第72期 #14

 青年の父親が云った。
「ちょっとそこの新鮮なぶどうをとってくれないか」
「なにが新鮮か。2週間もまえにいなかが送ってきたものだろう」
「もう新鮮ではないのか」
「ああ」
「ではぶどうはよろしい」
「うん」
「となりにあるものを見てくれ」
「これは。くるみ?」
「いや。かあさんの愛だよ」
 青年の母親の愛は直径3センチのうすぎたない球型だった。愛はくるみのようにしわがれた実相をしていた。青年がくるみとみまちがえたのもむりはなかった。オリーブオイルがかけられたようにぬらびかりしていた。中年女性のものだから黄茶ばんでいるのか。くるまっている性的なことを連想させる粘液はなんなのだろうか。それにしてもほんとうにオリーブオイルをたらしたくるみなのかもしれない。
 父親が云った。
「これが愛だ」
「そうか」
 愛は昨晩に家をとびだした青年の母親ののこしたものだった。原悪は父親の情欲の母親以外への不埒だった。
 青年は銀鉄鈍色のちいさなアルミ棒をいっさいのひかりない密室の実験室めいた魔法瓶の中の金属の床底にもしもおとしたのならしたかもしれない音がきこえたようにかんじた。はたして隠蔽された切取空間でだれがその音波を受信しただろう。だれにもきこえていないはずだ。
 青年は愛のありさまを見ていらいたちまちこころをむしばまれ情交のさなかに女のみみもとで愛しているとささやくのをためらうようになった。うそくさいのだ。恋人とのセックスがたのしみではなくなった。怨念をすてさり未来への色欲をめっしてただひとつなぎのみちしるべじみた母親の愛をおもいかえしながらいきおよぐことになやみあぐしはてて阿頼耶識なるみをささげているというのにさながら臓物の腐敗の進行はとどまらない。くさってやがる。ほんたいがないのだ。あの愛にバルトリン腺液をおもいもよおさせる液体が付着していたということはきっと肉体愛であって母性愛ではないのだ。青年はそうかんがえた。あの愛がさもしくみえてしかたがなく今宵もさみしくてさみしくてしかたがない。
 青年は父親に云った。
「かあさんの愛をふいたの?」
 ぶどうの傍のくるみがかちかちにかわききっていた。
 台所から父親の回答。
「なにもしていない」
 父親がマジックペンでくるみに一言「俺の」とでも直書しておいておけばよいのだ。それならばたやすいのだよ。なにも苦労はないのだよ。
 父親がさけんだ。
「うわあ」
「どうした」
「たまねぎで目が」



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