第7期 #9

懐刀と丸腰

 坂江は、鷹司家に能く仕える剣士だった。
 坂江が鷹司家によって密かに呼び寄せられると、翌朝には某の屍が辻に転がった。鷹司家にとって坂江は、邪魔者を斬って捨てるための、文字通り懐刀だった。
 鷹司家としては、暗殺という手段を用いずとも、抹殺したい者に濡れ衣を着せて処刑を申し渡すこともできた。それをしなかったのは、消したい者たちは概して人望が厚く、その処分によって自らの評判を落とすことを懼れたからである。命令に従わぬ者は勿論、自分以上に慕われる臣下の者をも、敵も同然であると見ていた。

 今宵、坂江が斬りに向かうのは、横井という剣士だった。
 横井は以前、暗殺の蔓延は司法機関がまともに機能していないからであるとの旨を鷹司家に諫言した。結果、勘気を蒙って永蟄居に処された。横井は程なく出奔した。
 数年来、行方不明だったが、何故か鷹司家の領内に舞い戻り、遊郭にいるとの密告を得た。坂江と横井は、かつて連れ小便もした仲だった。それゆえに、互いに剣の腕を知っている。互角の斬り合いなると、坂江は覚悟を決めていた。

 坂江が遊郭に踏み込むと、横井は座敷で杯を呷っていた。
「久しいな」
 横井の挨拶に、坂江は応えなかった。
「上意である」
 言うべきを言い、抜刀した。
 横井は抜刀しない。坂江は剣を構えて漸く気づいた。そもそも、横井は全くの丸腰だった。自らの剣を恃むところ、坂江に負けず劣らず強かった横井の所業とは思われなかった。
「刀はどうした」
 坂江の問いに、横井は平然と答えた。
「捨てた」
 信じられぬ。坂江は己の耳を疑った。いま一度聞き直そうとした刹那、横井は激しく咳込み、赤黒い数滴が畳を染めた。
 坂江は呆然となったが、横井は薄く笑うと、肩で息をしながら言葉を続けた。
「上意であろう。早くやれ」
 逆らえば、今度はお前が鷹司家の標的にされるぞ、との意味である。
「労咳だ。どうせ長くはない」
 その言葉に、坂江は横井の真意を知った。
 余命幾ばくもないからと、他ならぬ自分に斬られるために舞い戻ったに相違ない。
 横井の逐電によって、幼馴染みの坂江は、真っ先に鷹司家に睨まれた。その疑念を晴らすためにも、剣で屍の山を築く必要があった。なかんずく、横井の誅殺ほど「高潔な忠誠心」を示せる好機はない。坂江のそのような境遇を、横井は的確に見抜いていた。
 剣を交えずして刎頸の交わりを示した友に、坂江は初めて薄く笑い、一刀を以て応えた。



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