第73期 #7

ジャングルの夜

 彼女は相手を待っていた。
 鬱蒼とした夜の密林、その中でも聖神を宿すとされる不老大樹の根元で。

 そこは、天にも届きそうな樹木が無数に覆い茂る、原始の庭。
 夜空を見上げても、互いに絡んだ枝やツタと闇が溶け合って、星々の光は僅かばかりしか見えない。

 ――彼女、セリジュネ・オン・スロウピィは、森の守り手と呼ばれる獣の部族の一人だ。族長の愛娘でもあり、機知に富む優秀な若き狩人だった。
 獣の部族といっても、虎の耳、豹の尾、ジャガーの足部、それら以外は人間の身体と似通っていて美しい。
 そんな彼女の部族では永きに渡る慣習として、月に一度双子月が満ちる夜、街の民との会合が開かれる。
 代表者だけで行われるこの会合は、本来の意味を無くし完全に形骸化していた。幾多の闘争が軋轢と差別を生んだが、平和な今の世では形だけの友好交流が保たれている。
 そして有能さを買われながら、半ばおざなりに今の代表者として選ばれたのが、セリだった――。

 大樹の周囲に設置されている松明のかがり火が、セリの金色の髪と褐色の肌を照らしている。その緑眼には炎の煌めきが美しく映り込んでいた。
 部族独特の軽装なパレオを身に纏い、巨大な幹の根元で獣のように四肢を地に着けて、淑やかに座っている。
 だがその心は夜の静寂さとは裏腹に、落ち着きを欠いていた。
 勇猛果敢で知られた『緑の風のセリ』という異名の由来にもなっている緑眼も、元来は凛としているのに、今は妙にそわそわしい。
 庭ほどに見知った森の景観も、今のセリにとっては冷淡で見知らぬ場所のようにも感じられた。
 遅い……。心が早る。
 セリは深呼吸すると、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせた。
 その時、木々の間を這う空気の匂いが少し変わったかと思うと、突然声がした。
「セリ、ニンゲンマッテル。アタマ、アイツバッカリ」
 途端に無数の声が木霊する。
 それが森の精霊の悪戯だとセリは即座に解った。
 素早く立ち上がると、反射的に叫ぶ。
「ウルサイ!」
 途端に声が収まる。
 生温かい夜風がセリの金の髪を揺らした。

 セリの研ぎ澄まされた耳に聞き慣れた足音が聞こえると、暫くして闇の中から人影が見えてきた。
 人影はセリに気づき手を振っている。
 来た。
 そう思うとセリの心臓は早鐘のように鳴り響いた。
 もはや抑え切れない嬉しさが表情や耳と尻尾に現れていたが、それでもセリは急いで人影に手を振り返した。



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