があったな)
いつのまにかBGMは終って再びラッパが響いている。
「お腹すいちゃったわ」
谷口も腹が減っていた。まさか自分の焼き飯を提供するわけにもいかない。客用に酉の市で買った切山椒を勧めようと思って
「焼き飯はいかがです」
と言い違え、さすがに赤面した。