# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | 迫りくる恐怖 | グラックマ | 688 |
2 | ケセランパサラン | ケント | 1000 |
3 | ラブストーリーは突然に | リバー | 943 |
4 | 鯖 | 尚文産商堂 | 876 |
5 | イフリート | しん太 | 928 |
6 | マルボロ女 | 森下紅己 | 1000 |
7 | 万の灯りの中で | みさめ | 492 |
8 | 私の無くした名前と愛のしるし | のい | 706 |
9 | 丘 | サカヅキイヅミ | 996 |
10 | 生身のアンドロイド | 沖田タカシ | 784 |
11 | An un-hungry beggar | くわず | 1000 |
12 | 擬装☆少女 千字一時物語36 | 黒田皐月 | 1000 |
13 | 「君にソウダ水を捧げたい」 | 宇加谷 研一郎 | 1000 |
14 | 愛 | qbc | 1000 |
15 | 外は大降りの雨だった | bear's Son | 1000 |
16 | 隣人からのメッセージ | 壱カヲル | 858 |
17 | ローマ | るるるぶ☆どっぐちゃん | 1000 |
いつもと同じ帰り道。
「じゃあ、また明日ね。」
「ばいばい。」
友だちの美紀と別れた後、一人で蒲田の道を歩く。鞄からウォークマンを取り出し、音楽をかけようと電源を入れる。しかし、画面は光ることはなかった。
「電池切れか…運、悪ぅ。なんか不吉だなぁ。電池変えたばっかりなのに。壊れちゃったかな。」
長い間、使っていて初めて起こった事態に由香は何か不気味な気配を感じた。音楽を聴けない退屈さが一層由香の聴覚を発達させる。すると、由香は背後から足音がするのに気づいた。
「タッタッタッタッ…」
明らかに、由香めがけて早歩きをしている。
(え…変質者?)
不安になった由香は早歩きをしてみる。すると、背後の足音もスピードを上げ由香に追いつこうとする。
(やばい…絶対変質者。逃げなきゃ。)
決心した由香は早歩きから更にスピードを上げ、夜道を走った。
「ダッダッダッダッ…」
すると、背後の足音も走り出した。
(絶対、男じゃん…追いつかれるー。)
ポンッ。
由香の肩にごつい男の手が乗っかっている。
「きゃーっ」
男が息を切らしているのが肩に乗っかっている手から伝わる。
「はぁ、はぁ…あ、あの、こ…これ。」
男は由香の肩にかけていない方の手を広げてみせた。
「はっ?」
由香は予想外の行動に理解できなかった。数少ない街灯がその手をうっすらと照らす。暗闇の中から見覚えのあるものが浮き出てきた。
「電池…あ、あたしのウォークマンのやつ!!!!」
「あなたの後ろを歩いていたら転がってきたんです。」
「わざわざ、ありがとうございます。」
「いえいえ。そんなぁ…それだけな訳、ないでしょ?」
「えっ?」
男の鞄から光るものが…。
「きゃーっ」
その漫画家はとても寡作で、30年の間にわずか6冊の単行本しか出していない、という事実を知ったのはファンになって数時間も経っていない日曜の昼間だ。インターネットとはつくづく便利なものだなあと、いずれ後悔する時間の浪費をしている。
バッグの底から、借りっぱなしの、表面に黒いしみが出来ていて香ばしい匂いがする漫画本を発見したのは土曜日の夜だ。バラエティー番組で世界のアニメブームについて取り上げられていて、春日部に住む友達から、強引に自分の好きな漫画を薦められ、渡されたのを思い出した。マジンガーZを合唱する、フレンチ、イタリアン、ジャーマニーの熱狂を余所目に、使わなくなった中国製定価二千円也のバッグを探している。
地べたに置いたCDケースをうっかり踏んでしまい、「ぱきっ」といやな音がしたのは、3ヶ月前の金曜日の深夜で、またやってしまった、と思った。特にそれがBLUE NILEのアルバムだったので、今まで以上に落ち込んで、白く入ったケースの疵を未練がましく撫でている。
そもそも、CDケースを割ってしまったのは、ご飯を食べていたらエグイ外科手術の映像がブラウン管に突如現れたからであり、チャンネルを変えようとリモコンに手を伸ばしたときに醤油さし――ならぬ、ひとり暮らしの不精で、容器に移さなかったペットボトルの醤油を倒してしまったからであり、畳にはこぼすまじ、と近くにあった安物のバッグで取りあえず拭いたが足りず、雑巾が無かったので、窓際にあったバスタオルも犠牲にしようと立ち上がったからであった。
もうテレビは見ない、と心の中で宣言したのは、あの日とあの日とあの日だ。しかし気付くと見ていて、そんなとき「禁煙するぞ」といつも言っていた父を思い出す。「だったら最初から、吸わなければよかったのに」と侮蔑の視線を送った自分を思い出す。今はテレビに加えパソコンもフル稼働中である。
プールの授業にでたくなくて、気持ち悪いと嘘をついた日だ。両親が働きにでて、ひとりだった私はマンションの屋上に出て、空を見つめている。すると眼前に、白く小さな光が無数に漂い、きらきらと踊った。綺麗だった。気持ちがよく、そのまま眠りたかったけど、家に帰らなきゃと堪えた。
その小さな光は、ケセラセランとかいうのだと教えてくれのは誰だったか。
父は健在で、私はときどき風邪を引く。煙草は、私は一生吸わないだろう。たぶん。
「人数足りないから」と誘われて、久しぶりの合コン。おれの目の前に座った女の子は、ロナウドに似た、とてもおっぱいの大きい女の子だった。メーカーの受付嬢ってもっと可愛い子ばっかり揃えているのかと思っていたのに。何?このクリーチャー。そう思って回りを見たら他の子はそれなりに可愛い。おれだけロナウド。それでも、おれの目線は彼女に釘付けだった。正確に言えば、彼女の胸元に釘付け。だって、大きいから。Gカップぐらい?いやもっと大きい。ふと、昔見たプロ野球中継の映像が頭に浮かぶ。1999年の4月7日西武対日本ハム戦。たしか、松坂大輔のデビュー戦だったはずだ。2ストライクまで追い込まれた片岡が、高めのボール球に思わずスイングする。球速155キロ、空振りの三振。甲子園の怪物の鮮烈なデビュー。あまりのおっぱいの大きさに、ロナウドと分かっていながら思わず興奮する、今日のおれは片岡だった。ロナウドのおっぱいは、松坂の155キロと同じぐらいのスピードで眼球を直撃し、脊髄を通っておれの股間を刺激した。もう我慢できません。「きょう、おれ、こいつ、いただく」と幹事の板倉に目で合図してから、おれ対ロナウドの一本勝負のゴングが鳴る。カーン。
おれはまず相手を褒めることから始める。褒めて褒めて、褒めたおす。爪を褒める。服装のセンスを褒める。顔だって褒める。化粧を褒める。肌を褒める。笑顔が可愛いね、とか言っちゃう。本当は「ドリブル得意そうだよね」と言いたいところをぐっとこらえて、楽しい時間を演出する。試合終了後のお楽しみのためにおれは精一杯道化を演じた。興味も無いくせに血液型占いの話だってした。そして、程よくお酒も入ってロナウドとも打ち解けてきたところで、おっぱいについて触れる。「いやー正直最初見たときビックリしたよ。すごく大きいよね。意識しようとしなくても目線がついついそっちに行っちゃう。何カップぐらいあるの?」そしたらロナウドは、少し恥ずかしそうに答えてくれた。
「ワールドカップ」
少し間をあけてから、おれは笑った。ゲラゲラ涙を流しながら笑ってやった。おれが笑っているのを見て、彼女も嬉しそうに笑った。板倉が変な目で見ているのも気にせず、そうしてたっぷり笑ったあと、おれは彼女を本気で愛し始めていた。
川が流れ、山があり、渓谷を通り、さらに、山を登った所にある、仁協寺。その寺は、海より遠く隔たっているために、なかなか、塩や、魚などの海鮮食品がなかった。しかし、このご時勢、ネットから簡単に注文する事が出来るようになっているが、そんな設備すらないような山奥、そんなところに、この寺はあった。
その寺は、一つの山丸々一つを敷地として、その頂上に広々とした野原があり、そこに、寺のお堂などを建てていた。ちょうど、ここは周りの山より標高が高く、電信塔としての役目も果たしていた。
そんな寺に、一人の坊主がいた。彼は、元々漁師で、この寺に、塩や魚を定期的に運んでいたが、自らの意味を悟るために、出家し、この寺に入ったのだった。そんな彼でも、時々、彼が住んでいた村の特産品であった、鯖を恋しくなる時があった。そして、ここに来た仲間に、次の時、鯖を以て来るように頼んだ。
翌月、ついに、その仲間が寺に来て、魚や塩を置いていった。その中に、鯖があった。彼は、喜んだ。しかし、調理方法を考えていなかったので、どうしようか悩んでいた。そんな時、横から仲間に声をかけられた。そして、調理場から道具を持ってくると言って、そのまま、走って行った。
ちょっとしてから持って来たのは、蒸し器だった。どうやら、他のフライパンやなべを借りようとしたのだが、これしかなかったらしい。仕方ないので、それで調理をすることにした。
寺の広大な野原の真ん中に、石を組み上げ、かまどを作り、火をつけた。そして、近くの沢からの水を蒸し器の一番下にいれ、中段に鯖を入れた。あとは、ゆっくりと待つだけだった。彼らは、その間に一眠りした。
気がつくと、日も落ちかかっていた。蒸し器をみると、しっかりと蒸されていた。彼らは、それを入れたまま、調理場に行き、みんなに振舞った。こうして、この日は鯖の日といわれるようになり、どうかすれば、鯖を食べるような風習が、この寺に残るきっかけとなった。
坊主は、その後、毎年この日に鯖を届くのを心待ちにしていたらしい。だが、この寺自体が、その後、どうなったかは、まったく伝わっていない。
ここで告白したいのだが、僕の趣味は放火だ。今まで四十二回放火したが捕まったことはない。ハッハッハ。巨大な炎が好きなのだ。他人の人生を燃やして、輝く炎が好きなのだ。
世間的には、悪いことなのかもしれないが、楽しくて、やめられない、止まらないのだから仕方ない。
一つ放火するごとに、僕は自己実現を果たし、アイデンティティーを確立していく。もう、随分、放火によって僕はしっかりとした人間になった。
それにしても、今まで僕がした放火で死人が出たことはあるのだろうか?僕は自分のした放火のその後を確認したことはないので、そういったことはまるで知らないのだ。
家全体を巨大な炎が包み、それをしっかりとこの目で確認する時、僕のエクスタシーは絶頂を迎える。それ以降のことなどどうでもいいのだ。
しかし、どうなのだろうか?死人など出たことはあるのだろうか?
まあ、ありきたりかもしれないが、僕はその家の表にだされてあるゴミにガソリンを播き、ジッポーライターで火を点ける。
炎が広がり出したのを確認すると、僕は一旦、その場を離れる。
しばらくすると、消防車の悲痛なサイレンが聞こえてくる。
その頃には、炎はとてつもなく巨大になっており、そこに住む奴等の人生ごと、全てを焼き尽くす。
まるで、僕がその家のゴミ置き場に小さな悪魔を放し、僕が播いたガソリンをエサとし、巨大化し、その家とそこに住む奴等を食い尽くしているような感じだ。
そう、今では、この炎とは、僕と共に生きる、僕の飼っている、悪魔である。
いつでも召喚可能な僕のしもべである。
ガソリンを播く、そして、峰不二子の絵が刻まれたジッポーライターで火を点ける、この儀式によって彼はいつでも僕の前に姿を現す。
アラジンがランプから魔人を呼び出すように、僕も彼を呼び出す。
一度、彼を召喚してしまえば、召喚した僕でさえ、彼を止められない。
ああ、僕は君を愛している。
そこまで傍若無人に、躊躇する様子など全く見せずに、人間を蹂躙していくという、僕にはとても出来ないことを、君はいとも簡単にやってのける。
ああ、君が愛しい。
人間は美味しいのかい?
人間の味は?
君が飲み込んだ人間の人生の味は?
君は僕の召喚獣。
おわり
セックスが終わったあと、タバコを吸う癖が、あたしにはある。
「ねえ、こっちおいでよ」
博が甘えるから、仕方なく灰皿を持ってベッドに移動した。博は抱きつきながら「子供欲しいな」と言う。あたしはそんな言葉に吐き気がする。子供なんて大っ嫌い。泣くだけでしか自己表現できないなんて。煙でわっかを創りながら博の言葉をスルーする。
「…ハメは外しても、ゴムは外すな」
あたしが呟くと博が怪訝な顔をした。
「どっかの芸人のネタで出てきた言葉」
あたしは灰皿にタバコをなすりつけてそう言った。
「下品だね」
博が嘲笑したので、あたしの座右の銘なんですけど、と睨んでやった。
その日仕事終わりに博とフレンチレストランへ行った。かなり高いコースを頼んだ。博は金払いがいい。彼氏にしとくにはいい。でもあたしたちには共通言語がない。それだけ。
デザートが出た後、ドアが開いて家族連れが入って来る。途端、店内が騒がしくなる。
「ママぁーここなんのおみせー?」
フレンチレストランだよ、わかってんのか。鼻垂らしたガキが入って来るんじゃねえよ。
「可愛いなあ」
博がありえないことをほざく。
「やっぱり子供はいいなあ」
あんた馬鹿?あたしと何年付き合ってるんだよ。ニ年だろ?
「俺さ、やっぱり家庭を持つのが夢なんだ。一戸建て買っちゃってさ。可愛い子供、最初はやっぱり女の子かな、男の子も欲しいけど。子供が大きくなるのを見て…」
黙れ、黙れ、黙れ、煩い。汚らわしい。
「それで、自分の奥さんになるには、どんな人がいいかって言うと、やっぱりキミみたいな…」
ガシャン。あたしは皿にナイフを叩きつけてマルボロを取り出した。博が慌てる。馬鹿だ、コイツ。ありえない話をするな。フーッと煙を吐き出すと、店員が飛んできて
「お客様、店内は禁煙ですので…」
と申し訳なさそうに言うので、タバコでガキを指した。
「その前にあの騒音何とかしてくれない?」
博に「出るわ」と告げて咥えタバコのまま外に出た。タクシーを拾っていると、博が追いかけてきた。
「何、怒ってるの」
タクシーの扉を開けながらあたしは言った。
「あんたは、なんで怒らないでいられるの?」
扉を閉めて少し走ると、運転手が言った。
「お客さん、車内は禁煙なんです」
あたしは車を降りて歩いた。イライラした時に煙草を吸うってのは本当かも。博から離れると極端に減煙するのだ。
思い出した。
そういえば、母もマルボロを吸っていた。あたしが泣いているときに。
『今年も、来たね』
彩はぽつりと言った。
淳は何も言わなかった。
京都出身の彩が、「綺麗だから」という理由で連れてきた
東本願寺の大谷祖廟で行われている東大谷万灯会。
涼しい夜にお墓参りを、とはじめられたものでそれぞれの墓地に灯籠がともされている。
ほとんどにともれば、そのほの明るくもおびただしい数に静かな感動が湧き上がってくる。
本来ならば、綺麗だからという理由だけで行くのは不躾なのだ。
意外にも淳はその光景の虜になったようで、その後2回訪れ、今回で4回目になる。
「彩が連れてきてくれなかったら、知らなかったな」
今度は淳がぽつりと言った。
『やっぱり、綺麗でしょ』
2人は並んで歩いた。
手も繋いで歩いた。
どれくらいいただろうか、帰り際に淳の足が止まった。
『来年は、来るのかな?』
淳は答えない。
『知ってる、来年は来ない。』
「…あや」
『なぁに?』
長い沈黙があったあと、淳は聞こえるか聞こえないかの小さな声で。
「…さよなら」
淳は優しい。
その優しさは残酷すぎた。新しい恋人がいることも彩は知っていた。
『私はココから離れられないから…』
静かに淳を抱きしめたかったけれど、その腕は淳に触れることができなかった。
私の名前を呼ぶしわがれた声…「恵美里こっちへ来なさい。」嫌…。「…今行くわ」私のことを祖父が呼んでいる、私の嫌いな手で私を撫でさする
私の膨らみかかった胸を括れてきた腰をそして毛の生えそろわない下腹部を…抵抗する事など私の選択には残されてなどいない…ただせめて…祖父に抱かれけがされても父がつけてくれた名があれば私は世間に胸をはることが出来るはずだった…
でも私は…知っている
まだ幼い頃祖父の夜の相手などしていないとき…私が私の名をまだほこっていたとき…
やわらかであたたかい布団の中で家に父とも母とも違うだれかの声が響いていた…祖父だった
父は静かに「おとうさん、あの子は私達の娘です、ですからそろそろ名前を…」祖父はにこやかに「名前は恵美里に決めてやったろう?`」といった私は信じたくなかった…
父も母も私の名を呼ぶたびにやるせない気持ちになっていたことだろう、自分の子にも関わらず他人のつけた名で呼ばされ
それをみていた祖父はさぞ裏でほくそ笑んだことだろう…
「私達が決めていたあの子の名はきさらと言うんです私達の1番の子ですし名前を変えさせて下さい」と必死にたのんでいた…
「きさら…?`」これが私のなまえだったの?`
今までの名前は…父と母の愛のしるしと思っていたものたちは?`
祖父はカサカサとした手で私を抱く「恵美里…えみり…エミリ…」私ちがう… それは私じゃない…「私はきさらっ恵美里じゃない違うのよ?a違う違う違う違う違う違う違うっ」
祖父が私の手の中で静かになる…私は部屋から出てホットミルクをいれて部屋にもどり祖父に渡すこれでもう何度目になるかわからない 祖父のすじばった首の感覚もホットミルクをいれるのも…
気が遠くなるほどの昔、流浪の聖者がこの地に辿り着いた。
国を追われた身である彼を人々は忌み、日に夜を継いで石や汚物を投げ続けた。やがて薄高く積もった芥は聖者を覆い隠したが、芥の下からなおも聖者の声が聞こえるので、人々は彼を恐れていっそう多くの芥を積み上げた。奴隷の死体。崩された王城の石材。不要になった知識を記した書物。国中の《忘れ去られるべきもの》がこの地に捨てられる。その下から、なおも聖者の世界を呪う声は響く。
そうして芥は積もり続け、この丘が出来た。
――丘の中腹にある図書館には様々の人たちが集うが、どの人も身体に何らかの障害を持っている。丘の呪いが住人たちを不具にしているのだと言う。私は丘の歴史をしるした本の項を閉じると、この本に書いてあることは出鱈目よ、ずっと昔に芥に埋まった人が今も生きている筈がないわ、と筆談で司書に文句を言った。ここの司書は(矢張り障害なのか)奇妙に小さな人物なので、痩せっぽちの私でも安心して食って掛かれる。
《そういえばあんたは耳が聞こえないんだったね。あんたには判らないだろうが、聖者の声は今でもこの丘に響いているんだ。あの怖ろしい声を聴けば厭でも信じるよ。はじまりの神話は本当だ》
確かに時々夕暮れ過ぎに、丘の住人達がいっせいに身を竦めることもある。あれは聖者の唸り声を恐れているのか。それとも司書は私を下らない話でからかっているのか――耳の聞こえない私には区別できない。
気がつけば夜が迫っていた。図書館の角燈にいっせいに火が灯される。夜の図書館には昼間は出歩けないような、あからさまな奇形の人たちが集る。さすがにそこに居合わせるのは気が滅入るので、荷物をまとめて帰ることにした。
母は丘を離れた。
生まれ持った障害のせいか、王都では職が見つからずに困っているという。丘の住人の働き口は閉ざされている。余程の努力をしないと、ここで生まれてここで死ぬしかない。
八月の終りには大きなお祭がある。丘のすべての家から出た芥を、頂上にある洞穴に投げ捨てる祭りだ。未だに聖者が這い出てくるのを畏れているのか、それとも憂さ晴らしなのか。居るか居ないかも判らない丘の下の聖者に対し、罪悪感の伴わない希釈された暴力を行うことで、何とかこの丘は停滞を免れている。
帰路の途中、ふいにすれ違う人々が一斉に身を竦めた。
私はそしらぬ顔で歩調を速め、彼らとすれ違う。
コードネーム『アダム』。
かつて人間と呼ばれていた者の形。
体は完全に機械化され、記憶はすべて人工頭脳に移植されている。
画期的な神経系機構の発明によって彼の開発は大きく進展した。
記憶のデジタル化。発明したのは彼自身だ。
私は、研究チームのリーダーとして彼の開発に携わってきた。
恐らく今日、彼は2度目の誕生日を迎えることになる。
彼の誕生は人類の歴史に新たな1ページを加えるだろう。
でもそれは私にとってはどうでもいいことだ。
彼の起動コードは既に入力されている。
ディスプレイに彼の最終チェックプログラムの進捗状況が流れていく。
循環器系チェックシーケンス開始...OK。
神経系チェックシーケンス開始...OK。
全系統接続開始...OK。
起動開始...
もはや賽は投げられた。あとは神に祈るだけだ。
――神に祈るだって?我ながら面白い考えをするものだ。
彼のプログラムに誤りはない。それは私が証明しているではないか。
静まりかえった部屋の中で、彼はゆっくりと目を開いた。
彼の緑色の目が私を見る。
「おはよう、アダム。」
「・・・おはよう、イブ。どうやら成功したようだね。」
彼は静かに起き上がり、新しい感触を確かめるように私の頬に触れた。
「機械の体を手に入れた気分はどう?」
「気分?難しいな。そう、きっと君が生身の体を手に入れた時と同じだよ。」
そう言って彼は微笑んだ。
私はどんな気分だっただろうか。忘れてしまった。
忘れるという感覚に慣れてきたのは最近のことだ。
明確な記録だった過去が曖昧な記憶に変化していく過程はとても恐ろしく、このまま自分は消滅するのだろうかという言い知れぬ不安に苛まれた。
しかし、それは杞憂だったのだろう。
少なくとも現在まで、私は私であることを忘れなかった。これからも忘れることは無いと思う。
それでも時々、こうして私は確かめる。
私はイブ。
かつてアンドロイドと呼ばれていた物の形。
at+y-t=a+(a)X=an――それはずっとついて来ていた
隆は、姉の安子に付き纏う浪人生の柳田を憎らしく思っていた。毎朝通学する安子の姿を、柳田は自宅の窓から凝っと見詰めているのであった。
が、或る時安子が好んでその道を通る事を、隆は知った。以来彼にとって、安子は柳田と同じく、得体の知れぬ化け物であった。
g/j=X(jn) ――明日は昨日からのみ生まれる
ジャンは或る深夜、彼の住むおんぼろアパートの大家であるところのゴールドマン氏宅へ忍び入り、彼を撲殺した後に奪った銃で銀行強盗を企てた。
勇んで乗り込んだその日、生憎銀行は休みであった。
s=s1+s2-s3-s4+s5×s6/s7+s8…sX――生という名の疼き
急遽住民票が必要になり、静代は役所へ赴きました。
フロアにごった返す人の群れ、順番待ちをしていた静代の背中に、四十絡みの男性がぶつかってきました。
振り返った彼の眼に宿っていたのは、謝罪の光ではなく、憐みの靄でした。
m(w)=w≠wX, w(m)=m≠mX――未だ始まってはいない
「貴方の事、どうしても好きになれないわ」
女はそう言って、男の首に絡みつく。
男が女のこめかみ越しに観ている野球中継は、最後の打者を打席に迎えた所で放送を終える。
i-iX=i/∞――リゾーム
毎日々々交わした言葉も思い出せない様な人々から、名刺を受け取る。
掌中のそれらに、もうこの世に居ない者が在るかも知れないと思うと、何か底冷えする様な怖ろしさが有る。
が、この枚数の分だけ、私の欠片も彼らの掌中に在るのかと思うと、面の皮の下を何者かが這いずっている様な緩い痺れにも襲われる。
hn=h-hX, k(h)=hX――青春監獄の夕べ
下校途中に急に降られた雨の所為で、敬子と史江は数年前に閉店した精肉店の軒先で雨宿りをする事になった。
と、史江は曇天の裂け目を探して上向く敬子の頬を見詰めながら、微笑を湛え「私、雨にはよくない想い出があるのよ」と、降り注ぐ雨粒の下へ華奢な身体を晒し出た。
独楽の様に体を回転させながら、それでいて視線だけは無数の雨粒を劈いて私に定めたままである史江は、何か場違いな熱にうかされて揺れる陽炎の様であった。
その唇が、雫を滴らせながら、何かを告白した。
それをはっきりと聴き取れなかった敬子は、それが故に自身の体温を奪っていくのは、雨の冷気だけではないと感じた。
九月一日、午前十一時。アウトレットモールに秋冬物の買い物に来ていた私たちを、緊急地震速報が襲った。しかしその割に、周囲の空気は混濁してはいなかった。
「え、地震? どこかに隠れなきゃ」
一番混乱していたのは、私の隣にいた奴だった。小動物のように小刻みに右へ一歩、左へ一歩と、逃げる場所を探していた。そんな奴も含めて、冷静な店員の誘導で私たちは駐車場へと移動した。ざわついた空気の中から訓練だと言う声が聞こえて、私は今日が防災の日だということを思い出した。押さない、駆けない、喋らない。私と一緒に歩いていた奴にはそれが聞こえていなかったらしく、怯えたように落ち着きなく目ばかりを左右に走らせていた。
ガシャン。
ハンガーに掛けられていた洋服にディアードスカートの裾を引っ掛けて、奴は転びはしなかったが、大きくよろめいた。あり得ないだろう、と私が苦ると、目立たせるためにパニエを穿いているとのことだった。あり得ないだろう、この男は。
四季折々、事あるごとに女装を、しかもいかにもといったふわふわひらひらな格好をしたがるこの男に、私はやはり事あるごとに止めろと言い続けているのだが、通じた例がなかった。最近はどう言えば止めさせられるかということから悩んでしまっていたが、この切り口ならばどうだろうか。
「ほら、そういうのって何かあったときに引っ掛かったりして危ないじゃん。今は大丈夫だったけど、本当の地震のときはアンタ絶対どこかで転ぶよ。いい加減、そういうの止めたらどう?」
移動が完了した時点で客を巻きこんだ訓練は終わったらしい。私は店へと足を向けながら、奴にもう一度それをぶつけてみた。しかし、買い物に乗り気なのは奴の方だったはずなのに、奴はそこを動かずにどこかを見ていた。
「布地が多ければ、いざってときにああやって包帯代わりとかに使えるよね」
奴の視線の先では、一部の店員が三角巾の使い方の講習を受けていた。
「その前に動きにくいとかって思わないの?」
「それに、飛び散ったものが足に当たる前のクッションにもなりそうだよ」
ほら、と奴がスカートを摘まんで揺すって見せた。ああ言えばこう言う。しかし奴の小動物のような挙動には奴好みの女装がやけにぴったり合っていて、なぜか私はいつも強く言えない。今日もまた私が苦ったまま話は流れてしまい、奴はタータンチェックのロングシャツなんかを嬉々として買っていたのだった。
霧の都に、人間のフリをした一匹の猿が降り立つ。まいねいむいず猿山! とパスポートを差し出すと、それは手書きであったのだが見事に空港を通過した。
道路沿いに町の方へ歩いていくと、黒塗りの長い車がやってくる。
「猿山さん、探しました。姫がお待ちです」
「のん! 遅れると伝えてくれ」
「しかし姫はグレますぞ、よろしいか」
男は食い下がる。しつこいので、猿山はスーツを脱ぎ捨て猿となって倫敦へ一目散に翔けていった。11年前の土曜日であった。
ある時、猿山と古田さんは虎ノ門の喫茶店にいた。加山雄三がかかっている。今日はこのあと二人で天才音楽家の演奏でドビュッシー「ピクイク」を聴く約束なのだった。
「珈琲?」
「今日は、ソウダ水で乾杯しようぜ」
「ソウダ水?」
「ああ」
「なにに乾杯しよう」
「お嬢の健康と……お嬢が切符をなくさずに持ってきたことについて」
「いいわよ」
「ソウダ水ふたつください!」
猿が注文すると接客係は三つ矢サイダーの瓶と氷の入ったグラス、カットレモンを持ってきた。ふと、腎臓炎で炭酸水を何杯も飲まされて弱っている森茉莉のところに、007のように忍び込んだ妹がごくごくっと炭酸水をのんであげた話を古田さんは思い出した。
乾杯して二人でソウダ水をごくごくっと飲んだ。
古田さんは久しぶりに猿と会う。結婚して姓も変わっていたけれど、猿に会うときは婚前苗字のつもりでいる。自由な気がした。
「プリンセス……」
猿がソウダ瓶を握りしめ、呟いた。古田さんは嬢と呼ばれても姫と呼ばれたことはない。女がいるんだ、と思って唇を噛んで抗議してみたけれど気がついていない。
猿山は思い出していた。11年前の8月31日。日曜日だった。ダイアナ姫が殺された。本当は猿山とデイトする予定だったのだ。そうしたら必ず守っていただろう。空港の諜報員たちにうんざりして、姫に会わず日本人柔術家と英国人格闘家の試合を見にいったのだった……。
猿山は亡くなった英国の姫にこっそりソウダ水を捧げ、そして、2008年8月31日の日曜日は、こうして東京の嬢をきちんと守っていることに満足を覚えていた。
事情を知らない古田さんは怒っていたが、
夫を忘れてサルをみよ
サルを忘れて首にのれ
首を忘れて空でもみよ
空も忘れてサルを知れ
猿が出鱈目に歌うのを聞いていると、女の一人二人なんてどーでもいいわ!と思えてきたのだった。
その後、二人は演奏ホールへ出かけた。
外は大降りの雨だった。対向車のライトが揺れていた。
僕達はドームの帰り喫茶店に寄ることにした。明日仕事が早い貴子は先にアパートに送った。車を停め、絵美と喫茶店に入った。
「アイスを二つ」
窓側の席のクッションに体を沈めた。ここのところ溜まっていた疲れとは違う充足感に満たされていた。僕は一週間後から海外ボランティアに一年間参加する。
向かいに座った絵美は水の入ったグラスを見つめている。
「30日にもう一回遊ぼうよ、最後だからさ」
今日は僕を送り出そうと二人が声を掛けてくれた。車は僕が出した。
「いいよ、二人とも仕事があるし」
「私は大丈夫だよ」
また明日から準備に追われる。今日のドームのイベントは楽しかった。僕にとっての遊び締めだった。
「30日なら私も空いてるから」彼女は懇願の色を帯びてきた。僕は答えなかった。
ここのところ準備に追われて神経質になっていた。何度か絵美には不躾なこともした。自分の苛立ちに気付いていたから、思ったこともどうしたらいいのか分からない。そんな蟠りも重なっていた。
以前、絵美と優しさについて云い合ったことがある。優しくするには経験が必要という僕の考えと、優しい気持ちがあれば優しくできるという彼女。優しくすることはそんな簡単なことじゃないと僕は譲らなかった。
今日、貴子はお守りをくれた。その心遣いに心揺れた。
「貴子は優しく送り出してくれた。30日は親と居てあげたいし無理だよ」
「……じゃあ29日は?」
これ以上話すことはない。横を向くと大粒の雨が窓ガラスに当たり、波々と表面を流れていた。
来たコーヒーを飲み、口数少ない車内の中彼女を家に送った。
「体に気をつけてね」
「そっちこそ仕事頑張れよ」僕達の最後の日が終った。
一週間後、無事準備を終え出発の日を迎えた僕は待合場で機乗準備が整うのを待っていた。友人の何人かにメールを打っていた。貴子にもメールを送った。絵美に送ろうか少し迷ったが、絵美にも送った。
「私も伊勢まで行ったけど、二つも同じお守りは要らないと思ってあげれなかった。ごめんね……」
ゲートが開き、乗客が動き始めた。僕は目を瞑った。降雨に隠れながら、思い続けてくれた彼女の姿が流れてきた。
最後、彼女に「ありがとう」とメールを送り機内に乗り込んだ。感情が胸を焦がしてきた。
座席に着き、窓から外を見つめた。僕は出発する。そう思うと目前の窓に、雨が一粒流れた。
午前二時。今日も隣の部屋から響いてくる。
コンコン、コンコン
いったいこんな夜中になにをやっていのだろうか。毎晩毎晩壁を軽くたたく音が響いてくる。
隣人が引っ越してきてから三日たつが、あいさつもなくずっと部屋にこもりきりだ。ドアが開く音もしないし、人が移動する気配も感じ取れない。壁をたたくのだから人がいることには間違いないのだが。
翌日、いつも入れ歯を入れ忘れる管理人に聞いてみる。
「二○三号室に引っ越してきた人ってどんな人?」
質問したぼくがバカだった。管理人はハヒフヘホしか言えていなかった。代わりに部屋鍵をわたされた。
鍵を開けて部屋に入る。閑散とした白い部屋を見渡す。何もない。でもなぜか惹かれた。
カーテンのない大きな窓から暖かい夕日が差し込み、畳から独特な香りがたちのぼる。
ごろんと横になる。天井を見上げる。心地いい。
ふとぼくの部屋側の壁に目線を向けると、点々と爪あとが残っている。その爪あとを指でなぞる。
そのとき初めて気づく。ぼくの爪の中に白いカスがつまっていることを。これは壁の破片だろう。
ぼくは不思議と恐怖心がわかなかった。むしろ「なぜぼくがたたいていたのか?」という疑問しかわいてこなかった。
唖然としていると隣のぼくの部屋から人の気配がした。壁に耳をあてて盗み聞きする。だれかがすすり泣いている。
聞きなれた声、とても悲しそうに声を殺して泣いている。だれにも頼ることができず、誰にも悩みを打ち明けることのできない苦しさ、隣人にまで気をつかってしまう小心、生きていること自体辛く、でも自殺する勇気もないなさけなさ。いろんな枷が重なって泣いているのはぼく自身だ。
過ぎ行く毎日をただ淡々と過ごしていて気づかなかった。こんなにもぼくが心に重い荷物をかかえていることを。毎晩毎晩泣いていたことを。辛さ、苦しさ、むなしさ、悲しさ、それらを一人で抱え込んでいたことを気づかせてくれた。
一週間後、隣の部屋に男が一人引っ越してきた。ぼくは隣人があいさつにくる前に「ありがとう」とお礼を言った。
ダンサーが片目をつむり顕微鏡を覗いている。
片目のライオンがモニターに。
片目をつむりスナイパーはスコープを覗いていて。コンクリート壁に額を押し付けて。
ミッドナイトハイウェイに、額を押し付けて。
タイトル。
友がこのところ立て続けに自殺していた。立て続く葬式にあくびが漏れ久しぶりに涙を流す。
葬式が終わり真昼の街へ放り出される。
最初に見かけたバレエスタジオへ。
「受付は少々お待ちください」
公園へ行く。子供達と一緒に遊ぼうとするが無視される。
三日程してから再びバレエスタジオへ足を運ぶ。
「遅刻です」
「はい」
「今度からはきちんとお願いしますね」
防音扉の向こうからノクターン。
二つ指ピアニスト。
子供達が練習している。
舞台の上には白壁と美しいローマの男。眩しい太陽が四つ。四つか。若い頃は沢山見たな。十も二十も百も。沢山見てしまった。光に容赦無く照らされた白壁。もたれかかり目を閉じる。
シーツの海で目を覚ます。
部屋の蛇口が壊れてしまっていて水が噴出していた。
天使みたいな少年工が水にまみれて直している。
新聞を読む。
眩暈に吐きそうになる。
「今度からはきちんとお願いしますね」
日記を読む。
眩暈に吐きそうになる。
「今度からはきちんとお願いしますね」
午後、古い友達のジャーナリストが来てインタビューを受ける。
「何だよスーツなんて着て」
「さあ」
「それできちんとしてるつもりかい?」
「さあ」
「だせえな」
「ああ」
「で今度の映画のコンセプトは?」
「このスーツやるよ」
「マジかよ」
「ああ」
「悪いな。これで姪の結婚式はなんとかなりそうだ」
ずるずると着替え、美術館へ行く。
ライオン彫刻の前で気絶する。
目を開ける。
片目の彫刻家に介抱してもらっていた。
「あなたはこんなスーツじゃなくて上半身裸にスカートが似合うと思う」
「そうかもな」
カット、という声がずっと遠くから聴こえる。
「今度からはきちんとね?」
「ああ」
「今度からは」
「ああ、今度生まれてきた時はきちんとする」
カット。
ごとりと音を立てて路地裏にミサイルが落ちる。
表面には沢山の写真が貼られている。写真写真写真。まるで美術館。
「今度生まれてきた時はきちんとする、生まれ変わったらきちんとするよ」
皆で映画館へ。
新作の筈が昔撮った映画ばかりがかけられている。
片目を閉じる。
遠くにハイウェイの崩れ行く音。
カット。そう呟いて目を閉じる。