第74期 #18

FUSE

 近鉄難波駅から奈良にむかって運行する電車が、布施駅に停車したとき頭にきょうれつな電撃を食らったように感じた。駅名の看板にローマ字のルビで「FUSE」とふってある。おれは身体が内部から押し出されるように人のすきまをぬってホームに降りた。頭の裡はしばらく熱に浮かされたような按配で、高架上のホームからあたりにならび立つビルや工場を漠然とながめていた。
 数十メートルの長さのホームをいったりきたりしながら、もっぱらおれの関心はここが「布施」なのか「FUSE」なのかという問題だった。このふたつのどちらなのかと往復をくりかえしているうちに、そもそもおれはここをどちらと認識していたのだろうと、更に頭の中を攪拌するような混乱が生じはじめる。高架にながく伸びる左右の線路は、ここでふたつの茶色い線が交わってどろどろと溶け出しているようだった。
 ふたつのどちらとも決定できないまま、しだいにおれの歩いているホームが畸形の怪物に見えてくる。これは、電車を迎え入れるホームなのか、コンクリートなのか、それともそれ以外の灰色の何かなのか、靴底から足の裏に伝わる感触は居心地がわるかった。
 目的の駅からはほど遠い下車だったが、おれは階段を降りて改札口にむかった。いっこくも早く確かめねばならなかった。
 駅員は改札横の窓口から顔を出し、あくびをついていた。息を切らしながらおれは一直線に駆けた。
「ここはどこですか?」
 駅員は呆気にとられたような顔になり、ひざに両手をついて肩で息をするおれをいぶかしげにながめた。
「ええと、ここは布施駅です」
 布施駅と大きく書かれた吊り看板を指差しながら駅員はこたえた。しかしそこにも「FUSE」とルビがふってあった。
「それは、どちらの? 漢字の布施か、ローマ字のFUSEか?」
「え、どういうことですか?」
 だんだん気味悪げな見る目にかわっていく駅員に、おれは何といっていいかわからず、堪らなくなって切符を改札に通して構内から外に走り出た。
 愕然とした。自動車がエンジンを呻らせながら列を成し、駅前のデパートが恐ろしい迫力で屹立するそこは、おれの見たこともない街にかわっていた。信号待ちをする人々の気の抜けた横顔は残酷にまっすぐ前を見ていた。「布施」と「FUSE」は蕩けてもはやどちらも消えうせ、次から次に襲いかかる吐き気と恐怖に耐えながら、おれは縮こまって目をとじ耳をふさぐしかなかった。



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