第73期 #21

水の線路

 周縁の山々に豪雨を降らせた台風は行き去り、底が抜けたような高く明るい秋空の広がった日、増水している川を見物に出かけた。堤防上に立ってカメラ付き携帯をかざす人々に交じり、川に目を向ける。荒れ狂って白波立つ本流には、浮き沈みしながら次々と流れ来る工事用の青シートや流木が見られ、遠目に眺めていても引き込まれそうになる。一方、本流から溢れて河川敷に広がった水は、緑に覆われていたゴルフ場やテニスコートを泥色に浸しながら、静かに堤防まで押し寄せている。風が吹きつけた水面には細波が起こるほどの穏やかさだった。

 堤防から河川敷へ降りていく道を、水面に近いところまで歩き、足を止めた。コンクリートのざらついた路面と、日を浴びて黄土色に光った平滑な水面、黒く濡れた波打際があり、その手前に屈み込んだ。指先を水に浸すと、予想していたより冷たい。河川敷に薄く広く溜まった水が幾日か流れずに滞っていたなら、日を浴びて温まるかも判らないが、きっと水は流れてしまい、青シートや流木や泥や砂が残されるだけだ。あるいは泥に取り残されて干からびる間抜けな魚などがいないものかと思い、今、水面下のことを考える。

 穏やかな広い水面の下には鯉や鮒などの魚たちが身を潜め、荒れ狂った流れが収まるのを待っているだろうか。暫しのあいだ疲れた体を芝生に横たえたいが、魚であるゆえ転覆する訳にもいかずに、泥水のなかで静かに呼吸しながら身を休ませている。いつまでも穏やかな生活を続けていたいなどと悠長なことを考えているあいだにも河川敷から水は引いていく。流れに乗り遅れないよう慌てて泳ぎ始め、本流に戻れば、再び川上と川下を行き来する生活が待っている。川の流れに慌ただしく乗り降りする魚たちが、列車に飛び乗ろうと試みては弾かれていた数年前の僕と似ている、などと一瞬考えたが、ホームに取り残された僕が干からびることはなかった。一方、魚たちが流れに乗って移動することもなく、自分のヒレで水を掻いて進んでいる。かといって彼ら自身が列車だといえるほどには魚が大きく育つことはない。

 川の水が線路だとすれば、魚たちがせいぜい保線用の軌道自転車くらいの大きさでしかなく、川から水が溢れれば、その水が行き着いた先、操車場のような広い水たまりで休み、水が引けば再び線路へ戻って走り始める、そんなことを考えながら水に浸していた指を引き上げて、静かな水面に目を向けた。



Copyright © 2008 川野 / 編集: 短編