第72期 #12

擬装☆少女 千字一時物語36

 九月一日、午前十一時。アウトレットモールに秋冬物の買い物に来ていた私たちを、緊急地震速報が襲った。しかしその割に、周囲の空気は混濁してはいなかった。
「え、地震? どこかに隠れなきゃ」
 一番混乱していたのは、私の隣にいた奴だった。小動物のように小刻みに右へ一歩、左へ一歩と、逃げる場所を探していた。そんな奴も含めて、冷静な店員の誘導で私たちは駐車場へと移動した。ざわついた空気の中から訓練だと言う声が聞こえて、私は今日が防災の日だということを思い出した。押さない、駆けない、喋らない。私と一緒に歩いていた奴にはそれが聞こえていなかったらしく、怯えたように落ち着きなく目ばかりを左右に走らせていた。
 ガシャン。
 ハンガーに掛けられていた洋服にディアードスカートの裾を引っ掛けて、奴は転びはしなかったが、大きくよろめいた。あり得ないだろう、と私が苦ると、目立たせるためにパニエを穿いているとのことだった。あり得ないだろう、この男は。
 四季折々、事あるごとに女装を、しかもいかにもといったふわふわひらひらな格好をしたがるこの男に、私はやはり事あるごとに止めろと言い続けているのだが、通じた例がなかった。最近はどう言えば止めさせられるかということから悩んでしまっていたが、この切り口ならばどうだろうか。
「ほら、そういうのって何かあったときに引っ掛かったりして危ないじゃん。今は大丈夫だったけど、本当の地震のときはアンタ絶対どこかで転ぶよ。いい加減、そういうの止めたらどう?」
 移動が完了した時点で客を巻きこんだ訓練は終わったらしい。私は店へと足を向けながら、奴にもう一度それをぶつけてみた。しかし、買い物に乗り気なのは奴の方だったはずなのに、奴はそこを動かずにどこかを見ていた。
「布地が多ければ、いざってときにああやって包帯代わりとかに使えるよね」
 奴の視線の先では、一部の店員が三角巾の使い方の講習を受けていた。
「その前に動きにくいとかって思わないの?」
「それに、飛び散ったものが足に当たる前のクッションにもなりそうだよ」
 ほら、と奴がスカートを摘まんで揺すって見せた。ああ言えばこう言う。しかし奴の小動物のような挙動には奴好みの女装がやけにぴったり合っていて、なぜか私はいつも強く言えない。今日もまた私が苦ったまま話は流れてしまい、奴はタータンチェックのロングシャツなんかを嬉々として買っていたのだった。



Copyright © 2008 黒田皐月 / 編集: 短編