第72期 #9
気が遠くなるほどの昔、流浪の聖者がこの地に辿り着いた。
国を追われた身である彼を人々は忌み、日に夜を継いで石や汚物を投げ続けた。やがて薄高く積もった芥は聖者を覆い隠したが、芥の下からなおも聖者の声が聞こえるので、人々は彼を恐れていっそう多くの芥を積み上げた。奴隷の死体。崩された王城の石材。不要になった知識を記した書物。国中の《忘れ去られるべきもの》がこの地に捨てられる。その下から、なおも聖者の世界を呪う声は響く。
そうして芥は積もり続け、この丘が出来た。
――丘の中腹にある図書館には様々の人たちが集うが、どの人も身体に何らかの障害を持っている。丘の呪いが住人たちを不具にしているのだと言う。私は丘の歴史をしるした本の項を閉じると、この本に書いてあることは出鱈目よ、ずっと昔に芥に埋まった人が今も生きている筈がないわ、と筆談で司書に文句を言った。ここの司書は(矢張り障害なのか)奇妙に小さな人物なので、痩せっぽちの私でも安心して食って掛かれる。
《そういえばあんたは耳が聞こえないんだったね。あんたには判らないだろうが、聖者の声は今でもこの丘に響いているんだ。あの怖ろしい声を聴けば厭でも信じるよ。はじまりの神話は本当だ》
確かに時々夕暮れ過ぎに、丘の住人達がいっせいに身を竦めることもある。あれは聖者の唸り声を恐れているのか。それとも司書は私を下らない話でからかっているのか――耳の聞こえない私には区別できない。
気がつけば夜が迫っていた。図書館の角燈にいっせいに火が灯される。夜の図書館には昼間は出歩けないような、あからさまな奇形の人たちが集る。さすがにそこに居合わせるのは気が滅入るので、荷物をまとめて帰ることにした。
母は丘を離れた。
生まれ持った障害のせいか、王都では職が見つからずに困っているという。丘の住人の働き口は閉ざされている。余程の努力をしないと、ここで生まれてここで死ぬしかない。
八月の終りには大きなお祭がある。丘のすべての家から出た芥を、頂上にある洞穴に投げ捨てる祭りだ。未だに聖者が這い出てくるのを畏れているのか、それとも憂さ晴らしなのか。居るか居ないかも判らない丘の下の聖者に対し、罪悪感の伴わない希釈された暴力を行うことで、何とかこの丘は停滞を免れている。
帰路の途中、ふいにすれ違う人々が一斉に身を竦めた。
私はそしらぬ顔で歩調を速め、彼らとすれ違う。